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38 「勇者様、どうかこの世界をお救いください」



「お別れ、できた?」


 戻ってきた私を出迎えてくれたのは、キリだった。

 塔の最上階、空と森に挟まれた中空。

 この世界の人たちの存在を認めた場所。勇者の力が開花した場所。

 キリのために、勇者になる、覚悟をした場所。

 最後に見るこの世界は、ここからの景色がいいと、二人で決めた。


 お別れ。そう、もう本当にお別れだ。

 ルルドとも、ティマとも、イレとも、ヨセフさんとも。そしてこの世界とも。

 私の制服姿、誰も突っ込んでくれなかったなぁ。真冬に半袖なんて、狂気の沙汰なのに。もちろん魔法で寒くないようにはしてるけど、見てるだけで寒かったはずだ。

 脇に置いておいた学生カバンを手に持てば、カンペキ。

 ……やっぱり、帰るときは、来たときの格好がよかったから。


「うん、そっちは?」

「大丈夫」


 暗闇の中でも、キリが微笑んだのは見て取れた。

 星明かりに照らされたキリの横顔は、青白く、今にも闇夜に溶けてしまいそうな儚さがあった。


「ヨセフは、感謝してるって言ってたよ、マリに」


 もう大丈夫と思っていても、その名前には心が揺れそうになった。


「直接言っても気遣ってるって思われるだけだろうからって、頼まれた」


 ああもう、そんなところまで読まれちゃってるんだから。

 亀の甲より年の功。結局ヨセフさんには勇者も魔王も敵わないってことか。

 うっかり心が少し軽くなってしまった。

 ヨセフさんも、キリも、優しい。


「マリは、僕だけじゃない。ヨセフのことも救うんだ。魔王ぼくという呪縛から」

「キリは呪縛なんかじゃなかったよ」

「どうだろう。ヨセフの人生を狂わせたことは間違いないよ」


 罪も罰も全部受け入れているような、自嘲の笑みを浮かべる。

 違う。違う。違う。

 私はそんな顔をさせたくて、キリを救うんじゃない。

 そんな顔をさせたまま、連れてなんていけない。

 衝動的に、私はキリの手を取る。

 ぎゅうっと、痛いかもしれないくらい、力を込めて握った。


「私は、狂ってでも、キリと一緒にいたいと思う。ヨセフさんもきっと同じだったんだよ」


 伝われ、と強く願う。

 狂っていようがなんだろうが、自分が納得しているならそれでいい。

 私が、キリが、選択したように。

 ヨセフさんだって選んだだけだったんだ。キリの傍を。

 いつか、孤独な魂が救われる日までは、と。


『魔王様を、お願いします』


 しわがれた声が、聞こえた気がした。

 心の中で、何度も何度も、うなずきを返す。

 私はヨセフさんからバトンタッチされた。

 この手に握るぬくもりは、今までヨセフさんが守ってきたもの。

 私はキリを、ヨセフさんの宝物を、任されたんだ。

 私にとってももう、失うことのできない、大事な大事な宝物を。


「……お人好しだね、ヨセフも、マリも」


 困ったように笑うキリの、目尻で雫が光った。

 きっとキリも、わかってくれている。

 私が、ヨセフさんが、どれだけキリを大切に思っているか。

 今はそれだけでいい。

 自分で自分を大事にする気持ちは、これから育てていけるものだから。


「ねえ、キリ」


 その、ためにも。

 私はある決断をしていた。


「……私を、信じてくれる?」


 唐突な私の言葉に、キリは理由を尋ねることなく、うなずいた。


「うん、マリを信じてるよ」


 その言葉がどれだけ心強いか。

 キリの信頼を宿した瞳に後押しされるように、私は続ける。


「私がこれからしようとしてることは、キリにとって、つらいことかもしれない。大変なことかもしれない。それでも、私の選択を、許してくれる?」


 もしキリに嫌われてしまったら、と思うと震えが止まらない。

 勇者なんて言ったって、未来が見えるわけじゃない。

 この選択が正しいかなんて、私にもきっと女神にも、わからないんだ。


「マリが思うようにしてくれていいんだ。僕は、全部マリに任せる」

「……わかった」


 もう、これ以上は聞かない。

 キリは任せると言った。なら本当に全部、任せてもらう。

 きっとキリは私を許してくれるだろう、という予感もあった。

 どれだけ、キリが大変な思いをしても。どれだけ、私の選択が間違っていても。

 キリがわかってくれているように、私だって知っている。

 キリが、私を、特別に思ってくれていること。


「好きだよ、キリ」


 言わずにはいられなかった。

 想いが膨れすぎて、吐き出してもまだ足りない。

 声と共にこぼれ落ちそうになった涙を、ぐっと飲み込む。


「それだけは、覚えてて」


 目を丸くしたまま固まるキリに、私は微笑みかける。

 キリが最後に見るのは、私の笑顔であってほしかったから。


「《おやすみ、リーフェ》」


 力を込めて言葉にすれば、キリは糸の切れた操り人形みたいにカクンと倒れかけた。

 なんとか抱きとめて、壁に背を預けて座らせる。

 しっかりと閉じられたまぶたに、私は軽くキスをした。

 次にキリが目を開けるのは、あちらの世界で。

 そしてそのときこそ、彼の新たな、何にも縛られない人生が、始まる。


「《今から語る内容はすべて、勇者、新条 真理亜の願いにより現実となります》」


 韻を、力に。

 勇者の韻は、世界を震わせ、世界に干渉し、世界を、変える。

 願いを、現実に。

 勇者の願いは、リーリファの望む未来への布石。


 少しも気の抜けない状態で、私はふと、この世界にやってきたころを思い出した。

 何度も何度も、頼まれた。願われた。

 嫌だと突っぱねてきた。とにかく逃げ回った。

 それでも今、私はこうして、世界を救おうとしている。


『勇者様、どうかこの世界をお救いください』


 私の、答えは――






 その夜、世界に数多の星が降り注いだ。

 理から外れた存在は、しろい光を浴び次々と消え失せていく。

 歪みが正される。空気が澄んでいく。気の流れが平時を思い出す。

 世界が、震えた。


 青年はそれを見、静かに目を伏せた。

 少女はそれを見、声を上げて泣いた。

 少年はそれを見、拳を力強く握った。


 長い夜が明ける刻が来た。

 世界に希望の韻が響きわたる。

 晴れや、晴れや、晴れや。

 人々はその夜、女神の歌声を耳にした。







  ◇◆◇◆◇







 刺さるような日差しがむき出しの肌を焼く。

 吸った空気はなまぬるくて、あまりの違和感に咳込んだ。

 蝉の声が鳴り響く。こんなうるさいものに、蝉しぐれ、なんて美しい呼び方があるのは日本独特の文化だろう。

 あたりに立ち並ぶ家々は、いつも通学途中に素通りしていたはずなのに、記憶に焼きついていた。

 夕食の準備をしている家が近くに複数あるようで、カレーやらおでんやら魚の塩焼きやら、おいしそうな匂いがただよってくる。

 通りの先に見えるコンビニの看板の原色っぷりが、妙に目に痛い。

 どこかから聞こえてくる井戸端会議は、つまらない日常の、当たり前に続いていた平和の象徴。

 見上げた空すら、向こうとは色が違って見えた。


 かえってきたんだ。


 そう、五感すべてで、感じることができた。


 カバンの中からスマホを取り出せば、表示はすっかり正常に戻っていて。

 召喚された正確な時間なんて覚えてはいないけど、たぶんほとんどズレはない。

 今は、夏のある日。なんてことはない日で、部活動を終えて帰る最中。家に帰ればきっと豚の生姜焼きが待っている。

 こんな当たり前の景色を、懐かしい、と思った。ああよかった、と思った。

 思わずこみ上げてきた涙を、必死に我慢する。

 ここは毎日使っていた通学路だ。知り合いだって普通に通る。

 外で大泣きする女子高生なんて悪目立ちしすぎるだろう。

 それは、これからしようとしていることを思えば、大変よろしくない。


 深呼吸して気持ちを切り替えて、私はもう一度スマホを確認する。

 予定どおり届いていたメールを確認してから、脇道に曲がる。

 家に帰るには遠回りの道を迷いなく進んでいく。

 五分もしないで到着したのは、近所のこじんまりとした公園。

 子どものころはよく遊んだもんだけど、ここ数年は来ることのなかった場所。

 私は吸い寄せられるように、ひとつのベンチに向かう。


 そこに、横たわっていたのは。


「おーい、おーーーい」


 腹が立つくらいサラサラな黒い髪、白い肌の少年。

 今は見えないその瞳が、日を浴びて輝く葉の色をしていることを、私は知っている。


「ねえ、大丈夫?」


 何度か私が声をかけると、彼はようやく目を開く。

 よかった、生きてた。

 大丈夫だと勇者の知で知ってはいても、実際に世界を越えることがどれだけ負担になるのかなんて、やってみなきゃわからなかったから。

 特に外傷もないし、すぐに目を覚ましたし、異常はなさそうだとほっと胸をなでおろした。


「あれ……」


 キリはぼんやりとつぶやき、寝起きのように首を振る。

 そして、新緑の瞳が、私をとらえて。


「きみ、は……?」


 まるで他人を見るみたいに、怪訝そうに眉をひそめた。

 ズキン、と鳴る胸の痛みは無視する。

 傷つく資格なんてどこにもない。

 だって、そう願ったのは他でもない私だから。


《この世界のことも、魔王としての生も、リーフェの一切の記憶を封印する》


「私は真理亜。あなたは?」


 不自然にならないよう、微笑みながら問いかける。

 どうすれば自然に見えるかなんて、役者でもない私にはまったくわからなかったけど。

 下手にあっちの世界の記憶があると、怪しまれて、集団の中で爪弾きにされる恐れがある。

 キリがこの世界に、日本に慣れるまでは、記憶がないほうがうまくいくような気がした。


《キリという名前以外のすべてを思い出せなくなる》


「ぼく、は……キリ……」


 私が願ったとおりに、キリはキリと名乗った。

 よかった。もうこっちのキリの名前は私が決めてしまっていたから。

 幸松こうまつ 希理きり。近所の幸松さん夫妻に今日引き取られたばかりの、記憶障害のある十五歳の少年。どこかへ行ってしまったらしいから、もしその年代の子がいたら声をかけてみて、と母からのメールを受けて遠回りしながら探していたら、偶然発見した、という設定。

 幸松さん夫妻はお母さんが過去にお世話になったことがあるとかで、会えばお話ししたり庭の柿をくれたり、私にもよくしてくれる。もう四十過ぎで、子どもが欲しいらしく、養子縁組も検討しているという話を聞いたことがあったから、キリを連れてくるとなったとき、真っ先に思い浮かんだ人たちだ。

 勇者の力で、私はこの世界にキリの新しい居場所を作った。

 この世界では、勇者の力を使えない。でも、私が召喚されたように、この世界に勇者の力が影響を与えられないわけじゃない。戸籍を作って、記憶をいじって、幸松 希理という人一人の存在を、この世界に根づかせた。……私の理解の及ばない範囲に関しては、勇者の力がうまい具合にやってくれたと信じたい。


《来年のクリスマスの夜に、この魔法は解ける》


「キリ? マリアとキリストで、仲良くできそうだね」


 クリスマスはキリストの誕生日。キリの正確な誕生日がわからなかったから、その日に決めた。

 一年半が、猶予期間。それまでにキリがこの世界に溶け込めるよう、私も全力で協力する。

 ヨセフさんの命の責任を負うと言っていたから。

 一時だけ、封印する。それだけ。

 正しいかどうかなんて、わからないけど。きっと誰にもわからないことなんだろうけど。

 怒られてもいい。恨まれてもいい。

 私の思う最善で、キリを、守るために。


「はじめまして、希理。よろしく」


 私は笑う。

 何も覚えていないキリの不安を、ほんの少しでも取り除けるよう。

 そうして、また、一から。

 生まれ変わったキリと、新しい関係を築いていけたらと、願う。


 震える指先が、ためらいながらも伸びてくる。

 その手を取れば、変わらないキリのぬくもりが、私を励ましてくれた。






『勇者様、どうかこの世界をお救いください』


 やだ。


 私は、キリを救うために、世界を越えたんだ。







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