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34 「……生きていてくれるだけで」



『連れていって』


 キリは言った。

 うれしそうには見えなかった。悲しそうにも見えなかった。

 ただ、選ぶべくして選んだみたいな。

 一足す一は二だと、当たり前の解を出すみたいに。

 きっとそこには、覚悟も、葛藤も、あっただろうに。

 キリは静かな、平らな声で。

 私の望んでいた答えをくれた。




「動いちゃダメなの?」

「うん、だめー」

「なんだかむずむずする……」


 キリの部屋にて、私とキリは向かい合っていて。その間には絵を描くときに立てかける木製の台があって。

 私はキリの肖像画を描いていた。

 油絵は数えるほどしかやったことがないから、立てかけてあるのはキャンバスじゃなくて厚めの水彩紙ボード。絵の具は個人的に好きな透明水彩。とはいえ高校生の趣味に名画を求めちゃいけない。迷画になりそうな予感すらする。

 紙も絵の具も筆も、全部勇者の力で具現化した。

 勇者の力を使いこなせるようになった私には、これくらいのものは苦もなく作ることができた。部活で使っていたおかげで構造や素材を知っている分、食べ物の何倍も簡単だった。


「何か考え事でもしてれば? 私が描いてることなんて忘れていいよ」

「こんなに見られてたら、無理だよ」

「がんばれがんばれ」


 鉛筆を走らせながら無責任にエールを送る。うん、輪郭はこんなもんでいいか。

 キリはそわそわと身体を揺する。いつも落ち着き払ったキリにはめずらしいその様子に、少し笑えてくる。

 まあ、モデルなんて、慣れてないとそんなものだよね。美術部でも交代でモデルになったことがあったから、気持ちはわからなくもない。


 それからしばらくは無言で筆を動かした。

 キリがちらちらとこちらを見ていることには気づいていたけれど、描くことに集中することにした。

 頭の中を真っ白にして、何かに没頭したかったのかもしれない。

 本当は、言いたいことも、聞きたいことも、たくさんあって。

 けれどそれを言葉にするには、心の準備が必要で。

 一度、全部頭から追い出してしまってからのほうが、気持ちが楽だったから。


「ねえ、キリ」

「ん?」


 沈黙を破って呼びかけると、彼はとたんに瞳を輝かせた。

 なんでもいいから、気を紛らわせてもらいたい、という心が透けて見える。

 聞いても、いいのかな。

 キリの本当の願いを知ってから、密かに気になっていたこと。

 今さらかもしれないけど、聞けなくなる前に、聞いておきたいと思った。


「なんで、最初に名乗らなかったの? リーフェって。その名前が嫌いだから?」


 キリは、私に自分を殺してほしかった。

 そのためには、名前を教えておいたほうがよかったはずだ。

 名前を呼ぶということは、対象を指定すること。

 私がキリをキリだと思っていれば、力は発動するみたいだけど、そんなの最初の時点ではわかっていなかっただろうし。

 勇者の力で殺してもらうつもりだったなら、最初に名乗ったほうがよかったんじゃないだろうか。

 結局のところ、魔王を含め、この世界に生きる人を害することは、勇者の力では不可能だったんだけど。


「だって、本当に女神に愛されてる少女に名乗るには、皮肉すぎるでしょ」


 キリは苦々しげに笑う。ああ、その表情は絵に残すわけにはいかないな。

 思わず筆が止まる。目と目がしっかり合って、離せなくなった。


「笑っちゃうね。女神を呪ったことだってあったのに、僕が、その女神の魂を持っているだなんて」


 言葉のとおり、キリは笑っている。自嘲の笑み、とでも言えばいいのか。

 キリの内心に渦巻く複雑な感情が、ちらりと顔を覗かせた。


「疑わないの?」


 今さらだけど、勇者の知なんていう、当人にしか真偽のわからないもの、まず疑われてしかるべきなんじゃないだろうか。

 キリも、ルルドも、ヨセフさんも。みんな私の言葉が真実だという前提で話していたのが、なんだか不思議だ。

 それがこの世界にとっての常識、と言われてしまえばそこまでだけど。

 勇者とか、魔王とか、この世界にやって来るまでは物語の中のものだった私には、いまいち理解ができない。

 この世界にはだいぶ慣れたつもりでいたけど、価値観の違いってものはどうしても埋められないものなのかな。


「疑いようがないよ。勇者の知を疑うことは、勇者そのものを疑うことになる。僕は勇者の存在を疑ったことなんて一度もなかった。勇者だけが、僕にとって希望だったから」


 キリの瞳が遠い昔を思い返すように細められた。

 まだ十五年しか生きていないはずのキリは、生きるのに飽きた老人みたいな顔もする。

 魔王になってからの十年が、それほどまでにキリの心を蝕んだ。


「なのにまさか、待ち望んでいた勇者がこんな希望を寄越すなんてね。思ってもいなかった」


 うれしい、のか。悲しい、のか。

 淡い微笑みからは、やっぱりよく、読み取れない。


「……迷惑、だった?」


 キリには選択肢がなかった。

 魔王にはこの世界に居場所はない。勇者の力でも魔王は倒せない。魔王は、魔王の魂は、あるべき世界に還ることでしか。

 そうしなければ、キリも、この世界も、救われない。

 何より、私はキリに生きていてほしいから。

 どれだけ死を願われたって、叶えてなんてあげられない。生きて、とエゴを押し通す。

 勇者の願いは、この世界では、絶対。

 他に道がなくても、キリ自身に望んでもらいたいと思ってしまうのは、それこそ私のわがままなんだろう。


「僕はマリの世界に行くべきだ、ということはわかるよ。行くしかない、とも。僕を連れていくために、マリはこの世界に喚ばれたんだね」


 キリの、気持ちは?

 行きたくなかったり、しない?


 その問いは、口の中で消えていく。粉薬みたいに苦味を残して。

 そんなこと聞くなんて、ひどい一人よがりだ。

 なんて答えが返ってきたって、私は必ず、キリを連れていくのに。

 ぎゅうっと、私は筆を握る。


「……正直、まだ実感はわかない。でも、素敵なことだとは思ってるよ。誰も魔王を知らない世界で、僕はただのキリになれる。リーリファでも、リーフェでもなく」


 女神の魂を持つ者としてではなく。愛されてこの世界に生を受けたリーフェでもなく。

 今までずっと、魔王でしかなかったキリが、ただのキリになる。

 キリとして、生まれ変わる。


「ご両親からもらった名前なのに、いいの?」

「僕は……両親から奪うことしかできなかった。命も、故郷も、幸福も、愛しい息子も。もう、親の顔も、声も、ぬくもりも、何も覚えていないんだ。覚えているのは骨の硬さと冷たさだけ。こんなに親不孝なこともない。僕は彼らの息子として、何一つ与えられなかった」


 淡々とした、冷たさすら感じる声音。

 女神の魂による歪みが、キリから奪っていったものは多すぎて。

 それをすべて、私が埋められるなんて、そんな思い上がったことは考えてないけど。

 ちょっとでも、ちょっとずつでも。

 あたたかいものを、積み重ねていけたら。


「……生きていてくれるだけで。それだけで、親孝行になると思うよ」

「そうかな」

「少なくとも、私が親だったらね、きっとそう思う」

「マリアが母親かぁ、いいなぁ」


 ふふっとキリは楽しげに笑う。

 少し、無理をしているようにも見えた。


「キリとして、生まれ変わるんだもんね。私が母親代わりになってあげる」

「口うるさそうなお母さんだね」


 何さ、口うるさくするのは愛だよ、愛。

 キリが自分を大切にしないなら、口うるさくだって言ってやる。

 本当の母親が、キリにしてあげたかったことを。

 泣いてるキリを抱きしめて、楽しいことは一緒に笑って、間違えたら叱って、そして、そして。

 どんなときでも、ずっと傍に。


「でも、優しくて、息子のために泣いて笑って怒る、いいお母さんだ」


 そんなことを言われて、また涙がこぼれそうになった。

 息を詰めて涙をこらえながら、筆を動かす。

 キリの穏やかな微笑みを、描き残しておきたい。

 やっぱりどこかヨセフさんに似ている、その表情を、少しでも正確に。


 私が、キリの母親なら。

 ヨセフさんが、父親だったんだろうなぁ。


「……何か、なんでもいいから、一つだけでも」


 ぽつ、ぽつ、と言葉を落とす。

 キリに向けてというよりも、独り言みたいに。


「ヨセフさんの傍に、キリを、残しておきたくって」


 一人、この世界に残されるヨセフさん。

 キリは、自分の力は永続的なものではないから、数日か、数ヶ月か、いつかはわからないけどヨセフさんの身体が保たなくなると言った。

 魔王の力によって何度も何度も、病を直し、骨を丈夫にし、元気に動けていたけれど。

 キリがいなくなれば、ヨセフさんの身体を守っている力は、少しずつ薄れていく。


「でもこれって、ただの自己満足だよね。私はヨセフさんからキリを奪うのに」


 私がヨセフさんを一人にする。ヨセフさんの生きがいを連れ去る。ヨセフさんの、生すら、奪うことになる。

 キリを救うために、ヨセフさんを見捨てるようなものだ。

 それは確かに、ありえないことだけどたとえば私がキリを倒したとしたら、どっちみち同じことにはなるといっても。

 ヨセフさんはとっくに寿命を迎えているんだとしても。

 完全無欠のハッピーエンドなんて、どこにもないってことなんだろうか。


「マリが気にすることじゃないよ」


 キリは微笑みを崩さずに言う。

 やわらかな声音で。私をいたわるみたいに。自分を戒めるみたいに。


「ヨセフの命の猶予を引き延ばしたのは、僕だ。人生を狂わせたって言ってもいい。本当は、僕が最後まで責任を持たなきゃいけなかった。マリは生まれ変わって罪がなくなると言ったけど、これだけは、僕が背負うべき罪だ」


 魔王としての罪、ではなく。

 キリの自主的な行動が生んだ、罪。

 それだけは、私も、キリから奪うことはできなさそうだ。

 その罪を、一緒に抱えていけたらいいと思う。半分にするんじゃなく、一人、ひとつ。同じ重さのものを。

 ヨセフさんの命は、私たちにとって、それだけの重みが、価値が、あるから。


「命……」


 ふと、魔王城に来たばかりのころの、厨房での会話を思い出した。


「ヨセフさんは……キリのために命を使いたいって、言ってた」


 それが、こういうことなの?

 だからヨセフさんは、キリの背中を押したの?

 ヨセフさんの犠牲によって、キリが生き続けるなら、救われるなら。

 ヨセフさんは望みを叶えたことになるんだ。


「いかにもヨセフが言いそうなことだね」


 こらえきれずにキリの口端が震えたのを、私の目は捉えてしまった。

 泣いているように見えた。



 いっそ、泣いてくれたらいいのにって、思った。







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