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21 「ねえ、僕の大切な人。僕の運命」



「僕を、殺してくれる?」


 聞き間違いかと思った。

 そうであればいいと願った。

 でも、その願いは現実にはならなかった。

 キリの満面の笑みが、それを、本心からの言葉だと告げていた。


「どういう……こと」


 問いかけは、ひどくかすれた声になった。

 何を、言っているの?

 頭が理解することを拒絶している。嘘だと言ってくれと叫んでいた。

 ゆうしゃはこんらんしている、なんて茶化せないくらい思考回路はぐちゃぐちゃだ。


「世界を救うには魔王を倒すしかない。魔王は存在するだけで世界を汚染する、災いを呼ぶ。そういう存在だから。僕を殺さない限り、世界は破滅に向かっていく。僕にはどんな武器もどんな術も通用しない。僕を殺せるのは、君の、勇者の願いだけ」


 いやだ、聞きたくない。それ以上は言わないで。

 それしか方法がないなんて、そんなこと、突きつけないで。

 他でもない魔王が、勇者に倒される側の魔王が、


「ねえマリア、僕の死を願ってくれる?」


 勇者に、殺してほしい、なんて、望まないで。

 私は、どうしたらいいのか、わからなくなってしまうから。


「なんで……なんで、そんなこと言うの。そんな、笑いながら、うれしそうに、なんてこと言うの。何言ってるかわかってるの!?」


 混乱した頭では、まともに言葉を組み立てることはできなかった。

 切れ切れの単語で、それでも憤りをぶつける。

 なんで、どうして、こんなのおかしい。

 キリは、いつも笑っていて、いつも優しくて、いつも私のことを考えてくれていて。

 魔物を消したことで私が壊れかけたことも、私が勇者の力を恐れていることも。

 私が、死んでもやりたくないことが何か、ということも、キリは知っているはずなのに。


「もちろんわかってるよ。だって、それが僕の願いだもの。最初から、ずっと最初から、僕は君に殺されることを夢見ていた。ああ、すごいドキドキするなぁ。やっと君がその気になってくれた。やっと、やっと僕は死ねるんだね」


 けれどキリは残酷に現実を突きつける。

 私に殺されたかったなんて、そんなこと思っていたなんて、全然知らなかった。

 バラ色に染まった頬、熱に浮かされたようにうるんだ瞳、心からのものだとわかる笑み。

 こんなキリ、初めて見る。

 だからこそこれが本当のキリなのだとわかってしまう。気づかされてしまう。

 今までのキリは、いったいなんだったのか。

 やめて、やめて、やめて!


「最初から……?」


 私はその言葉を聞き咎めた。

 震える声で、それでも気になって、私は言葉を続ける。


「最初から、って。じゃあ……今まで優しくしてくれたのは、全部。城下町で一緒に遊んでくれたのも、慰めてくれたのも、あのお城から連れ出してくれたのも、力の使い方を教えてくれたのも。全部、私に、殺してもらうため……なの……?」


 違う、と言ってほしかった。

 マリが心配だったんだ。マリのためを思って。そんなふうに言ってほしかった。

 でも、そうだ。

 私は思い出した。そして思い当たってしまった。

 キリは、あのとき、言った。


『僕はただ、あのままだとマリが壊れちゃうんじゃないかと思って。それは、嫌だったから』


 嫌だ、とはっきりそう言った。

 弱音を聞いてくれたし、帰れると断言してくれたし、一緒に暮らせるのがうれしいとも言ったけど。

 心配、とは、一言も言わなかった。


「そうだよ」


 非情とも思えるあっさりとした肯定。

 どうして、どうしてこんなに残酷な仕打ちができるのか。

 足元がガラガラと崩れていくのを感じる。

 今ここが水の中じゃなければ、へたり込んでいただろう。


「君が召喚された瞬間、僕は君を知覚した。僕は初めて神に感謝した。この十年、待ち望んでいた僕を殺すことのできる者。やっと、やっと終わるんだって歓喜した」


 キリの新緑の瞳が爛々と光り輝いている。

 こんな生き生きとした瞳を見るのは初めてで、今この時じゃなければうれしかったはずなのに、喜べるわけもなくて。

 ただただ、悲しくて、痛い。


「それからずっと、ずっと見ていたよ。早く僕を殺しに来てくれないかなって。君に魔王を倒すつもりがないみたいで僕はすごくがっかりしたんだ」


 そう、キリなら、魔王なら、視られる。

 透視だか千里眼だかわからないけど、時間の許す限り、誰にも知られることなく私の行動を覗き見ることができた。

 勇者として喚ばれて、現実だと受け入れていなかった私。渋々受け入れてからも逃げ回っていた私。ルルドの授業をやる気なく受けていた私。

 どこから、どこまで?

 きっと、全部だ。全部視られていた。

 私がキリの存在を知らないうちから、朝から晩まで。

 ストーカーじゃないか、ってなじる余裕すらも、今はない。


「君をもっとよく知るために接触した。君がとても優しく臆病な、普通の人間だって知った。憎しみで人を殺せる人間じゃないと知った」


 そりゃあそうだ。普通の人はそうだろう。

 人を殺すなんて、よっぽどのことだ。少なくとも現代日本では。

 通り魔とか、むしゃくしゃしたからとかもあるけど、そんなのは全体からすればごく一部。

 嫌いな人も、憎らしい人でも、みんななんとか折り合いをつけながらやり過ごしている。

 殺したいほど人を憎むなんて、普通にあることじゃない。


「勇者の願いは、心からの願いじゃないといけない。心の底から僕を殺したいと、僕に消えてほしいと願ってくれないと、現実にはならない」


 それは、もうわかっている。

 韻を力に、願いを現実に。

 勇者の力を発動させるには、正しい韻と、心からの願いが必要。

 だから、私がキリを殺すのは絶対に無理なんだ。

 無理、なのに。

 キリは、それを望んでいる。


「どうやったら君に殺してもらえる? 僕は考えた。そして気づいた。好きになってもらえばいい。僕の望みを受け入れてもらえるくらい、好きになってもらえればいい」


 ああ、ああ、ああ……。

 こんな残酷なことってあるだろうか。

 叶うことなら、そんな本心は一生聞きたくなかった。

 キリの優しさが、私への気遣いが、すべて、すべて、すべて!

 私に、キリを、殺してもらうためだった、なんて。

 そんなのって、ない。

 ひどいじゃないか。あんまりじゃないか。

 信じたくない、信じたくないけど、キリの瞳は湖の水面のように澄んでいて、嘘をついていないと言われなくてもわかってしまう。


「ねえ、マリア」


 キリが、私の名前を紡ぐ。

 呼んでほしいと頼んだ愛称ではなくて、そのままの名前で。

 チョコレートのように甘くて深い声音で、まるで愛しい人を呼ぶみたいに。


「君に殺してほしいって、僕が心から願ったら、どうする? それが僕の唯一の願いで、僕を救う唯一の方法だって言ったら」


 身体がカタカタと小刻みに震えるのを抑えられない。

 ぎゅうっと手を握りしめて、耐えることしかできない。

 できることなら、耳をふさいでしまいたい。

 でも、これが本当のキリなんだと思ったら、そうすることもできなかった。


「ねえ、僕の大切な人。僕の運命」


 どこまでも甘い甘い声。

 普通に聞けば愛の告白なのに、私には死刑宣告のように聞こえた。


「君は僕を、殺してくれる?」


 ああ、女神様。

 あなたはどこまで残酷なのですか。







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