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16 「小さな村で、家族三人はしあわせに暮らしていました」



「ほんの、十年ほど前の話だよ」


 キリはそんな前置きをしてから、話を始めた。

 ベッドの中で向き合いながら、私はキリの声に耳を傾ける。


「森の中に、小さな小さな村がありました。小さな村の住人は、助け合いながら暮らしていました」


 まるで絵本の読み聞かせのような語り口。

 さらっと流したい、ということなのかもしれない。

 それだけこれから話す内容が、つらいものなのかもしれない。


「とある冬に、その村の若い夫妻が子どもを授かりました。夫妻は子どもに、リーフェと名づけました。女神に愛されし一葉、という意味の名前です。仲のいい両親に見守られながら、子どもはすくすくと育ちました。小さな村で、家族三人はしあわせに暮らしていました」


 リーフェ。

 それがキリのことだと、聞かなくてもわかった。

 本当の名前を知れて、うれしいような、今まで知らなかったんだなぁと少し寂しいような。

 でも、今まで教えてくれなかった名前を話したってことは、きっと全部話してくれるつもりなんだ、と思った。


「けれど平穏な日々は長くは続きませんでした。子どもが五歳になった年、世界の滅びの始まりは前触れもなくやってきました。その日は、特に何もない一日でした。子どもはいつもどおり母に寝かしつけられ、何事もなく一日が終わるはずでした」


 何がやってくるんだろう。どんな不幸が一家に訪れるんだろう。

 だってキリは魔王だ。今、この城に家族の姿はない。必ず別れがあるはずで……。

 続きを聞くのが怖くて、私はぎゅっとキリの手を握った。

 キリは包み込むように握り返して、私を安心させるように微笑んだ。


「夜中、ふと目を覚ましたのは、風を感じたからでした。窓でも閉め忘れたのかと目を開けると、星が見えました。なぜ外にいるのだろう、不思議に思ってあたりを見渡そうとした子どもは、自分の上に乗っている白いものに気づきました」


 白いもの、がなんなのか、私に考えさせるようにキリは少し間をあけた。

 考えてみてもわからなくて、私は視線で続きを促した。


「それは、骨でした。人間の骨。頭蓋骨が二つあるので、二人分だとわかりました。……それが自分の親だと、子どもは最初わかりませんでした」


 ヒッ、と声がもれたかもしれない。

 目が覚めたら、自分の上に両親の骨が乗っていたなんて。

 そんなのホラーだし、ホラー以上に……絶望的じゃないか。


「子どもはどんな悪夢だと、震え上がりました。大声で親を呼びました。けれど親は来ません。夢も覚めません。なぜなら両親は、すでに骨となり果てていたからです」


 身体がカタカタと小刻みに震える。

 キリの手をぎゅっと、力の限りに握りしめても、それでもまだ足りない。


「大声で泣き叫びながら、周囲を歩き回りました。怖くて怖くて、感覚が麻痺していて、子どもの手を握るようにしていた、指の骨を持ったまま。灯りがないのも怖くて、白い頭蓋骨を抱えて歩き回ります」


 その姿が、想像するだけで怖くて、哀しくて。

 もしも勇者の力で時間を遡れるなら、その時のキリを抱きしめてあげたいと思った。

 たった五歳の、小さな子どもが、どうしてそんな目に合わなきゃいけないの?


「けれど不思議なことに、周りには、人や家どころか、草一本生えていませんでした。剥き出しの大地に転がっているのは、骨、骨、骨。ほんの数時間前までは人だったはずの、もの。そう、一夜にして、村は跡形もなく滅ぼされたのです。力が目覚めた、魔王によって」


 ああ……と声がこぼれた。

 魔王の誕生。それは世界にとって希望が失われた日なのかもしれない。

 でも、キリにとっても同じことだったのだ。

 家族が、村が、それまでのキリを築いてきたもの、すべて。

 キリは奪われた側だ。魔王の力のせいで、キリも、不幸になった。


「魔王は泣いて泣いて泣いて、何日も何十日も泣いて過ごしました。けれど魔王は死ねません。魔王の力が、魔王を生かします。土が涙を吸い込み、いつのまにか大きな城を建てていました。森にはおぞましい怪物が跋扈するようになりました。魔王誕生を、誰もが理解しました」


 この城はキリの嘆きから生まれたのか。

 だから、なのかもしれない。

 キリの部屋だけじゃなく、この城全体が、どこかもの寂しく感じるのは。


「それから、十年。魔王は今も、自分の生まれた村があった場所に建てた魔王城で暮らしています」


 長い話を終わらせたキリは、私にあいたほうの手を伸ばしてきた。

 その手が、私の目尻に触れて、そうっと撫ぜる。

 ぽろぽろとこぼれた涙で、キリの指が濡れた。


「泣かせたいわけじゃなかったんだけど」

「だ、だって、しょうがないじゃん」


 嗚咽混じりに、言い訳を試みる。

 でも、何をどう言えばいいのか、わからなかった。

 かわいそう。かなしかった。つらかったね。

 きっとどれも正解じゃない。正解なんてないのかもしれない。


「リーフェ……」


 気づいたら私の口は、キリの本当の名前を紡いでいた。

 どうしても、呼びたくなった。

 私が適当につけた名前とは違う、キリの本質を表す本当の名前。

 キリが、今はもう亡くなってしまった両親に、愛されていた確かな証。

 初めて口にした名前は、意外なほどに舌になじんだ。


 キリは目をまん丸にして、硬直した。

 それからふんわりと、今まで見たことないような、しあわせでとろけそうな笑顔を見せた。

 今度はその笑顔に私が固まる番だった。


「ダメだよ、マリア」


 キリは笑みを浮かべたまま、私の唇に指先を軽く押し当てた。


「魔王の名前は穢れているから、あまり呼んでは、ダメ」

「でも、いい名前なのに」

「いい名前、かなぁ。神に愛されていたなら、僕はなんで今ここにいるんだろうね」


 あ。

 言ってはいけないことを、言ってしまったのかもしれない。そう遅れて気づいた。

 両親に愛されてつけられた名前も、自分の力が両親の命を奪ったキリには、つらいだけのものなのかもしれない。

 神に愛されし一葉。けれどキリは魔王になってしまった。

 大切なものはすべて自分の中の魔王の力によって壊してしまって、失われてしまった。

 皮肉、という言葉がこれほど当てはまることもない。


「……ごめん」

「マリが謝ることはないよ。僕は自分の名前が好きではないというだけ」


 そう言ってもらえても、申し訳なさはなくならない。

 私だって、愛美とか名前をつけられて、誰からも愛されずに育ったりしたら間違いなくグレるだろう。

 キリは愛されていた。そしてきっと、キリも両親を愛していた。だからこそ余計に、悲劇だ。

 魔王となってしまったキリが、自分の大層な名前を嫌いになるのは仕方ないことかもしれない。



 でも、だったらどうして。

 私が名前を呼んだとき、あんなにうれしそうな顔をしたんだろう。

 その疑問を問いかける勇気は、今の私にはなかった。







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