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12 「《勇者の力はキリを傷つけない》」



「僕は魔王。この世界に滅びをもたらす存在」


 驚きはなかった。

 ああそうだったのか、と納得すらした。

 少し考えればすぐわかる。最初から、キリはとても怪しかった。こんな立派な城に連れてこられるまでは、まさか魔王だなんて思ってはいなかったけど。

 初めて町に下りたその日に声をかけてきたこと。名前を名乗らなかったこと。私が町に行くたびに、待ち伏せしていたんじゃないかってくらいの絶妙なタイミングで姿を現したこと。少年術士と言い合いになって、私が一番弱っていたあのとき、一般人は簡単に入れないはずの城内にいたこと。誰も知らないはずの魔王について教えてくれたこと。

 疑う理由ならいくらでもあった。そのすべてから、私は今までずっと、目をそらしてきていた。何かとこじつけて、気づかないふりをしていた。

 キリは、実は私の敵側の立ち位置にいるのかもしれない、なんて考えたくなかった。

 唯一の友だちを、味方を、失いたくなかったから。


 でも、さすがにそんなことをいつまでも続けていられるわけもなかったらしい。

 遅かれ早かれ、この現実は私の前に突きつけられただろう。

 私が勇者という肩書きを持っている以上、避けては通れない。

 キリは、私をどうするつもりなんだろうか。

 魔王にとって最大にして唯一の敵である、勇者を。


「僕にマリを害するつもりはないよ。もし傷つけたり殺したりしたいなら、ここまで連れてこなくてもいくらでも方法はあったしね」


 キリの言うとおりだ。勇者の力を自覚していなかった私を殺すのなんて、信頼を勝ち得ていたキリには造作もないことだったはず。魔王の力を使う必要もなかった。

 たとえば、時計台にのぼったとき、後ろから突き落とすだけでよかった。それだけで全部終わった。

 魔王の手にかかったことすら誰にも知られることなく、勇者を葬ることができた。

 初めて会ったときから、今に至るまで、キリからは悪意も害意も感じない。普通の友だちに接するように気安く、親切で。

 本当に魔王なのか、自己申告された今でも疑いたくなるくらいには、緊張感やら緊迫感やらが欠けている。


「僕はただ、あのままだとマリが壊れちゃうんじゃないかと思って。それは、嫌だったから」


 私の、ため?

 じっとキリの瞳を見つめても、新緑は優しく私を映すだけ。

 信じてもいいのかな。キリは、キリだけは本当に私の味方だって。

 勇者とか魔王とか関係なく、私を助けてくれたんだって。

 限界だった私の心を、そっと包み込むようにしてすくい出してくれた。

 私は、キリに寄りかかってもいいのかな?


「ねえ、マリ。声を出すのが怖い?」


 キリは唐突に話を変えた。そして、直球で図星を刺された。

 昨日から、キリの前で一言も言葉を発していない。バレるのも当然だろう。

 そのとおりだったから、私はこくりとうなずいた。


「勇者の力を発動させたくないんだね。ううん、僕を傷つけてしまうかもしれないから、かな」


 またしても図星だ。どうしてキリはそんなに私の心を読むのがうまいんだろう。

 魔王っていうのは読心術も取得しているものなんだろうか。


「今の君は力の舵取りができていない。言葉に油が塗りたくられているようなものだ。願いという、ほんの少しの火花で簡単に火がつく。大火事になる。マリも、それを恐れているんでしょう?」


 キリの問いかけに小さくうなずき、私はそのままうつむく。

 ぎゅっと、ひざの上で手を握る。それでも震えが止まらない。

 町を蹂躙していた魔物。一方的で圧倒的な暴力だった。町の人たちは逃げることしかできなかった。

 術士だって、一匹ずつ対処するしかなかった魔物たち。

 それを、私は一瞬で消し去ってしまった。

 あのとき、町を覆ったしろい光は……死の色をしていた。


「力の制御はおいおい覚えていくしかないけど、とりあえずの処置をしようか」


 ……処置? 

 その言葉に、私はぱっと顔を上げた。

 何か、この力をどうにかできる方法がある?

 藁にもすがるような気持ちで、全神経をキリに集中した。

 そんな私に、あくまでキリはいつもどおり、あわい微笑みを向けた。


「マリ、願ってごらん。マリの力は僕に危害を加えられない。そう、自分で自分に術をかければいい」


 キリの提示した解決策は、とても単純なものだった。

 なるほど、盲点だった。

 願いに、言葉に力があるのなら、それを利用すればいい。

 どうやって力を使ったのかも理解していないのに、できるかどうかはわからない。

 でも、やってみる価値はある。


「わたしは……」


 気持ち的には久々に、喉を震わせた。

 まだ恐怖が消えないからか、小さくて通りの悪い、情けない声。

 それでも、大丈夫。気にしなくていい。

 強い、心からの願いがあれば。

 言葉は、現実になるはずだ。


「《私はキリに危害を加えられない。勇者の力はキリを傷つけない》」


 言い終えた直後、しろい光が舞って、私の身体の中に吸い込まれていった。

 身体がわずかに重くなったように感じた。枷がはめられたのだと、言われずともわかった。

 勇者に与えられた神の力は、絶対。

 自己暗示なんかよりも強力な、絶対の韻。

 これで私は、勇者の力は、キリを傷つけられない。


「うん、これで大丈夫だね」


 キリは私を安心させるように、ふふっと笑ってみせた。

 もしかしたら、これがキリの作戦だったりするのかもしれない。

 魔王を倒せないよう、勇者の力を封じるために。そのために私を助けたのかもしれない。

 ちらりと、そんなことを思った。

 でも、今の私には、そんなのはどうでもいいことだった。

 私を追いつめるばかりのこの世界の中で、手を差し伸べてくれたのは、キリだけだった。

 それだけが、私にとっての真実だ。


「キリ……わたし……」


 馬鹿みたいに震えた声が、行き場を見つけて口から飛び出した。

 もう、声を出しても大丈夫。もう私は、キリを傷つける心配はない。

 キリが何を思っていたってかまわない。どうせ私にキリを傷つけることなんて、キリを倒すことなんて、できっこないんだから。

 顔も姿も何も知らない魔王すら、倒せないと逃げていた私が、この世界でたった一人の友だちをどうにかできるわけがない。

 彼の前で自分の声を封じていたのが、最たる証拠だ。


「こわかったの。この世界も、周りの期待も、全部」

「うん」


 言葉にすることのできなかった弱音が、涙と一緒にこぼれた。

 キリは優しい微笑みで、相づちを打った。

 もっと話していいよ。なんでも聞くよ。そう言われているみたいだった。

 心の中にあったブレーキが完全に壊れた音が聞こえた。


「この力も、自分が自分じゃなくなっちゃったみたいで。こんな力、いらなかったのに。こんなの使えるわけないのに」

「うん」

「こわくて、全部放っぽって逃げてきちゃって、きっと今ごろ城は大騒ぎだろうけど、逃げ出せて安心しちゃってる自分もいて」

「うん」

「キリが魔王って聞いても、キリを嫌いになったり、キリを恨んだりとかできなくて。勇者失格だけど、そもそも勇者になんてなりたいって思ったこと一度もないし」

「うん」


 延々と、不安と不満のオンパレード。

 向かいに座っていたキリは、気づくと傍まで来ていて、そっと私を抱き寄せてくれた。

 ぬくもりに身体の力が抜けていって、自然と彼にもたれかかる体勢になった。

 キリの腕の中という安全地帯に囲われて、余計に涙があふれてきた。この世界に来てから、すっかり涙もろくなってしまった。

 私、こんなに泣き虫じゃなかったのにな。ほんと嫌になる。


「もう……やだなぁ。普通の、なんにも力を持ってなかった私に、戻りたい。日本に……かえりたい……」

「うん」


 すがりつくみたいにキリの背中に手を回して、キリの胸に顔をうずめる。

 トクン、トクン、心音を感じる。

 魔王だって、人間と同じように生きてるっていう、証。やっぱり殺せるわけがないじゃないか。

 勇者に魔王は倒せない。私に世界は救えない。

 何もできない勇者なんて、さっさとこの世界から放り出してくれればいいのに。

 私はどうして、この世界にいるんだろう。


「キリは、魔王の力で、私を元の世界に帰せたり、しない?」

「ごめんね、僕も世界を越える方法はわからないんだ」

「私は……帰れないのかな……?」


 それは、不安であり恐怖であり、絶望だった。

 家、近所、学校、通学路。決して広くはなかった私の日常が、私の世界が、今はもう遠くて、手が届かなくて。

 自分の足元も、今まで歩んできた道も、これから進むはずだった道も何もかもが闇に包まれて、見えなくなった。

 もう、ほんの小さな一歩だって、足を踏み出すのが怖い。

 この道の先に、元の世界はあるのかな。家族は、友だちはいるのかな。

 帰りたい。会いたい。……でも、帰れなかったらどうしよう?


「マリは帰れる」


 まっくらなトンネルの先に、ぽうっと光が浮かび上がるみたいに。

 力強い声が、私の黒く染まりかけた心に響きわたった。


「……どうして、そんなに自信満々なの」

「だって、マリがそう願っているでしょう、心の底から。勇者の願いは、必ず叶うものだ。大丈夫、きっと方法はあるよ」


 なんの根拠もない、非現実的な確約。

 勇者の力というものがすごいのはもうわかっているけど、その勇者の願いですら、帰りたいという願いは叶えられなかったのに。

 気休めなんていらない。その場しのぎの慰めなんてくそくらえ。そう、言うこともできる。

 でも……なんでだろう、涙が止まった。

 キリの言葉には、不思議な説得力があった。

 私は元の世界に帰ることができると、キリは欠片も疑っていない。そんな気がした。


「帰れる……のかな」

「うん、心配しなくても大丈夫。帰る方法が見つかるまで、ここにいればいい」


 相変わらずド下手くそな手つきで私の頭を撫でながら、キリはそう提案した。

 いつもどおりの笑顔に、ほっとしてしまう。甘えたくなってしまう。


「私、ここにいてもいいのかな……?」


 戦うことを放棄した、役立たずな勇者。

 もう城には居場所はない。あそこにいたら、どうしたって私は勇者として求められる。

 だからって、勇者が魔王の城に居候なんて普通に考えておかしい。私にキリを倒す気がないとはいえ、一応は敵対関係のはずなんだから。

 そんな常識的な考え方に、どれだけの価値があるのかは、わからないけれど。


「僕は、うれしいけどな。マリアと一緒に暮らせるなんて」


 ふふふ、と楽しげに笑うキリを見ていると、本当に彼が魔王だなんて信じられなくて。

 一般常識というものにとらわれていることがなんだかバカバカしくなってくる。

 元々私はそんなに頭がいいほうじゃない。難しいことを考えられる脳みそは持っていない。

 キリがこう言ってくれてるんだし。他に行く場所もないんだし。

 あんまり深く考えなくてもいいのかなぁ、っていう気になってきてしまった。


「じゃあ、よろしく、キリ。居候させてもらいます」

「うん、よろしくね」


 涙が乾いた瞳で、キリと視線を交わす。

 身体を離して手を差し出せば、意図を汲み取って握手をしてくれた。


 この、手のぬくもりが。キリという存在が。

 私にとって、この世界で唯一の、希望だ。







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