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11 「ここには、君を傷つけるものは何もないよ」



「……?」


 まぶしさに目を閉じて、再び目を開けたら、そこは知らない部屋だった。

 ……この体験、これで二回目だ。

 今度は神殿なんかではなくて、普通の部屋だけれど。

 いや、普通って言うのはおかしい。城に住んでたせいで普通の基準が変になってる。

 わかりやすく言うなら、とても広い、城の中でも特に偉い人が暮らす部屋みたいだった。


「ここ? 僕の家の僕の部屋」


 いぶかしげにキリを見上げると、何を言いたいのかわかったらしく、そう答えが返ってきた。

 い、家……家っていうレベルじゃないんだけど。王城で勇者のために用意された部屋よりも広いんだけど。

 天井の高さからして、城とかそういった立派な建物なのはわかる。調度品とかが最低限しかないから豪奢な感じはしないけど、広さだけなら、王様の部屋って言われてもうなずけるくらいだ。

 広いからこそ……物がなさすぎて、彩りが足りなさすぎて、もの寂しさが漂っている。


「まずは休んだほうがいい。僕の隣の部屋でいいかな」


 異論はなかったからこくんとうなずく。

 あそこから逃してくれただけでありがたいのに、こんなに立派な家だなんて。家……と呼んでいいのかは、今は考えないことにしておく。

 キリに手を引かれて隣の部屋に移動する。廊下も広くて、この建物の大きさを思い知らされた。キリ、いったいどんな大富豪なの……。

 隣も、机と椅子と棚があるくらいの、最低限にしか物が置いてない部屋だった。そしてやっぱり、同じくらい広い。ほこり臭いから、長い間使われていなかったんだろう。

 キリは私の手を握る力を少しだけ強めて、そして、


「《この部屋のほこりは窓の外に飛んでいく。虫、菌、その他、人の身体に害になるものは消滅する》」


 声が、朗々と響いた。


「――っ!?」


 しろい光と共に、風が巻き起こった。

 カーテンが風ではためき、家具は音を立てて揺れ、開かれた窓からほこりが飛んでいく。

 キリの、言葉のとおりに。

 この世界に来て、魔法の存在には慣れたつもりでいた。

 私の身体がそもそも魔法を使ったみたいに軽くなっていたし、追いかけっこのときに魔法を使う人もいたし、術士の訓練なんかも見かけたことがあるし。

 でも、キリの魔法は根本的に何かが違っていた。

 誰が使うものよりも、きれいだった。


「これでよし。何か必要なものがあったら言って。たいていのものなら出せると思う」


 私を振り返って、キリは笑顔で言う。気遣いは無用、というように。

 出せると思う、って。用意できる、じゃないんだ。魔法で、出すんだよね。

 キリが魔法を使えるなんて、今の今まで知らなかった。キリは秘密主義だから、王都でよく遊ぶことと、年齢くらいしか、考えてみれば本当の名前すら知らない。

 王城からここに転移したのも、キリの魔法だろう。いや、その前、私の部屋に入ってきたのだって。

 魔法を使えるという、そんな大事なことを秘密にされていたのは、ちょっとショックだ。でも、今はそんなことにまで心を動かしているだけの余裕がなかった。


「こっち」


 おとなしくキリについてくと、つながっている寝室に入って、ベッドの前で立ち止まった。

 そうして、私をベッドに腰掛けさせて、隣に自分も座った。


「今は、寝て。ほとんど寝れなかったんでしょう? ひどい顔してる」


 つないでいないほうの手で、私の頬に触れる。

 少しひんやりとした手が、頬を撫でて、目尻をなぞって。

 クマでもできているのかなぁ。一日半の間、何も口にしていないし、吐いたし、顔色も悪いのかもしれない。そもそもさっきだいぶ泣いたから、それだけでもすごい顔をしているだろう。

 心配そうな色を宿した新緑の瞳が、手のぬくもりよりもあたたかい。

 そんなふうに、キリが、この世界で唯一の私の味方みたいな顔をするから。

 私はもっと、もっと、甘えたくなってしまう。心が弱っている今は、際限なく求めてしまう。

 キリとつないでいる手に力を込めて、もう片方の手でも、きゅ、とキリの裾を引く。

 ひとりにしないで、と言うように。


「……一人じゃ寝れない?」


 こくん、またうなずく。

 言わなくてもわかってくれるのがうれしい。それだけ私のことを見て、考えてくれているんだと思うと、泣きたくなるくらいうれしい。


「寝るまで、一緒にいてあげる。手をつないでいてあげる。だから安心して寝て」


 私の心をほぐすような微笑みに、ぽろっと涙がこぼれ落ちた。

 さっき、あんなに泣いたのに。まだ泣き足りなかったんだろうか。

 いや、違うかな。ようやく安心できたからだ。私を苦しめるものから逃げることができたからだ。

 ずっと、つらかった。少しずつ少しずつ追いつめられていた。

 勇者の力で魔物を消し去ってしまったのは、もちろん大事だったけど、私に限界が来る最後の一撃でもあった。それよりも前から、降り積もっていたものがあった。

 ひとごろしを、求められること。

 私にとって、それは重荷以外の何物でもなかった。


「ここには、君を傷つけるものは何もないよ」


 静かに泣く私を、キリはそうなだめてくれた。

 うながされるままに、ベッドに横になる。さっきまでほこりにまみれていただろうベッドシーツは、まるで新品みたいにいい香りがした。

 ベッドの脇に座ったキリは、ちゃんと約束どおり手をつないでくれている。

 もう片方の手で、私の髪を梳く。子どもを寝かしつけるときみたいに。

 でもやっぱり、撫でるのと一緒で下手っぴだ。おもしろくてちょっと笑ってしまった。

 笑えるくらいには、ほんの少し心に余裕ができたらしい。


 ここがどこなのか、キリが何者なのか。疑問に思わないわけじゃない。

 厳重に守られているはずの城に、勇者の部屋に入り込んで、そこからまた別の場所に転移して。

 魔法を使うのに、術を組み立てる陣も、長い詠唱も必要としなかった。ただ、短い言葉だけ。キリの使う魔法は、術士の使うものとも、神官の使うものとも違った。

 もしかしたら、と少しだけ、予感はある。

 違う国の王子様? なんて、夢を見るほどバカじゃない。

 でも、もう、なんでもよかった。

 キリはキリだ。私を助けに来てくれた。私を嫌なものから逃がしてくれた。それだけでいい。


「おやすみ、マリア。いい夢を」


 やさしいやさしい声が、私の思考を奪う。

 今は何も、考えたくなかった。



  * * * *



 目を覚まして、一番最初に思ったことは、知らない天井を見るのも二回目だなぁ、ってことだった。

 でも、一回目の知らない天井と違って、落胆はしなかった。むしろ、ほっとした。あの城から逃げ出したのが、追いつめられた私の心が見せた都合のいい夢じゃなくてよかった。

 眠りが深かったのか、なんの夢も見なかった。それでよかったのかもしれない。だって、もし夢を見るとしたら、きっと魔物の襲撃の、私が持ってしまった恐ろしい力の夢だろうから。

 身体を起こすと、頭がぐらんっとした。間違いなく寝すぎだろう。

 ちょっとぼんやりするけど、嫌な気分ではなかった。むしろ、ぐっすり眠れてすっきりした気がする。


 他に置くところがなかったのか、広いベッドの隅っこのほうに、学生カバンとたたまれた制服があった。

 そっか、転移するときこれも一緒に持ってきてくれたのか。

 別にこれで何ができるってわけじゃないけど、あるだけでほっとする。

 汚したくないし、どこかにしまっておかないとな。


「おはよう、よく眠れた?」


 その声に顔を上げると、寝室の出入り口にキリが立っていた。

 私が気づくとすぐに歩み寄ってきて、私の顔を覗き込んでくる。


「ご飯は食べられそう? ここに運んできてもらおうか」


 ご飯……そういえば、お腹がすいた気がする。

 二日近く何も食べていないんだから、当然かもしれない。よく寝たことで、食欲も戻ってきたらしい。

 食べられる、という意思表示にうなずくと、キリはうれしそうに笑った。


「ちょうどお昼時なんだ。一緒に食べよう」


 お昼、と私は目をぱちくりとさせた。

 昨日寝た時間を正確には覚えていないけれど、たぶんいつもよりも早い時間だったはずだ。

 それからお昼までずっと寝ていたなんて……半日以上ぐっすりだったのか、私。そりゃあ頭もぐらぐらするわけだ。

 人間、どんなときでも睡眠と食事はちゃんと取らなきゃダメなんだね。そんな余裕もなかったから、しょうがないんだけどさ。


 どうやらこの家にはキリ以外に、使用人みたいな人がいるみたいで、扉の前まで食事を持ってきてくれたらしい。

 キリに出してもらった水桶で顔を洗って、キリに出してもらった服に着替えているうちに、部屋のほうに食事の準備が終わっていた。

 手で簡単に千切れるくらいやわらかい白パンに、ふわふわオムレツ。サラダに野菜スープ。おいしいけど、部屋の豪華さからすると、ずいぶんと質素な食事だ。

 もちろん、居候? の身の上だからわがままなんて言えないし、言うつもりもない。不満だって感じてない。ただちょっとミスマッチだなぁと思っただけだ。

 素朴な味に、日本にいたときを思い出して懐かしくなった。


「何があったのかはだいたい知ってるけど……」


 食べながら、キリは話し始めた。

 ついに来ちゃったか、と私はギクリとした。

 キリが知っているのは、勇者の力で町を襲撃していた魔物を消し去ったことだろう。あのときの周りの反応からすると、たった一日で王都中に広まっていたとしてもおかしくない。

 何を言われるんだろう、と心臓がバクバク音を立て初めた。

 だって、キリは、たぶん。


「だいじょうぶ?」


 その問いに、私は食べていた手を止めて、うつむいた。

 また、泣いてしまいそうになったから。

 何よりもまず、私を心配してくれるキリ。彼はやっぱり私の唯一と言ってもいい味方だ。

 うれしくて、大丈夫と返したいのに、言葉にできなかった。

 声が、出なかった。


 大丈夫、なんだろうか、私は。

 何を指して大丈夫って言えるんだろうか。

 力が、怖い。勇者の力。神の力。私には過ぎたるものだ。扱える気がしない。

 フォークを置いて、自分の手のひらを見つめる。

 武器なんて持たなくていい。そんなのは必要ない。願って、声に出せばいい。それだけで勇者の力は発動する。

 ……声を出すのが、こわい。


「そう、わかった」


 何も言っていないのに、キリはそう話を切り上げた。

 顔を上げれば、キリはいつもどおりの微笑みを浮かべていた。


「無理に元気を出す必要はないよ。ここには君を害そうとする者も、君を追いつめる者もいない。なんでも好きなことをして過ごせばいい。いつまでだっていてくれてかまわない」


 なんでもないことのように、キリは言う。

 今日のお昼は特別にA定食のカツを一切れあげるよ、と友だちに言うみたいな気軽さで。

 事実、キリにとっては私をかくまうことくらい、わけないんだろう。

 キリの正体が、私の予想しているとおりなら。


「マリももうわかっているかもしれないけど、改めて自己紹介するね」


 ああ、ついに来てしまった。

 いつまでもあいまいなままにはしていられない。

 ずっと目を背けていた事実から、もう、逃げられない。


「僕は魔王。この世界に滅びをもたらす存在」


 やっぱりかぁ、と思った。

 悲しいのか、悔しいのか、よくわからなかった。

 魔王は悪しき存在。世界を滅ぼす存在。魔王を倒さなければ世界は救われない。そんな話ばかり飽きるほどに聞かされてきた。

 でも、私を救ってくれたのも、私の味方になってくれたのも、キリ……魔王だけだった。


「魔王である僕が、勇者である君を保護する。なんだかとっても皮肉だね」


 ふふふっと笑うキリに、そうだね、と同意することは、さすがにできなかった。







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