眠り姫が笑った日
「愛海、起きた? 俺がわかる?」
愛海は、ゆっくりと顔を向けた。
「遥……くん…?」
その声はまだ少しかすれていた。
俺は少し顔を近づけた。
「ああ、そうだよ。
ったく、お前寝過ぎ」
俺が冗談ぽくそう言うと、愛海は少しだけ微笑んだ。
「猫ちゃんは?」
「無事だよ。今は成瀬が預かってくれてる」
「そう… よかった…」
今にも消え入りそうな声だ。
「さあ、まだちゃんと回復してないんだ
もう少し休め」
そう言ってシーツをかけ直そうとすると
「ねぇ、遥くん」
「ん?」
「私、遥くんに話したい事があるの」
俺もだよ!
今にも飛び出しそうな言葉を飲み込んだ
そんな事を言ったらきっとこいつは…
「いっぱいあるの。話たい事がたくさん
だから…」
ほらな…
全く、こいつときたらこんな時まで…
「だぁめ。
後でいくらでも聞いてやるからとにかく今は休め」
まるで小さな子供を諭すように言い、少しだけ見えていた愛海の華奢な肩をシーツで覆った。すると、愛海は静かに
「うん…」
と、頷いた。
だが、その顔はなんともいえない不安な色を浮かべていた。
「愛海、手、出せる?」
シーツの端から見えていた指が微かに動いた
俺はその手を両手で包み込み
「手、繋いでてやる。愛海が眠ってもずっと
ずっと繋いでてやるから。
俺は何処にも行かない。だから安心しろ」
そう言うと、愛海は安心したのか、顔からは不安の色は消え、小さくコクリと頷いた。
そしてその目が閉じる直前
「愛海…」
その呼びかけに、少しだか潤んだ瞳が俺を
見る。
ゆっくりと繰り返される瞬きさえ愛しい
俺はその顔をしばらく見ていた。
何も言わない俺に、愛海は、どうしたの?と目で訴えた。
俺はその目を深く見つめながら
「おかえり…」
その言葉を受け取った愛海は、ゆっくりと笑った。
小さな八重歯とえくぼをみせながら。
光の中、俺の目の前で
眠り姫は笑った…
愛海が、何故目を覚まさなかったのか
何故、突然危篤状態に陥ったのか、
何故、何事も無く意識が回復したのか。
結局、その原因は医者にもわからなかったらしい。
もしかしたら、愛海は、正真正銘、現代に生きる眠り姫だったのかもしれない。
御伽噺に出てくるような毒リンゴや、王子様のキスみたいな気の利いた演出はいっさいなかったけど、愛海は俺のもとへとかえってきてくれた。
それが奇跡だったのか、ただ運が良かっただけなのか、医学上何もわからないのであれはそれはそれで結果オーライ
ただ、大事な人が突然目の前からいなくなる
そんな事、誰だってすぐに受け入れることなんて出来ない。
だけど、どれだけ辛くても受け入れなければ決して前には進めない。
それに気づけなかった俺は、立ち止まったまま動こうとしなかった。
怖かったんだ。
ただただ怖かった。
俺は、心の何処かで愛海が目を覚ます事を恐れていた。
もしその時が訪れたとして、
愛海が自分を必要としていなかったら、
そう思うと怖かった。
いっそこのまま…
一瞬だけだが、そう思った事もあった。
寂しそうに笑うおばさんの横でそんな事を思っていたんだ。
俺は、心底、自分が嫌になった。
だから、俺は
目の前で起きていることを全て拒否し、
愛海を心の奥底に閉じ込めた。
逃げたんだ。
俺は…
愛海はそんな俺の弱さを知っていたんだ。
だから俺をあの場所へ導いた。
大丈夫だから…って
そういう事だよな
ムチャ…
あの時、最後にお前は俺にこう言ったんだろ
……またね……って
人の心や思いは、複雑で、繊細で、儚くて、脆い。
一本一本、大切に紡がれた糸のように。
俺たちの糸は、小さな女の子の活躍によって再び繋がった。
これは臆測でも自惚れでもない。
眠りについてもなお、強く握り返してくるこの手を見れば明白だ。
この先、何が起こるかはわからないけれど
俺は、この糸を二度と傷つけないよう大切に守っていく。
一人ではなく二人で。
たくさん話をしよう
たくさん。
時間も忘れるくらいに。
お前には言いたい事が山ほどあるんだ。
正直、逸る気持ちでいっぱいだ。
早く目を覚ませ。
そんな風にも思う。
でも、今は愛海の生きた温もりを感じていられるこの時が何より愛しい。
だから俺は、今のこの時がずっと続けばいいのに…
そう願わずにはいられなかった。
はじめまして
吉田琥珀と申します。
お話を書いたのはこれが初めてではありませんが、投稿したのはこれが初めてです。
なので、読みにくい所や誤字脱字、多々あったかもしれませんが、途中まで読んでくださった方、最後まで読んでくださった方、
全ての方々にありがとうございます。
実は、このお話には続編がありまして。
とは言っても、主人公は遥人ではなく、その友人の成瀬 樹。
遥人と愛海のその後、なんかもでてきたりしますので、もし興味を持たれた方は一話目だけでも読んでみて下さい。
お話はもう出来上がっていますので、順次
投稿していきたいと思っています。
なお、コマカ島は実在しますが、その他の店舗などは一部フィクションとなっておりますので、ご了承下さい。
ありがとうございました。