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人形葬

山陰地方のとある農村。

ここには一風変わった風習が今でも存在している。


人が亡くなった際に、日本人形の体内に遺骨の一部を納め、その顔に遺影を貼り付け供養するというものだ。この村では「人形葬」と呼ばれている。


この村では、故人が出た場合、当日もしくは翌日に生仏で仮通夜が執り行われ、その翌日に火葬され、例の人形が用意された後、本通夜が行われる。

通常の葬式で遺影が飾られる場所に、故人の生前の顔写真が張り付けられた日本人形が鎮座しているのだ。


また、この村では村民全員が村独自の宗教観を持っている。

故人の魂はあの世へ行くための準備期間として一年間必要であり、その間、憑代として人形を必要とするのだそうだ。一年間は故人の家(無縁仏の場合は寺)に飾られ、供養される。この時、人形には魂が宿っていると考えられているため、遺族にとっては故人との最後の別れの期間になるわけだ。

そして一年が経過すると、人形は寺にてお焚き上げされる。

極稀に遺族が人形の焚き上げを拒否する場合があるが、一年以上魂が籠った人形は中の魂を悪霊に変化させてしまうという教えがあるため、寺の住職含め村の権力者総出となって、そうした遺族を説得するらしい。私がこの村に嫁いできてから、かれこれ十年になるが、そのような例が一件だけあった。


六年前のとある夏の夜、今年三十歳を迎えたばかりの男性が突然の病にてこの世を去った。一人息子のこの男性は、六十代の両親と親子三人で農業を営んで暮らしており、人当りが良く、村の祭りでは率先して若い衆の取り纏め役を務めていたりなどしていた。口癖のように「三十路になる前には結婚してぇなぁ。」と呟いていたが、結局叶わぬ夢となってしまった。村の中では特に目立つ巨漢で、一番の力持ちだった。反面、いわゆる生活習慣病に悩まされており、常に薬を持ち歩いていた。

その日の朝、いつもであれば真っ先に起きて仕事の準備をしているはずのこの男性が、いつまで経っても起きてこないので、不審に思った母親が様子を見に行くと、男性は畳に突っ伏して倒れていた。心筋梗塞だった。胸の苦しみで目が覚め、助けを呼びに這いつくばって部屋から出ようとしたところで力尽きたのだった。

葬儀の日、跡取り息子を突然失った両親の表情は、見るに堪えなかった。それは悲壮を通り越し、茫然自失といったような状態だった。村の人達の励ましの言葉へも空返事で魂が抜けているようだった。そして、葬儀の帰り道、母親の手の中には、生前の写真が括り付けられた日本人形が大事に大事に抱かれていた。


私は未だにこの風習に慣れることができないでいる。

嫁いできて十年、村のお葬式には何度も参列しているが、この人形を見るとどうも鳥肌が立って仕方がないのだ。故人の写真を括り付けている状態の日本人形は、はっきり言ってあまりに不気味なのである。そして本当に魂が乗り移っているかのような迫力を感じるのだ。先月嫁いで来たお隣の奥さんも、この風習にはかなり面喰っているようで、先日の村長さんの葬儀では、人形を見た瞬間「ひっ」と短い悲鳴を上げてしまっていた。


さて、男性の日本人形を持ち帰った両親は一年の間、その人形を我が子の生まれ変わりのように毎日可愛がり、仕事の際も肌身離さずといった感じで、軽トラックの助手席に座らせて作物の出荷作業を行っている様子なども目撃されていた。村の人達はそんな両親の病的な人形への溺愛ぶりに眉をひそめ、同時に一つの懸念を皆が抱いていた。お焚き上げの日に人形を持ってくるのだろうかと。

案の定、皆の懸念は現実のものとなった。両親はお焚き上げを拒否したのだ。二度も息子を失いたくない。悪霊になろうとも息子は息子だ。我々で責任をとるから、放っといてくれ、と。そこで寺の住職、当時の村長、村役場の職員、村の大地主さんなどが総出となって両親を説得し、どういうやり取りがあったかは私の知るところではないが、結果としてようやくお焚き上げをすることができたようだ。


一年という期間は、村の教えでは死者があの世へ行くための準備期間とされているが、実際は残された遺族が故人との別れを受け止め、明日へ進むための心を養うための緩衝期間なのだと思う。この両親の場合は、跡取り息子との別れという現実を受け入れきれずに、人形に依存してしまったのだ。ただ、最近ではようやく立ち直ったようで、隣町の農業学校に非常勤講師として夫婦で招かれ、自分たちの畑を使って学生に農業を教えている。息子は若い人達の世話が大好きだった。私たちの畑を使って若い農家を目指す学生さんが育ってくれれば、息子もあの世で喜んでくれるだろう。と村の集会で出会う度にその話を夫婦そろってしてくれる。私含め村の人達は、優しい笑顔でこの夫婦の話を毎回聞いてあげる。



三年前の話になるが、いつもは静かなこの農村で殺人事件が起こった。

被害者は近所の家の一人娘で、今年8歳になるはずだったY子ちゃんだった。


Y子ちゃんは人通りの極めて少ない山林の路上で、首をロープで絞められて殺害されていた。乱暴された形跡こそなかったが、衣服は脱がされ、全裸の状態で遺体が発見された。

県警の必死の捜査も実らず、間もなく一年の月日が経過するところであった。


Y子ちゃんの人形のお焚き上げの日、そこには報道関係者、地元警察、村民合わせて約百人が参列していた。写真は若干色褪せてはいたが、元気だったころのY子ちゃんの面影がおさめられており、両親は涙ぐみながら人形を寺の住職に手渡し、最前列のパイプ椅子に腰かけた。住職は寺の中に人形を一旦持ち込み、読経が始まった。お焚き上げの前に事前に魂を鎮めるためだそうだ。十五分くらいして住職が人形とともに出てくると、いよいよY子ちゃんの人形のお焚き上げの儀が始まった。

住職が読経を始めると、寺のお坊さんが壺に入ったガソリンを柄杓で巻きだし、辺り一面にガソリン臭が漂いだした。そして蝋燭を投げ入れて人形に火がつけられた。炎は瞬く間に人形に燃え移ったが、真っ先に写真に火が移り、写真を消し炭にした。その瞬間、どこからともなく悲鳴があがった。悲鳴の主は最前列に座っていたY子ちゃんの母親だった。最初の悲鳴を皮切りに続々と新たな悲鳴が上がり、その場は騒然となった。住職も読経を一時中断せざるを得なかった。


「これは一体どういうことだ。」


住職が怒りを含む声色でそう呟くと、その後ろでは、最初に悲鳴を上げた母親が頭を抱えて震えている。父親は目の焦点が定まらず、口からは何かうわごとをぶつぶつと呟いていた。両者とも顔からは完全に血の気が引いており、それこそ日本人形のように蒼白であった。

写真がはがれたその裏には、本来優しげな微笑みを湛えた日本人形の顔があるべきそこに、この世の全ての憎しみを凝縮したかのような鬼の形相があったのだ。そしてその視線はしっかりと彼女の両親に向けられていた。

炎の勢いが強まり、完全に人形は炎に包まれてしまったが、そこに参列した人々の脳裏に、その恐ろしい表情はくっきりと焼き付けられた。そして同時に、Y子ちゃんの身に何が起こったのかを皆が察した。

両親は参列者に取り囲まれ、人形の表情の原因について思い当たる節はないのか散々問い詰められ、ついにその罪を自供した。母親は恐ろしさのあまり、がくがくと震えながら必死にY子ちゃんに許しを乞うていた。


狭い村である。

村民の誰もが、この両親が犯人であることに感づいていた。

Y子ちゃん一家は、三人家族であったが、母親とはY子ちゃんが幼いころに死別しており、すぐに新しい義理の母が家にやってきていた。義理の母はY子ちゃんの事を疎ましく思っており、度々暴力を振るっていた。父親は非常に気の弱い男で、その暴力を止めることができないでいた。Y子ちゃんは気丈に振る舞っており、学校の先生でさえ虐待に気づかなかったが、プール学習の際、友人の児童が腕のあざを発見した。先生に相談し、詳しく診たところ、背中や腹にかけて多数のあざが見つかり、虐待が発覚した。卑劣なことに、発見され難い場所を狙って暴力を振るっていたのである。

学校から県の児童相談所に通報があり、職員が度々面会に訪れている最中に今回の事件が起こったのだ。また、この男には外貨取引等で生じた多額の借金があり、Y子ちゃんの生命保険金がその返済に補填されていた事も、この両親の犯行を匂わせる一因となっていた。

しかしながら、犯行の物的証拠は何も見つからず、事件は迷宮入りの様相を呈しており、村民達は焦っていた。そんな中、事を切り出したのは住職である。住職はもはや警察の捜査に頼っていては埒が明かないと判断し、両親を自供に追い込む手だてを考えていたのである。

寺で行われた密会にて披露されたのは、住職の知り合いの人形師に作らせた鬼の形相を呈したあの人形であった。私と主人もその密会に呼ばれたが、その表情の恐ろしさには息を飲むものがあった。

住職はお焚き上げの当日、Y子ちゃんの人形とこの鬼人形をすり替えたのである。

この住職の一世一代のトリックによって、この鬼畜両親は罪を認め、現在は保険金殺人の被告人として公判中である。

また、後に聞いた話だが、事件発生当時からこの両親を疑っていた住職は、Y子ちゃんを人形の体内に納骨しなかったらしい。住職によれば、自分を殺した者たちの家に一年も閉じ込められ、保険金の使い道だの罪を逃れるための作戦だのを聞かされるのは堪えがたいだろう。ならば、先立たれた実母の近くで一年を過ごさせてやりたいと思ったのだ。との事。

Y子ちゃんの本当の人形は寺の一室にて大事に飾られていたそうだ。

そしてY子ちゃんの人形は寺の関係者数名で後日改めて手厚くお焚き上げされたそうだ。



さて、明日は私が十年間連れ添った主人との最後のお別れの日だ。

主人が亡くなって早一年が経つ。最初に書いたが主人のものとはいえ、やはりこの人形は不気味だ。未だに鳥肌も立つ。でもこれは単に不気味だからとかではなく、死者への畏怖というかやはり何かが宿っている迫力なのだと思う。そして不思議な愛着が湧く。今風の言葉で例えるのなら“きもかわいい”とでもいうのだろうか。まあ、そんな人形とも明日でお別れだ。この一年間は主人と、そして優しくとても賢い村の人達との思い出を振り返る一年だった。村の人達からは、いくつもの励ましの言葉をいただいた。一人息子を亡くした老夫婦からも、私がかつて彼らに掛けてあげた何倍もの言葉で励ましていただいた。明日、主人の人形のお焚き上げを済ませたらこの村ともお別れだ。私は県内にある実家に帰ることを決めている。

主人のいないこの村に残る理由もないし、何より、自分が人形にされるのだけは勘弁してほしいから。


(この物語の登場人物、エピソードはすべてフィクションです)


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― 新着の感想 ―
[一言] 初めまして 短編新着からきました。 お話とても面白かったです(^O^) 引き込まれるように、次は次は?と読み進めてしまいました。思わずノンフィクションか?と思ったくらいです。 いやー…
2014/10/13 08:16 退会済み
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