打ち込まれた楔
(ふむ、やはり美人だ。ジジイな兄上には大分勿体ない気がする……)
将忠は、幸せそうに甘味を頬張る香炎に見惚れながら物思いに耽っていた。
(美人で気だても良さそうなのに……何で、侍の兄上なんかと一緒にいるんだ? って、かく言う俺も侍なんだけどね)
と、ぜんざいを頬張っていた香炎が徐に口を開いた。
「ねえ、ずっと気になってたんだけど……食べないの? 」
将忠の前には、抹茶のアイスクリーム。
だが既に溶けきっており、匙が浸って何とも情けない様相を呈している。
「ああ、お主に見惚れて、すっかり忘れていた……」
「まぁ……」
(場に合わせて)にっこりと愛想笑う香炎だが、目の前の将忠にはそれが分かっていない。
まあ、別に分からなくてもいいが、そういうタイプの男は特に扱いづらくて嫌いだ。
(お世辞も休み休み言いなさいな……全く、これだから子供は)
「それで、何ですの? その『お話』とは」
香炎は、ひやりとしたイヤな予感を察して居住まいを整えた。
この、見掛けに違わず軽い男のことだ。どうせ碌な話ではないだろう。
神妙な表情で居住まいを正し――将忠は言った。
「香炎殿、どうか私とお付き合い願えないでしょうか? 」
「……えぇ?」
些か態とらしく、驚いたフリ。
周囲には、突然話を振られて驚いているように見えることだろう。
(ほーら、やっぱりね。知った上での事だから、なおさら質の悪い)
「それは、できません」
「それは無理というものだ」
不意に重なった二つの声に、出端を挫かれた将忠は”ズベッ”と盛大にずっこけた。
「くっ、やはり来ましたか兄上……有りもしない会議などと嘘をついてまで、私を見張っていたんですねッ! 」
恨みがましく喰ってかかる将忠に、和隆は『嘘などと人聞きの悪い』と肩をすくめて見せたのだった。
「いや、何……香炎が心配でな」
「和隆さま……? 」
さり気なく肩を抱いて、和隆は香炎を胸板に引き寄せる。
「油断をするなと、言っていたであろう……全くお主は」
そして耳元で、どこか艶を含んだ声音で香炎を諫めた。
項に息がかかり、ぞくりと肌が粟立っていく感触を、香炎は刹那だけ目を閉じてやり過ごした。
「和隆さまこそ……私も、もう10やそこらの子供ではないのだから、心配しすぎですよ」
端から見れば仲のよい父娘に見えるのだが、実際はかなり微妙で曖昧な関係の二人。
親子でもなければ、恋人でもない。今のところは、単なる友人だ。
いい雰囲気になりかけていた二人を、将忠の毒入り咳払いが叩き割る。
「ったく、冗談じゃない。……ほら、兄上もいつまで香炎にひっついているんです。今は俺と彼女の時間なんですよ? 邪魔しないでいただきたい」
呆ける香炎を奪い取って、将忠は兄を強く睨めつけた。
「あ、あの……私困ります、もう決めた方がいるので…」
漸く合点した香炎は将忠の腕から逃れようと藻掻くが、少年の細腕の割に、意外と力強い力で引き戻されてしまう。
「では、お二人に訊きたいのですが……一体、お互いをどう思っているんでしょうかね? 」
「む……っ!」
「それは……」
同時に口をつぐんだ二人に薄ら笑いを浮かべながら、将忠は思いきり深く楔を打ち込んだ。
それが、結局は二人の絆をより強く結ばせるとも知らず……。
まだ若く浮ついた将忠には、『想い』の繊細さが理解できていなかった。
((『どう思っている? 』そんな事、他人に言われなくとも心はとうに決まっている。つくづく愚問だな))
「「私(儂)たちは……誰よりお互いを信じ、愛している」」
「なっ!」
揃い踏みして告げられた答えに、将忠は思わず息を呑んだ。
和隆は香炎を抱き寄せると微笑み、香炎もまた穏やかに微笑み返した。
その様子の、なんと自然な事だろうか。
「どうしてだ、香炎……年の近い俺を差し置いて、なぜ年増の兄上なんか選ぶんだ…」
「これ、一言余計だ」
「いで! いでーでででッ」
安堵の息をつく香炎の脇で、将忠は最後まで言葉を紡ぐことなく後ろ襟をつまみ上げられ藻掻いている。
「人の物を横から掠め取ろうなどと。儂は育て方を間違っていたようだ……お主にはまず、仕置きが必要とみえる」
ぎろりと殺気も露わな隻眼で睨まれた将忠は、ぎゃっ!と短く悲鳴を上げて小さくなった。
「香炎、笑ってないで助けてくれよぉ! 」
くすくす嗤う香炎に、背中を抓まれたまま可細く情けない声で訴える将忠だが、無視される。
「なりません、身から出た錆でしょう。自分で解決なさいな」
「そんなああぁ…」
「将忠、儂は用ができた。副官であるお主が、責任を持って書類を届けてくれ」
”責任”の箇所が強調されたような気がしたが、この際、気のせいにしておこう。
香炎は気づかれないように、再び嗤った。
「な、なぜ俺が!?」
「イヤか? 今日のツケだと思えば、軽いものだろ」
「う゛……承知」
すごすごと去っていく将忠が見えなくなってから、和隆は香炎を抱き寄せた。
「お主の言葉、嬉しかったぞ。疑った訳ではないが……応えが言われるまでひどく不安でな」「それは、私も同じですよ。どうなるのか、とても不安でした」
和隆の胸に添っている香炎の肩に、桜花の花弁が風に運ばれて漂着する。
その薄桃色の花弁に唇を寄せると、和隆が不満げに咳払いした。
「桜花……咲いているのですね」
「ああ、この先の河川敷にな。見たいか?」
「ええ、是非に」
二人は、河川敷を目指して欅の並木道を歩いていく。
時折、吹き付ける風が花弁を伴って二人を誘った。
「きれい……」
はらはらりと舞う桜の下。二人は何かに誘われるように、どちらからともなく唇を通わせた。
口唇を離し、照れ臭そうに微笑む二人は漸く友達以上恋人未満に昇格した、というところだろうか。
初々しい再びの口づけに、香炎も和隆も酔いしれていた。
「桜は……潔い花ですね。風が吹けば散ってしまいますのに」
「まるで、お主のようだな。女としての生き方を求めず、侍として生きる」
「和隆さま……」
(買いかぶりすぎです……香炎とて女。愛しい貴男と添い遂げる夢を幾度見た事か)
ならば、いま見ている『夢』が永遠に醒めない事を願うばかりです。
春の白昼夢よ、どうかこのまま醒めないで――――…
「香炎? 」
「少し、少しだけ……このままでいさせて」