ぶつかる!
昼間は料亭・鈴屋で女中を勤める香炎。
とある日の夜、使いで遅くなった香炎は裏道で一人の若侍に斬りかかられてしまい…!?
一瞬、月光を含んだ白刃が閃いた。
紛う事なき殺気に、香炎は常に腿に備えていた匕首に似た暗器を抜いてその場から飛び退く。
―――ガキィィン!
夜闇に、剣戟が噛み合う音と火花が散った。
押す力は強いが、太刀筋は酷くぶれている。つまるところ、力任せに刀を振るっているに過ぎない。
「貴様ッ……なぜ刃を向けるか!」
いま、手許に愛刀はない。香炎は、懐刀で辛うじて男の攻撃を防いでいた。
(この調子だと、どうにも塩梅が悪い)
今は隣町への使いの帰り。攻撃に応じはしたものの…普段着のまま動けば、間違いなく返り血を浴びてしまう。
そうなれば騒ぎが起きると共に、正体露見にもつながってしまうだろう。
尚更、この男を斬る訳にはいかなかった。
「お前からは……血の香がするっ」
斬りかかる男は、存外に若い声で応えると身軽く間合いを取った。
「く……」
「お前、その動き…。ただの女ではないな? 侍か」
「だったらどうした」
「久々に珍しいモノを見たなぁ、女侍か…」
香炎は男から殺気が消えたのを悟ると、恨みがましい眼差しを投げつけた。
「用がないのなら…帰らせてもらおうか」
「あ、いや…待ってくれ! 某は北軍の副官・島津将忠と申す。そなたは強い、是が非にも我が軍に御同行願えはしないだろうか」
男、というより少年は香炎を暫し見つめた後で突然頭を下げた。
(な、なっ…こいつ、ただのスカウト!?)←(香月の手の者かと思った)
愕くと同時に、沸々と湧き上がる怒りの熱を感じ、香炎は拳を握りしめた。
ぐぎゅうぅ…と擬音がしそうな位に強く握りしめた掌に、深く爪が食い込んだ。
「貴っ様ぁぁ……紛らわしい事するんじゃな――――い!!」
「ふぎゃ!」
ごつ、という何とも嫌な音と、少年の悲鳴が夜の静寂を一頻りに乱した。
「まったく、擦れ違い様に斬りつけてくるなんて。なに考えてるんですか……」
場所変わり、どこの住み込み女中にも与えられる一軒の離れ。
裏道で斬りかかっ(香炎の認識では、じゃれてきた事になっている)てきた少年・将忠の鼻柱に絆創膏を貼ってやりながら、香炎は大仰に溜息する。
使いで隣町までの所用を済ませた帰り、出掛けからしていた嫌な予感が的中。
帰り道で、この少年に斬りかかられたのだ。
腐っても軍人なんだろう。(将忠に失礼)
おまけに、正体まで見破られ大損害を被った。
(まあ、喋らせさえしなければ…ばれることはあるまいよ。もしもの時は…)
「いや済まない。この時勢で、久々に骨のある気配に……つい、な」
「つい、って……それでもし違ったら、ただの人殺しでしょう!」
自分と大して年格好の変わらない少年に、香炎は怒りも露わに刺々しい口調で非難する。
(確か、こいつも軍所属の侍だって言ってたけど、和隆様とは大違いよね。島津将忠って言ったっけ……あれ、どこかで聞いた名前)
「いや、違わない。現にお前の正体も当てただろう」
「(こいつ、開き直って!)でも、もしもって場合があります!」
フイと背を向けた少女に、将忠は困った顔で頬を掻く。
「済まぬと言っているだろう? どうすればお主は許してくれるのだ。何でもする、さあ言って見ろ」
なぜか和隆と面影が重なって見え、香炎はぱちくりと瞠目してしまう。
「何でも?」
こっくりと首を傾げる姿が、容姿とも相俟って香炎を際だたせた。
その仕種が可愛らしくて、将忠は一瞬で釘付けになる。
「じゃあ、甘味が食べたい…。明日『てまり』で甘味が食べたいな。何でもいいのよね?」
ちなみに『てまり』とは、虹蓮で知らぬ者は居ないほど有名な甘味の専門店だ。
異国風に造られた庭園で、茶と甘味を愉しむことができる。
「あ、ああ…別にいいが。だが、普通そういう場所は好いた奴と行くのではないか?」
好いた奴、という言葉につい和隆を思いだして香炎は赤面してしまった。
(だって和隆さま…。最近仕事が忙しいみたいで、軒先にもいらっしゃらないし。逢えない日、これで10日越えた…)
和隆との間の壁が次第に薄まりつつある…そう思っていたのは、どうやら自分だけだったらしい。
突然、軒先にも現れなくなった。
「どうやら、いるみたいだが?」
「なっ、からかわないでくださいな!」
ニヤリとした将忠に、香炎は思い切り噛みつくが彼はどこ吹く風。
「ははは……明日な。明日は昼でいいか? 店の前で落ち合うぞ」
「もうっ……何からなにまで勝手な人っ」
「おい、どこ行く…」
将忠は、とことこと奥に入っていった香炎を首を伸ばして見た。
香炎は電熱器の前で水を注いでいる。
どうやら茶を入れているようだ、乗せられた茶器から瞬時に湯気が上がった。
「おい、そういえばお前の名前…訊いてなかったと思うんだが」
「そうでした? 杣崎といいます。以後…お見知りおきを」
煎茶を注ぎながらおざなりな返事をする香炎に、将忠は『嫌われたかな』と苦笑い。
「俺が知りたいのは名の方だ。名字じゃない……愛想のない奴め」
「……香炎。杣崎香炎、覚えましたかっ?」
「香の炎…気の強いお前に、似合いの名だな。茶が入ったか」
(腕の立つ女侍か、兄上にも逢わせてやりいな。即戦力決定だ)
「…どうぞ」
「ふーん……もうちょっと、愛想があれば受けもよいと思うんだがなぁ」
「要りませんよそんなものッ」
「いででで、こら引っ張るな…はねっかえり」
帰っていく将忠の後ろ姿に舌を出して、香炎は勢いよく戸口を閉める。
秋も終わりの、張りつめた外気がぴりりと頬を灼いて、香炎は無意識に両手で頬を覆った。
「和隆さま…」
(おかしな男に会ってしまいましたよ。早く、貴方に逢いたいです)
「何を、考えているんだ…あたしは」
女としての幸せが望めないのは、承知の筈。
なのに、それを切に望んでいる自分がいる。
「分かっているのに……分かっているのに、止められない。ダメなのに」
胸元を、きつく握りしめる香炎。
その目には、大粒の涙を湛えていた。
瞬間毎の、和隆の顔が香炎の脳裏にちらついては消えていく。
穏やかな、鳶色の瞳。
低めの、心地よく響く声。
「ああ……こんなにも…」
(どうしても、貴男の前では『女』になってしまう。愚かな私を許して)
和隆への溢れる想いを抱いて、香炎は床に就いた。
こんばは、銀流です。
『斬る!』をお届けにあがりました。
今回、初登場の若侍・将忠。
香炎とは…あんまり仲がよくないようです。
(まあ、いきなり斬りかかってきたのでおぼえが宜しくない)
犬猿の仲というか、いやそれ以上のハブとマングースでしょうかね…。
こんな話ですが、生ぬる〜い目で見守って戴ければ幸いです。