描いた未来を画架に掛ける
【ワイルドアームズXF】の曲『描いた未来を画架に掛ける』(藤田淳平)を聴いている時に思いついたような気がする話です。短編なので世界観の説明を省いています。
【ゆう → とも】
ともへ。
ともにあやまらなければならないことがあります。
ともの手をよごしてしまいました。ともがあぶないと思って、ともを助けなくちゃと思って、ともにめいわくをかけてしまいました。
ごめんなさい。
でも、いつもともをきずつけるあの人のことが、どうしてもゆるせなかったのです。
わたしはともが好きです。
つつじもぼたんもわたしをきらっているけれど、ともはわたしにやさしいから好きです。
わたしのことがきらいになったでしょうか。
わたしはこれからも、とものともだちでいられるでしょうか。
とも
わたしは
【とも(序)】
私は走っていた。
誰かが追ってくる?
何から逃げている?
わからない。わからないが――とにかく走っていた。人通りのない真夜中の道を、家々の間を縫うようにひたすら走っていた。
けれどもう息が続かない。胸が苦しい。頭が痛い。酸素を求め、心肺がもがいている。
足を止め、塀に寄りかかる。薄暗い路地に頼りなく佇んでいる常夜灯が、私の体を不気味に照らした。
「…………!」
見ると。
服に染みがついている。
手に汚れがついている。
呪われたような、黒い液体が乾いた不吉な跡。
――まただ。
また、私は誰かを――
「もう嫌……。助けて……」
怖い。
助けて。
助けてよ――ゆう。
【とも → ゆう】
ゆうへ。
もしこの日記を読んだら、返事をください。
この前貴女が書いてくれた日記、読みました。最初に断っておきますが、私がゆうを嫌いになるなんて、そんなこと絶対にありえません。
いつも嫌な思いばかりさせて、ごめんね。
昔から私が困っていると、ゆうはいつも助けてくれたよね。
ありがとう、ゆう。
私も大好きだよ。
ずっと一緒にいようね。
最近、ゆうが何に悩んでいるのか――とても気になっています。なんとなく、想像はついているのですが……。
でも安心して。
ゆうを独りになんてしません。
私とゆうは、二人で一つなんだから。
だからお願いします。
返事をください。
待っています。
【つつじ → とも】
トモへ。
久しぶり!
元気かな? いや元気なわけないか。
ボタンから聞いたよ。ユウがいなくなったんだって?
おかしな話だね。あいつが殻に閉じ籠もるなんて考えづらいし。それともあたしらに嫌気が差して出て行っちゃったのかもね(笑)。元々出入りが激しいしね、ここは。
今は何人いるんだ?
確か先月は確認できただけで二十人くらいいたよな。
ご主人様は相変わらず不在みたいだけど~。
まあ元気出せよ、トモ。
今度から何か困った時はあたしに言いな。助けてやるよ。
【とも(二)】
机の上に置かれた日記に目を通した私は、溜め息と共にそれを閉じた。時刻は十時過ぎ。窓からは麗らかな春の陽光が射し込んでいたが、暗欝な気分の私には眩しすぎて癪でしかなかった。
携帯電話を開く。
もう何日も、彼からメールは届いていない。
「買い物にでも行こうかな……」
パジャマから私服に着替え、遅い朝食を摂る。白米、目玉焼き、味噌汁。実に質素であるが、普段から私のご飯はこんなものだ。たまにぼたんが気合いを入れてつくった料理を食べることもあるけれど。
安アパートを出て、近所のスーパーへと向かう。徒歩で行ける距離だ。閑静というよりは寂れたと形容したほうが適切であろう、静まり返った街並み。平日の昼ということもあって、あまり人の姿も見当たらない。
歩き始めて数分後、私はふと違和感を覚えた。
振り返る。
「…………?」
十メートルほど後ろに、いつの間にかスーツを着た男が立っていた。いや、後ろだけではない。前にも同じスーツの男がこちらを向いて立っている。
スーツを着た大人の男。知らない男。――途端、私の全身を恐怖が支配し始めた。膝が震え、呼吸が速くなる。甦る嫌な記憶。大人の男。スーツの男。家のドアを叩く音。怒声と罵声。私を殴る。助けてくれない。閉じ込められる。抵抗できない。何度も何度も殴られる。血。病院。迷惑をかけたくない。誰か助けて。誰か――
「落ち着け……落ち着け……大丈夫……大丈夫……」
うわごとのように繰り返し、深呼吸をして少し冷静さを取り戻す。
二人の男は共にサングラスをしているため表情は読み取れないが、私の記憶にこの二人とどこかで会った覚えはなかった。
大丈夫、この男の人達は私とは関係ない。大丈夫、大丈夫……。
なぜ私を挟んで向かい合っているのかという疑問を頭の片隅に追いやって、前方の男の横を早足で通り過ぎた時。
「――浅葱水絵だな」
はっとして足が止まる。驚いて男を見遣ると、男はこちらに向き直ることもなくご同行願いたいと続けた。
「え……?」
ご同行?
まさか――警察?
呆然と立ち尽くしている私の傍で、スーツの二人が相談を始め、どこかへ連絡を始めた。
――本人……正常……犯行……警察に……被害者を……。
眩暈と頭痛、深い穴の中へと堕ちてゆく感覚。
水底へと沈みながら空を見上げる。
雲一つない晴天、春の陽光。
太陽が揺蕩う青い海に――昏く、溟い波が押し寄せてくる風景を、私は見た。
【みずえ】
血濡れた服を翻し、『彼女』は夜空へと声もなく吠えた。
『彼女』のために心を亡くし、もう何者でもなくなってしまった『彼女』は――緑がかった薄い藍色の靄を纏い、闇の中に佇む。
いつからか、絵具のようにたくさんの色に染まった『私達』。
けれどその絵具達は、ただ一つの水彩画を完成させることもなく――消えてゆく。
臆病者の『私』はただそれを眺めるだけで――
歓びも、
哀しみも、
痛みも、
苦しみも、
全てを『彼女達』に押しつけ投げ出した。
もう『私』は、二度と表に出ることはないでしょう。
だから貴女に――一番のお姉さんである貴女にお願いするわ。
とも。
ゆうを、助けてあげて。
【とも(終)】
「浅葱水絵。解離性同一性障害。交代人格は二十以上という報告があるわ……。担当の精神科医によれば、主人格は〈みずえ〉ではなく〈とも〉という名前の二十代女性。ほかに頻繁に現れる人格はつつじ、ぼたん、ゆう、くるみ、カナリア……」
手元の資料を読み上げる長身の女性。隣に立っていた少女――まだ高校生くらいではないだろうか――が口を開いた。
「いくつも存在する人格の、その一つだけがキラーに憑かれるなんて――そんなことありえるんですか」
夜の闇と同じ色の長い髪。女性は興味なさそうに、さあ、どうかしらとだけ答えた。
「浅葱水絵は幼い頃虐待を受けていた。その頃から人格障害を発症――けれど最近は心身共に落ち着いていたみたいだし、親しい男性とつき合ってもいたようね……。ただ、被害者の中に交際相手らしき人物がいるわ。そのほかにも、一般人の男性を二人殺している」
「つまり、汚染された人格が表に出た時だけ、殺人を……?」
そんなバカなと少女が漏らす。
この人達は――悪い人達じゃない。ぼんやりとした頭でそう悟った私は、彼女達に語りかけてみた。
「貴女達……、ゆうを……どうするつもりなの……?」
木の幹に背を預けながら言葉を発した私に、多少驚いた素振りを見せながらも長身の女性が返す。
「〈ゆう〉――それが汚染された人格ね……」
貴女はと訊かれたので、私は自分がともだと告げる。
「残念だけれど――もう〈ゆう〉の人格が戻ることはないわ。それどころか、このまま放置すればほかの人格――貴女も、元の主人格である〈みずえ〉も危ない……。だから手遅れになる前に」
ゆうを切除すると黎き麗人は言った。
「まあ、やるのはアタシじゃないけれどね」
一歩、少女が前に出る。手にはナイフを握り締めていた。
まともに働かない思考で、私はなんとか言葉を紡ぐ。
「貴女が――ゆうを、苦しみから救ってくれるのね……。これで、やっとあの子は――」
短髪の少女は一瞬、悲しそうに目を伏せた。けれどすぐ、決意に燃える力強い瞳を私に――いや、私の中のあの子に向けた。
「浅葱水絵さん。――いえ、ともさん」
珍しいなあ。
春なのに――雪がちらついてる。
「私達がやってきたその海には――全てが在るそうです。世界の全て――人の心も、星の歴史も、宇宙の真理も、全てのものが」
綺麗な雪。
冷たくて――でも、どこか懐かしい温かさ。
「だからきっと――いつか逢えます」
ごめんなさいと少女が謝ると同時に。
雪白の光が、私達を呑み込んだ。
【とも → 水絵】
ゆう。
つつじ。
ぼたん。
くるみ。
カナリア。
みるちゃん。
はなだ。
かすみ。
つっちー。
はじ。
うめさん。
えんじ君。
びんろうじ様。
えーっと……とにかく今いるみんなに向けて。
あと、まだ名前もない私の中の誰かに向けて。
そして、みずえへ。
ゆうが旅立っていきました。
寂しくなります……。
でも哀しいわけではありません。
また、いつか逢えるはずですから。
あの高校生の女の子が教えてくれました。
ゆうがあの人を死なせてしまったのは――悪魔に憑かれたわけでも、悪意に負けたわけでもなくて。
私を守ろうとしたからだって。
あの日いつものように彼と喧嘩して、殴られて突き飛ばされた私を――守ろうとしてくれたんだって。
私達は昔、あの昏くて狭い檻の中に――苦痛の時代に生まれました。
あの日からゆうはずっと私を、私達を助けてくれたよね。
たくさんの苦しみや痛みを、独りで背負って……。
つつじやぼたんはいつもゆうを虐めていたけれど――あの子はみんなのことが好きだって言ってたよ。
優しくて、可愛いゆう。
そんな貴女を襲った、溟い海に潜むという怪物を、私は許せません。
守れなくて、ごめんなさい。
ありがとう。
優しい友達だった貴女の罪は、私の――私達の罪だよ。
そうでしょう?
だから、返事を待ってるよ――みずえ。
たとえ私達がそれぞれ異なる色だとしても。
いつか画架に掛けるのは、同じ水彩画。
唯一つの――水絵。
〈了〉
いつか長編で使いたいネタ