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第四話:閑話

 夏服準備期間。

 学園に通う生徒たちの制服が、この一週間を境に薄手の夏服に一新される。

 原因不明の爆破事故による数日間の休校を経て、今はその一週間の初日に当たるわけなのだが、ごく一部の生徒を除き、ほぼその役割は終了しているようであった。

 気象庁の発表など(いささ)か信憑性に欠ける。

 そういう見解を抱く人間もいるのであろうが、少なくとも今年は猛暑であるという予想は、現状、あながち外れてはいないようである。

 例年のこの時期に比べ、体感的にそう感じている学生が多いこと。つまりは、準備期間に入るなり、早急に衣替えを済ませてしまう者が大多数だったことが、それを示していた。

 この屋上に居る、未だに白を基調とした学生服に身を包む男子生徒。そういう意味で彼――渡辺詩緒は、少数派の学生ということになる。

 この屋上に居るのは今のところ、彼一人であった。

 昼休み。大半の学生たちが友人たちと和気藹々(わきあいあい)と昼食を取り、談笑して過ごす憩いの時間。

 穏やかな気候の時期に置いては、人気の昼食場ランチ・スポットであるこの場所も、陽射しの厳しい時期に差し掛かった今では、閑古鳥が鳴いている様な状況だった。

 詩緒は一人、それをここで済ませていた。

 その名残。黄色い固形栄養食の空き箱が、竹刀袋を抱えて地べたに座る彼の横に転がる。

 遠くに聞こえる歓声を他所に、詩緒は手にした本を黙々と読み耽っていた。

 時間は違えど、詩緒の休み時間の過ごし方はいつもこうである。

 本人は意識してはいないが、その容姿は人を集めるのに十分過ぎる原因を持っていた。

 人のいない場所を探し、そこで一人、過ごすこと。

 その行動は、その人の群れを避けるために彼が身につけた習慣だった。

 そうしていれば、当然、いずれ周囲の人間との係わり合いから隔離されるようになるのだ。

 人としては愚かな選択。しかし、彼的には最良の選択であった。

 誰も傷付けることなく同年代、同じ学び舎に在籍するという交わり易い他人から、拒絶されていくことが出来るのだから。



 遊撃ゆうげきの滝口。

 日本各地を転々としながら『魔』を狩る。その役目に就く少年は転校という出来事(イベント)を、これまでも幾度か繰り返して来た。

 その度に同じ愚行と言える行為を、自ら選択し、繰り返す。

 それは憎しみの連鎖を断ち切るべくの行動であった。

 憎悪の矛先を憎い本人ではなく、その人間に近い者に向ける。

 それは歪んだ感覚、思考に因由いんゆするものとは言え、対象に精神的苦痛を与えるには、最も効果的な復讐方法なのだ。

 世界の裏では、表の世界よりも顕著にそれは行なわれる。表の世界の人間は『魔』に対して、圧倒的に無力で無知なのも御し易い。自身には何の危険性リスクも伴わないのだから。

 滝口という役目は、正にそれを受け易い立場。

 だからこそ、その存在は、世界の表を生きる者たちとは相容れぬ身。否。決して交わってはいけないと少年は決意している。

 その左手に在る小さな銀色の鈴は、その象徴に他ならない。



「何、読んでるの? 渡辺くん」

 不意に少女の声がした。それは多くの異性に、それだけで愛らしいと思わせる様な声だった。

 その声の方へと、手にした本から詩緒は視線を動かす。

 そこに在ったのは可憐な少女の笑顔だった。

「こんな場所にいたんだ……暑くな――」

 そう話しかけながら、少女――琴音の表情は固まる。

「暑くないの? なんて問いかけは、コイツに言っても無駄よ。どーせ『お前には関係ない』って返事が返って来るのが関の山だから……それから、こんな時でも竹刀袋かたなを持ってるだとか、手にしてる本の内容だとか、その程度で驚いていたら、コイツとは『まとも』に付き合えないわよ?」

 固まった少女の背後から、別の少女の声が起こる。それは喧騒の中に在っても、よく通りそうな美声だった。

「で? 今日は『何の教科書』を読んでいるのかしら? 詩緒?」

 琴音の肩越しに顔を見せる、その声の主。それは言わずもがな、少年の相方として退魔を行う、美しい少女の顔だった。

「へぇ……。数学の教科書とはまたシブい選択チョイスね」

 当然、彼女は本心からそう言っているのではない。その声色が示すのは、呆れ、であった。その顔も、言葉の内容とは裏腹にそう語っている。

 そもそも、少年が開いているページには文字など殆ど無いのだ。数式や記号が羅列されている部分が大部分を占めている。

 少年の手にある本は、確かに教科書であった。彼らが授業中に開く、正にそれである。

 その教科書は相当に使い込まれたもののようで、ボロボロになっていた。

「だ……誰かのお下がり?」

 暫しの沈黙を経て、琴音がどちらともなく聞く。それは、その間で考えた会話の足掛かりだった。

「まさか。それは正真正銘、私と一緒に購入したものよ」

 その問いに、瑞穂が答える。 

「え?」

「……コイツは教科書これを開くくらいしか、娯楽がないのよ」

 確かに開かれた頁は、まだ授業で行なわれている部分のかなり先であった。

 当然、復習の範囲ではないし、ましてや予習というには早すぎる。

「え?」

 状況が把握できない。目の前に確たる証拠、現状が在るのに理解出来ない。そういう表情を琴音は浮かべていた。困惑。混乱。そういう色が強く出ている。

「詩緒。今度からマーカー……いや、アンタがそんな物もってるワケないわね……せめて、シャーペンくらい持って開いてなさい。そうすれば、琴音みたいな一般的な思考の人間でも『ああ……こんなに先まで、もう勉強してるんだ。このガリ勉は……他にすることないのかしらね……』くらいに思われて終わるから。そうそう、適当に書き込みもしとくのよ? 覗かれてもいいように」

 そう。詩緒は瑞穂の証言通り、本当に時間潰ごらくとして、それを読んでいるのだ。

 購入して高々、一ヶ月程。しかし、ボロボロになるまで開かれているのは、何もこの教科の物に限ったことではない。

 休み時間毎に。自宅で暇を持て余したときに。様々な空いた時間を。例え少しの間であってもこの少年は適当に選んだ教科の教本テキストを持ち出し、開いているのだ。

「お前には関係ない」

 詩緒は無表情に言い放つ。

 ほらね。

 表情でそう言うと、瑞穂は琴音に視線を遣った。

 しかし、視線の先の少女はそれには気づかない。

 少年を見ているのだ。

「……渡辺くん……良かったら、何か小説でも貸そうか? ……恋愛物くらいしかないけど……」

 憂い、琴音は言う。しかし、その言葉に反応したのは当人ではなかった。発言をした彼女の背後にいた瑞穂が、直後、吹き出したのだ。

「な、何!? どうしたの!? 瑞穂?」

 琴音は振り返り、笑い崩れる幼馴染みを見る。

「……ごめん。あんまり可笑しくて。いいわね、それ。読んでみなさいよ、詩緒。きっと、教科書そんなものより何倍も面白いわよ」

 そして、そう発言するなり、また笑う。

「……何がそんなに可笑しいの?」

 きょとんとして訊ねる発案者。

「だって、この無愛想で、朴念仁で、感情の欠落してる様な、他人を全く無視してる男が、恋愛小説なんて読んでる姿、想像したら――」

 お腹を抱えながら、涙目で瑞穂は理由を述べた。

「もう……渡辺くんに失礼でしょ? それに渡辺くんはそんな人じゃないわよ……」

 そんな彼女をたしなめ、詩緒を擁護する琴音。


 渡辺詩緒という少年。

 彼は不器用なのだ。

 世界の裏に巻き込まずに人と接する術を、適度な距離を保つ方法を持たないのだ。

 だから、敢えて人を遠ざけている。


 琴音は少年のことを、そう認識していた。


 自分のことを忘れろ、そう発言しておきながら、こうして目の前に再び現れたこと。

 それはその世界に巻き込まれてしまった、自分を守る為なのではないのだろうか。

 その行動こそが、彼の人を想う気持ち――やさしさ。少年の本質なのではないのだろうか。

 それこそが、その裏付けなのではないだろうか。 


 何よりも、彼は彼女にとって窮地を救ってくれた『白馬の王子』に他ならない。琴音には、どう考えても、彼を悪くなど見れないのだ。

「あら? えらく詩緒の肩を持つのね? もしかして琴音ってば、コイツが好きだったりして?」

 からかうべくして作られた、疑わしい目つきで瑞穂は琴音を見ていた。

「え、えっ!? あ、う……」

 その発言に頬を染め、慌てふためく可憐な乙女。

「――冗談よ。琴音には、本命の彼氏がいるものね」

 そう言って、瑞穂はまた笑った。

「も、もう……」

 恋愛運。占いが得意と自称するこの少女に、琴音はそれを占ってもらったことがある。

 彼女の言う、本命の彼氏というのは、その時の相手のことを指すのであろう。

 その時には、相手の情報を伏せて占ってもらったのだが、どうやら彼女の中では、琴音の意中の相手が目の前の少年であるとは思ってもみないことらしかった。

 目の前で繰り広げられる、一般の女の子らしいやり取り。

 それら一切の流れを無視して詩緒は言葉を発した。

「……それで何の用だ?」

 そこにあるのは、いつもの無表情面。自分のことが話題だろうと対岸の火事、である。

「そ、そうよ! こんな話をしに来たんじゃないでしょ? 瑞穂」

 先の話題に関する少年の反応を見てみたい。自分の事をどう思っているのかを垣間見れるかも知れない。そう思いながらも、琴音は、その会話の流れを変える発言に乗っていた。

「……そうね……」

 その言葉に、溜息を一つ吐いて瑞穂は詩緒に向き直る。

 その表情は一種、諦めを感じさせていた。

「……聞かせて、詩緒。あの時、何があったの? 何か掴んだんじゃないの? この間の馬鹿げた真似をしでかしてくれた相手の」

 真っ直ぐに滝口を見据えて、陰陽師は問う。それはつい先程まで見せていた女子高生としての物ではなく、退魔術師としての顔だった。

「……俺もお前に確認しておきたいことがある」

 そう口を開き詩緒は立ち上がる。

 その動きに連動したかの様に、午後の授業の開始五分前を告げる予鈴チャイムが校内に鳴り響いた。

「あ――」

 その合図に琴音は声を漏らす。

 しかし、彼女の眼前の二人の生徒は動こうとはしない。

 張り詰めた空気が、二人の間にある。

「……私、先に授業に行くね」

 琴音には、そうとしか言えなかった。

 自分の通う学校。そこで起った異変。

 その原因は、彼女がつい最近知った、兄の居る世界の悪しき存在に因るもの。

 自分がそれを止める可能性を持っていることは知っている。

 それを止めたいとも思う。

 そうすることで。それを繰り返して行くことで。何時か兄の前に立つことが、兄の暴挙を止める出来るのだろう。そして、何よりも。その世界から伸びる魔の手から、かつての自分がそうだったように関係のない人々を守りたいと願っている。

 しかし、その場の雰囲気は、自分を必要としていないことを感じ取っていた。そこに在るものは、もしかすると、まだ超えきれてはいない『表』と『裏』の境界線なのかも知れない。

 自身はまだ、その世界についての知識は、経験は、皆無に等しいのだから。

 それに短い付き合いでも、想いを寄せる少年の思考を理解しているつもりだった。

 いつも見ていたから。

 恐らくは、自分がいる限りは、その少年は話を進めはしないだろう。

 かたくなに、自身がこの場に留まること。彼らに無駄な時間を消耗させること。

 そのことが、返って学校に通う友人を始めとする多くの人間に被害を及ぼすとも知れない。

 琴音は振り向くことなく、階段の入り口の扉のノブに手を掛ける。

「……大丈夫よ、琴音。『今は』よ……」

 決意を再確認する様に。自身に言い聞かせる様に。

 少女は小さく呟くと、扉を開け、階段を降り始めた。



「……ごめんね。琴音……」

 扉の閉じる音に掻き消された声。瑞穂は無言で見送った幼馴染にぽつりと謝罪して、改めて滝口の少年を見た。

「――で? 何なのよ? アンタが私に確認しておきたいことって」

 発言を先に譲った真意は、他でもない。

 目の前の少年の唯我独尊ぶりを知っているからである。

 こういう場合、こちらが先に発言したところで、この少年は、その発言を完璧に無視して自分の話をする性質たちなのだ。

「……今回の件。お前は手を引け。俺一人で動く」

 詩緒は静かに口を開いた。

「はぁ!?」

 素っ頓狂な声で反応する。それはあの夜、彼の惨敗ぶりを見た陰陽師には信じられない発言だったのだ。

「アンタ、馬鹿!? 相手はアンタにとって天敵でしょ!? アンタが手を引くならいざ知らず、なんで私が!?」

 瑞穂には解っていた。敵は詩緒の内に眠る鬼を操れる相手なのだと。

「大体、私が『撫物なでもの』をしてなければ、アンタはまだ満足に動くことも出来なかったハズでしょ!? どういうつもりよ!?」

 少年に架せられたしゅを解除したのは、他でもない彼女なのだから。

 撫物。それは陰陽道の秘術の一つ。

 人ならざる存在や力による負傷、呪詛じゅそ

 それは『けがれ』である。

 その呪術は対象の穢れを人形ひとかたに移し、祓い去りることで、癒しをもたらすのだ。

 言葉を荒らげた少女を無視し、詩緒は自分の話を続けた。

「ここからが本題だ。俺が確認しておきたかったこと――」


 風が流れた。

 少女の長い髪が、ふわり、揺れる。

 銀色の小さな鈴が、寂しく、儚げに、鳴く。



「――賀茂瑞穂。お前がここに居る本当の目的は、俺の抹殺……そうだな?」



 滝口の少年は風の中、淡々と言葉を紡いだ。






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