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第拾参話:神氣

 世界は酷く曖昧なもの。

 この世界を構成している摂理という不変と思われる法則でさえも、脆弱であり、決して絶対的な定理ではない。

 歴史を紐解いて見ても、世界は平坦なものから球体へと変わり、数多の天体が中心たるこの世界を廻っていたのではなく、この世界こそが天体の中で廻る矮小な一つとなり、別格の様に絶対視されていた時間の流れでさえも、全てに等しく経過しているものではなくなるのである。

 とりわけ、魔術という超常の領域に於いては、それは顕著なもの。

 ある論理を基にした魔術体系では成り立たないはずの定理が、異なる論理を基に構築された魔術体系では発生し得る事象となるだから。しかし、そのどちらもが、実際に行使術者を介して世界に影響を与え、確に確立されている法則なのである。

 この中庭で意識を失い、横たわる少女。彼女が行使する陰陽五行説という思想を基にした技術体系であり魔術体系でもある、陰陽道。

 その真なる目的は、森羅万象、全ての事象をその思想により解析し、世界の意味と働きを解読すること。つまりは学問、科学に非常に酷似したものである。

 その観念の一角に過ぎない、魔術的要素。

 それにも関わらず、陰陽道のその分野は、数々の秘儀、秘術、呪術を有している。

 この体系に存在する魔術だけに限定したのだとして。しかし、その全てを極め、行使できる者がいるのだとすれば、不可能という語彙を消滅させるほど、その分野は深く、多岐に渡っているのだ。それでもそれらは、陰陽五行による真理の解析過程により得られた服産物に過ぎない。それらは変異や怪奇、奇跡と呼ばれる現象、事象を、その思想で解読した結果、陰陽道の魔術としての再現論理を確立させたものでしかないのだ。

 逆説的に言ってしまえば、陰陽道という思想は、それだけの世界の真理を、すでに紐解いているという証明でもある。

 その世界的に見ても秀でた陰陽道という魔術体系を持つ日本という国。

 しかし、その辺境の島国、小規模な土地だけに限定したところで、その思想に対する二律背反アンビバレントは存在する。


 その思想に内包されている、呪術的思想の一つ、言霊ことだま

 物、事を指し示すその名称こそが、物、事を縛りつける最小のしゅであり、祝詞のりとであるという思想。

 この思想にのっとれば、石という物質の存在は『石』という言霊に因って始めて、石として認識され、存在し得るのである。


 そして、それに反するのは――。



 賀茂瑞穂という陰陽師の目の前で、正にそれは発現しようとしていた。







 ◇




 丑寅は眼下に転がる少年を満ち足りた顔で目視していた。

 そして、少年を映したその眼に、また少し強化させて魔力を籠める。

 真綿で首を絞める。それはその比喩を地で行く行為だった。

 彼の持つ異能。空間に漂う思念だけの鬼を召喚し、うつし世に実体を与える術式を宿した眼。

 その力を完全に発動させたのだとすれば、その身に鬼を宿している少年を、直ちに鬼へと堕とすことなど造作無いことなのだ。

 そのなぶる行為。それは儀式なのである。

 渡辺詩緒という滝口の存在は、丑寅にとって在ってはならない存在だったからだ。

 絶対的な力関係に際して、己を持ち続けた者と服従を選択した者と。

 平井万葉という絶対者を前に、後者であった丑寅。

 丑寅という天敵を前にしても、前者であり続けた詩緒。

 つまりは丑寅にとって、その滝口は恥辱を与える存在でしかないのだ。

 だから、思い知らせる。屈服させる。自分の選択こそが正解なのだと知らしめる。

 苦痛を以って、少年のその身にそれを刻み付ける。

 八卦衆、山を司る剣士。彼のその行動は、自己を正当化するのに、心をそそぐために、必要な行為だったのである。

 戦闘能力に関しては、丑寅よりも明らかに優れていた黒衣の滝口。だが、その滝口は地につくばり、辛苦の中、その眼で構築され発動している呪法に抵抗するのみだった。

 しかし、それでもそれは、無駄な足掻きでしかない。

 それでも抵抗を続ける、その無様な少年の姿こそが、丑寅を癒す。採択した回答が正しかったことを証明する。憂さを晴らす。

 自らの力、絶対的な力関係の前に、少年は無力であり、最早、屈服するしかないことを彼は確信していた。

 少年の心に在る闇が、彼の体をどす黒く侵食していく様を、その眼を介して窺い知るのだから。

 闇は少年に激痛を与えながら、その身をじわりじわりと蝕んでいく。彼にしか見えない闇と同色の黒、その色に少年の体を染め広げていく。

 それは人間という生物を、鬼という異形へと変えて行く行程。そして、自身の生き方を否定した人間の末路なのだ。

 歓喜の色を浮かべた眼に、八卦の剣士はまたも、僅かばかり強化した魔力を籠めた。

 その少年の自我が闇に腐食され、崩壊するには、束の間の猶予しかないと知りながら。少しでも長い時間、責め苦を与えるために。

 孤独と罪の意識で構成された闇は、しかし、直、少年を食い殺すだろう。

 その時こそ、彼の切り札となる手駒の産声が、この広場で聞かれ、召喚者は心からの高笑いを上げるはずである。

 ただ魔術を無効化するだけの力しか持てなかった自分。その力とて、友軍をも影響下に置くために半端者だと蔑んだ同胞。だが、そんな彼らさえも従える立場へと、その瞬間に、君臨することを信じて疑わずに。



 瑞穂は自分がすでに死んでいるものだと思っていた。

 意識が遠のいた時点での戦況は、一人の少女の生存を決して認容できるものではない。何処か、そう他人事のように冷静に判断していたからである。

 目覚めた朦朧とする意識の中、少女は辺りを窺う。そうは言っても、体は満足に動かなかった。瞳孔と顔を僅かにを動かしたに過ぎない。

 自身の横たわる黒く焦土と化した大地。その大地に立つ鬼たちの姿。朧げな視覚でそれが判断できる。

 血の臭いを感知し始めた嗅覚と相まって、それは予想通り、一部の人間の抱く死後の世界の印象イメージと合致していた。

 その風景は地獄そのものである。

 しかし、その少女には合点がいかない。

「……オカシイわね……私が天国に行けないハズが、な――っ!」

 その不平を口にするも、しかし、腹部に感じた激痛に瑞穂の言葉は途切れた。

 むせて、吐血さえする。

 それは強烈に殴打された際の、内臓の損傷に因る症状。少女の意識を飛ばした一撃が与えた被害(ダメージ)だった。

 だが、その痛みはデメリットだけを少女にもたらすものではない。血の巡りに合わせ、その体を襲う脈打つ様な痛覚が、意識を徐々に明確に変えて行くのだ。

「何よ……まだ……生きて――!?」

 弱々しく呟きながら、陰陽師が次に認識したのは、恐怖を覚えるほどの禍々しい邪気だった。

 山という符号に集められた死者の思念である陰の氣。生娘という極上の餌を目の前に、お預けを食らっている異形たち。

 その邪気を発する多数の存在の中に在って、抜きんでた邪気が一帯を支配する様に立ち込めていたのだ。

 否。その気配こそが、ここを死後の世界だと少女に錯覚させた要因なのかも知れない。その恐怖こそが、現状、この世界の大気を構成するように辺りを覆っていたのだ。

 その恐怖の正体を瑞穂は知っていた。

 それこそが、陰陽寮の一部の重鎮たちが畏怖する凶事なのだ。

 少年が兄を抹殺したときに。影を操る魔人を排除したときに。陰陽師が幾度か遭遇したことのある、渡辺詩緒という滝口に宿った闇なのだ。

 その滝口の堕落の時が直前に迫っていることが、瑞穂には察知できていた。

 その体が震えているからだ。

 それは決して体が異常を訴える痙攣の類ではない。恐怖という感情がもたらしたものだ。

「詩緒!」

 瑞穂は力の限り叫ぶ。しかし、それは叫んだと彼女が思うだけで、余りに弱々しい少年の耳には決して届きそうもない声でしかなかった。

「……しくじったら、あの世で殺すわよ……詩緒」

 だが、少女は落ち込みなどしない。だったら、少年を信じるだけなのだ。



 標的である陰陽師が意識を取り戻したことなど、気付くはずもない。

「あ……あははっ――いいぞ! いいぞ、お前! 予想以上だ!」

 転がる少年が放つ邪気の強大さに、丑寅は興奮し、知らず歓声を上げていたのだから。

 ビクン、ビクンと痙攣を起こし始めた少年の体。

 丑寅の待ち望んだその時が、寸前に控えているのだ。

「仕上げだ! 後押しをくれてやるぜ!」

 発狂したように叫び、八卦の剣士はありったけの魔力をその眼に籠める。

 感じていた劣等感など既にそこにはない。

 この鬼を完全に調伏することが叶えば、平井万葉という存在さえも絶対者ではなくなるかも知れない。

 そういう期待が丑寅を駆り立てる。

 それほどに、その少年が纏った邪気は強大で圧倒的だったのだ。

 八卦の剣士の造られた双眸が、おぞましく輝く。

 瞬間、世界を支配している恐怖は、少年という一点に凝縮された――。





 年ごとに 咲くや吉野の山桜 木を割りてみよ花の在処は


 在る剣術家はこの歌を、真理だと唱えた。

 彼は剣術という人殺しのわざを、しかし、人を活かす業だと指導する。

 それは一般的に考察すれば、欺瞞ぎまんでしかないのかも知れない。

 刀は人を斬ることを目的として、改良に改良を重ね、世界的に見ても、その一点に於いては頂点にまで達した武器である。あくまで、人殺しの道具でしかないのだ。

 そして、人がその刀を使い、如何に効率的に、確実に人を殺めるのかを突き詰めてきた技術。それこそが剣術なのだから。

 しかし、彼の剣術家の言葉とて真実なのだ。

 人を活かす剣術とは、人を活かすために刀を振るうという意志を強く有すること。それこそが極意なのだと、彼は伝える。

 その歌を以って、その意志が如何に重要かを説く。


 桜が美しく咲くのは、美しく咲き誇ろうという桜の意志の成せる業である。故に、木を割って見ても意志であるが為に、決してそれは見えない。しかし、また。桜は春になれば美しく咲き誇るのだ。


 見えない意志の力が如何に重要であるか。

 この桜のように。意志の力こそが物を、事を成すのである。

 つまりは、刀に人を活かすという強い意志があれば、その刀は人を殺す術ではなく、人を活かすための術『活人剣』になるのである、と。


 彼の剣士の説く、その歌が示す意志の力。

 それは、神氣しんき

 万物が万物たろうとするのは、この神氣の働きによるものだという思想。





 支配する沈黙の中。詩緒はゆらりと立ち上がった。

 不気味なほどに静まり返った辺りに、その動作に合わせ、儚げに鈴の音は響く。

「……人の姿に良く似た鬼……なのか……?」

 丑寅は、自分の召鬼法が完全に行使されたことを前提に、目の前の少年の姿に対する感想を述べた。

 召鬼法は確かに発動されたのだ。彼の行使した魔術理論を基に考察すれば、その滝口が鬼でないはずはない。人の姿をしていても、それが人であるはずはないのだ。

 だが、その滝口は確かに人間であった。邪気さえ発していない。

 むしろ、その体を包む大気は、清らかに澄んでいて、神々しくさえある。

 異常。あるはずのない現象に、現状を把握する感覚が、今の丑寅には欠落しているのだ。

 だが、それは立ち上がった黒衣の滝口も同じだった。

 詩緒は目の前に討つべき敵がいることを認識できてはいなかった。それどころか、薄笑いさえ浮かべて、ぽつりと呟く。

「――『笑顔のカタチ』か……なるほど。何度、堕ちかけても、人として留まれたわけだ……」

 それは兄の形見。少年の左手首に在る、小さな銀色の鈴。滝口として、自身の生きる世界に巻き込まぬよう、人を拒絶する戒めの象徴。

 そして、同時に少年と人を結ぶ結晶でもある。兄は、この鈴を弟に贈ったときに言ったのだ。

 この鈴は、いままで君が守ってきた笑顔でもある、と。

 その小さな何の変哲もない銀色の鈴は、しかし、滝口として少年が護ってきた、人々の笑顔が具現化した崇高な宝物でもあるのだ。

 つまりは、その鈴に凝縮されているのは、渡辺詩緒という少年の全てだった。

 孤独も、安らぎも。戦いの記録も、一人の少年としての人生も。その全てがそこに凝縮されているのだ。

 詩緒は、鬼として自身を書き換えようとする呪詛の中で、確かにこの鈴の音を聞いていた。

 渡辺詩緒は渡辺詩緒なのだと、鈴は伝え続けていたのだ。

 だからこそ、詩緒は自分が自分であると常に認識できていた。意識を貪る闇にあって、自分は鬼ではなく、渡辺詩緒なのだと。

 彼が彼であった所以。あり続けられた理由。

 それこそが、神氣に因るもの。

 この少年をこの世界に存在たらしめる少年の意志の力。少年が強く自身で在ること望んだ意志の成した力。

 渡辺詩緒という言霊に縛られる存在ではなく、渡辺詩緒たろうとする意志の成せる力。

 少年は鬼ではない。鬼という闇を抱えていても、渡辺詩緒という神氣が在る限り。その少年が渡辺詩緒という神氣を発する限り。

「――な、何だ、この化け物!?」

 少なくとも、自分の欲した切り札たる駒ではない。

 そう判断を下した丑寅は、慄き叫ぶと後ずさる。その悲鳴に似た声に、辺りに控えていた鬼たちは一斉に動く。

 立ち上がった少年を目掛け、その異形の群が躍りかかる。

 周囲に迫る『魔』の気配。それを察した滝口は、しかし、焦りなどしない。

 詩緒は左手の鈴を一瞥し、苦しみながらも手放しはしなかった、右手の愛刀の柄を握り直す。

 かつての兄の愛刀でもあるその刀を、力むことなく握る少年の手。一体となる鬼切と滝口。

「――まだ、終われないな……柾希にいさん

 その言葉が終わった時、辺りに朱の華が散っていた。

 夜の闇に散り往くは異形の血。閃いたのは退魔の名刀。

 その赤い飛沫の中心で鬼切を走らせ、鈴の剣士は舞う。

 唯、渡辺詩緒で在り続けるために。







<捕捉解説>

剣術家と活人剣:剣術家とは彼の柳生十兵衛の父、柳生宗矩やぎゅう むねのりのこと。当然、その流派、活人剣を謳うのは柳生新陰流やぎゅう しんかげりゅうです。その思想、神気については、宮本武蔵の『五輪書』と並ぶ近世武道書、彼の著書である『兵法家伝書』に見られます。本作の神氣は個人的な解釈を基に設定されていますので、相違点は見逃してください(汗)

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