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第拾弐話:形勢

 朱雀すざく

 天の四方の方位、その南方に位置し守護する聖獣。火を司る霊鳥。黄龍こうりゅう青龍せいりゅう玄武げんぶ白虎びゃっこと共に、五獣の一つ。しばし、その存在は鳳凰と同一視される。

 その中庭に立ち込めていた死者の残留思念さえも、纏った炎により一瞬にして浄化させた霊鳥。

 陰陽師の使役した式神は、しかし、その聖獣と全く同一の存在ではない。賀茂瑞穂という術者がそれに酷似したものを、式神として創りあげたに過ぎないのである。つまりは彼女の使役した霊鳥は、それらと同じ符合、火の属性を持った『使い魔』、その聖獣と単に酷似した存在でしかない。

 そもそも式神という秘術は、術者よりも霊格の低い存在を強制的に束縛し、それを使役するものである。如何に優れた陰陽師とて、何らかの因子――例えば協力を要請するような契約を結ぶ、その存在を崇め奉る儀式を起居ききょの事として執り行う等――がなければ、自身よりも神格の高い存在を式として扱うなど、人間が可能とする所業ではないだ。

 ならば、賀茂瑞穂という陰陽師の使役した式神の霊格は、一介の術者に使役できる程度の存在だったのか。

 しかし、その答えは、否、である。

 その力は基本ベースとなった霊格の高い聖獣と、ほぼ遜色はなかった。

 大隈という人間の姿を、偽りの名を持った鬼の王の側近を。彼の鬼の王の軍勢に在って、英雄たちに畏怖された力を持った純血種を。それだけの力を有していなければ、ただの一撃を以って、その『魔』に致命傷に程近い損傷ダメージを与えるには至らなかったはずなのである。

 跳ね飛ばされ、叩きつけられた校舎の外壁。大隈は自身の巨躯が作り出した、その瓦礫の下、ただれ、襤褸屑ぼろくずとなった体を再生、復元していた。

 折れた枝を隠すのならば森の中。その過程に生じる禍々しい邪気は、一部、浄化されたとて、山という要因に集められた膨大な死臭を感じさせる陰の気に覆い隠され、陰陽師と滝口に悟られることはなかった。



 焼け焦げた臭いが辺りに立ち込めていた。巨大な炎の塊が過ぎ去った跡が、焦土となって判別できる。

「……薔薇の花まで燃えちゃったか……ちょっと悪いことをしたわね……」

 瞬間的に一角が焼け野原と化した中庭。その中央に、美しい少女は天女の如く舞い降りると、儚げに呟いた。

「……限度を考えろ。自分のしたことを棚に上げて、感傷に浸るな」

 自身も下手を打てば、弾き飛ばされ、大隈同様に火達磨になったであろうこと。それを気にする様子もなく、詩緒は冷静に、突如、現れた陰陽師の言葉に見解を発した。

「うるさい! 黙れ! アンタも後で覚えときなさい!」

「何をだ?」

「一遍、死ななきゃ解らないようね!」

 怒鳴る瑞穂に無表情に訊ねた詩緒。その一言が、怒れる少女の神経を逆撫でする。

 口を開くと同時に陰陽師は呪符を放つと、躊躇することなく起動言語を発していた。

「爆!」

 その命令に忠実に従い、内包された五行秘術を発動させる霊符。

 小規模な爆発が生じ、その爆炎に紙片は灰となり、霧散して消える。

「ちぃ!」

 その符術に舌打ちをしたのは、少女の攻撃対象となった少年ではなかった。

 爆発に生じた光に、視界を奪われた八卦の剣士である。

「――でも、とりあえず、コイツを始末してからにしてあげるわ。首を洗って待ってなさい」

 黒衣の滝口から、陰陽師はゆっくりと自身の命を狙う刺客へと、その鋭い眼差しを向ける。少々、強引な対処方法といえ、瑞穂の起こした行動アクションは詩緒にかけられようとした(しゅ)を防いでいたのだ。

「……余計な真似を」

 後方へと跳び、爆発を回避していた詩緒。その滝口も無表情に呟くと、『魔』と認識する同胞であるはずの少年へと体を向ける。

「……賀茂瑞穂……なるほど。平井様が危険視する陰陽師であるワケだ……」

 含み笑いをその言葉に続け、慎太郎は二人の退魔師を前に余裕を見せた。

「ずいぶんと余裕をかましていられるわね。状況を把握出来ているのかしら?」

 滑稽ね。そう続けんばかりの口調で少女は敵に微笑みかける。

 二対一。数的にも純粋な戦力対比にしても、優劣は明確である。

「……その言葉、そっくり返すぜ。状況を把握出来てるか?」

 しかし、丑寅の態度は変わらない。

「――戦力は補強すればいいだけなんだぜ?」

 にやけ面にある丑寅の双眸が妖しい光を宿していた。

 その光に誘われたように、空間に無数のもやが現れ、輪郭を象っていく。それは大型の類人猿に似た外形フォルムを持つ異形。その相違は頭部に突き出した角。

「ふぅん。どうやら完全に独自オリジナル能力ちからみたいね……。仙術に見られる方術の一種でも使うのかと思ってたんだけど……」

 丑寅の召鬼法を興味深げに見守ると、陰陽師は呟いた。

 道教。その思想の生み出した超人ともいえる、神の領域に達した人類。仙人。

 彼らの使ったとされる異能の力、魔術。瑞穂が主に行使している五行秘術もその一つである。

 そして、同じくその中の一つに、鬼を操り、使役する方術が存在する。

 この場所に降り立つ直前、屋上で彼女の語った制鬼、刻鬼、召鬼、使鬼とは、その方術を行なう上での手順のことなのだ。

 鬼を招き、その正体を看破し、その力を制し、その上で使役する。実際の仙術に於ける召鬼法では、鬼の正体を看破するのに、その正体を写し出す鏡として水を用い、呪符、呪言を使って鬼を制し、剣を以って指示を出す。

 日本では陰陽師よりも役行者えんのぎょうじゃが使用している呪法である。

 だが、丑寅の召鬼法には、そのような手順プロセスは存在していない。

「……違うわね。アンタのその目……自前のモノじゃないわね?」

 しかし、八卦の剣士の目を霊的に視た陰陽師は、前言を否定した。

「よく解るな」

 完全なる実体を得た鬼たちに囲まれた慎太郎は、勝ち誇ったように嗤いながら、瑞穂の言葉を素直に肯定してみせる。

「……召鬼法の方術の術式が組まれているのよ。アンタの目で……」

 正確にその術式を構成、行使する眼球。恐らくは、術者に見えざる鬼さえ視覚感知させる眼晴。

 それに瑞穂は不自然な氣の流れを感じたのだ。

 呪符を構え、臨戦態勢を取りながら、少女は驚きを隠さずにいた。

 何よりも。その瞳で行なわれている魔術論理の組み方を、彼女は知っているのだ。

 その一切の無駄を省いた、美しさすら感じる論法ロジックを。

「カラクリは教えないぜ? 知る必要もないだろ?」

 取り巻きの異形は身構える。獲物を狙う血走ったまなこが、それぞれ少女を映す。

「どうせ、ここでお前は死ぬんだからな!」

「ええ! アンタの口から聞く必要もないわ! そんな芸当が出来るのは、『あの女』しかいないでしょうから!」

 双方が叫び動く。鬼を伴い駆け出す丑寅。呪符を投げ、発令を命じると共に印を切る瑞穂。

 陰陽師の手から離れた呪符は、地に触れると巨大な岩槍をその場所から突出させる。その鋭利な穂先は、一体の鬼の体を下腹部から刺し貫き、分断させると二つの肉塊を作り出す。

「一匹を足止めをしたところで!」

 嘲る丑寅。だが、瑞穂は微笑んでいた。

「――こっちには、そんな雑魚なんて相手にもならない、優秀な前衛がいるんだけど?」

 陰陽師の前に黒い影が躍り出る。丑寅とその配下の鬼の前に立ち塞がる。

 月影に刃を反射する冷たい光が閃くと、鬼の首が一つ、二つと刎ねられていた。

 黒衣の滝口の左手の鈴が、鎮魂歌を奏でるように鳴く。

 直後、爆音がまた一つ。

 それは八卦の剣士の視線から滝口を遮る、炎のカーテンであった。

「アンタの異能眼ちからを理解した以上、そっちに勝ち目はないわよ!」

 続けて放った呪符を発動させた直後、五芒星を切り終えると、瑞穂は魔力を籠め森羅万象に働きかけた。

「火行を以って敵を撃ち滅ぼさん! 爆!」

 符術によって発動されたものとは、桁違いの威力を誇った爆発が生じる。

 その爆心は八卦の剣士。その炎は渦を巻き、炎柱となって成層圏にまでに到達するように高くそびえ、夜を照らす。

 爆風に煽られ、飛ばされた体を空中で反転させると、詩緒は着地した。

「……限度を考えろ……」

 一瞬、上空を仰ぎ見る。そして、そう呟きながら、滝口は鬼切を再び構えていた。

 彼の予想が正しいのならば、丑寅という八卦の剣士はまだ生きているはずなのである。

 敵は未だ切り札を――対陰陽師たる能力を見せてはいないのだから。

 炎に巻かれた異形は跡形もなく燃え尽きている。しかし、詩緒は敵の気配をまだ感じていた。

 辺りに漂う死の気配。それが霧散してはいないことが、何よりもその証明であるはずである。

「――ぐっ!?」

 不意に、詩緒の体を激痛が支配する。

 それはあの夜と同じ痛み。

「――えっ!?」

 背後に感じた邪気。それは突如として発生した鬼の気配。瑞穂は慌てて、振り返る。

 そこには苦痛に呻きながらも、倒れることを拒み続けている黒衣の滝口と、その様を見詰める山を司る剣士の姿が在った。

「がんばり過ぎだよ。自分で俺を見失うようなマネしてどうすんだよ? バーカ」

 少女を小馬鹿にする少年の身には火傷の痕の一つもない。

「……山っていうから、何となく予想はついてたけど……私の本気の魔力でさえ『龍脈に流しきる』ワケね……」

 丑寅の周囲には再び鬼の群れが現れていた。その中央で、八卦の剣士はほくそ笑む。

「ご明察。俺の八卦の力は受けた魔力をそのまま龍脈に流す力……対魔術の無効化。限界なんざないんだよ……この星を一撃で壊せるだけの魔術だってなら、解んねぇーけど……予測がついてるんなら、もうちっと頭使えよ?」

 こめかみを人差し指でこつ、こつと叩き、そう言い放つ。そして、悠々とズボンの後ろポケットから慎太郎は携帯を取り出した。

「――邪魔」

 続け、アドレス帳を操作しながら、目の前で呪に抵抗するだけの滝口を蹴り飛ばす。

「詩緒! ――!?」

 その単なる蹴りさえ避ける余力もなく、ただ攻撃に晒された少年。その少年の名を叫び、そして、瑞穂は絶句した。

 彼を救出すべく、陰陽五行に働きかけ、秘術を行使しようとした口の動きが止まる。

 その異常に気がついたのである。

 五行秘術を行使しようにも、それは叶わぬことなのだ。大気に存在する全ての氣が、地面に、否、龍脈に吸い取られているのだから。

「……俺の言うことを素直に聞かない生意気な雑魚は、無様にのたうち回ってろ」

 蹴られた勢いのまま、地面に突っ伏した詩緒。見下すその滝口にもう一撃、蹴りを見舞うと、徐に丑寅は電話をかける。そこに居る陰陽師など、眼中にないように振舞う。

「……勘違いするなよ? 俺の力が、単に自分自身にだけ有効だとでも思ってたか? ここら一帯はもう俺の領域なんだよ」

 一瞥し、無力化させた陰陽師を蔑む。そこに浮かぶのは、覆されることの無い勝利を確信した表情だった。

 妖しい光を宿した双眸は、益々、その光を強くする。

「詩緒!」

 駆けつけようとする少女の進路を、新たに召喚された鬼たちが妨げる。

 今の瑞穂は単に場慣れした人間でしかない。戦う武器はなく、身を守る術は逃げるしかないのだ。

 群がり来る異形の攻撃を必死に避ける少女。それでも少年に僅かでも近づこうとする。

「詩緒! もうちょい頑張りなさい! なんとかするから!」

 しかし、それは虚しい言葉。

 少年を覆う邪気は、徐々に徐々に強まっているのだ。猶予が残されていないことを、陰陽師である彼女は悟っていた。

 そして、現状を打開する術を、自身が持たないのことも痛感している。

「……清美? 俺。話はついた? ……悪いな……なんか、結局、二人に迷惑かけたみたいでさ……ああ。サンキュ」

 繰り広げられる一方的な虐待を満足げに見ながら、慎太郎は場にそぐわない声で通話していた。

「今? 学校にいるんだ……え? 近くにいる? ……そうか、さっきまで奈津美と話してたんだ」

 次々と繰り出される打撃を捌ききれず、ついにその拳が華奢な少女の体を捉える。

 その体は軽々と弾け飛ぶ。地面に叩きつけられ、二転、三転する。しかし、瑞穂は悲鳴を上げはしなかった。

 それはこの状況に興じている男に対する、ささやかな抵抗だったのかも知れない。

「そうだ。これからのコトとか話したいからさ、清美も来いよ……ああ。待ってる」

 そう告げると、慎太郎は電話を切った。

 それは短い通話時間だったのかも知れない。しかし、すでに辺りは鎮まり返っていた。

 そこには術者の命令を待ち、立ち並ぶ異形たちと、倒れた少年と少女の姿が在る。

「……さて。クライマックスだ……相方に殺されるのなら本望だろ?」

 答える声はない。

「……そして、お前だ。渡辺詩緒。賀茂瑞穂を殺したとき、お前の闇はもっと深くなるんだろうな……」

 不敵に嗤うと、その目に魔力を籠める。



 丑寅の、安藤慎太郎の作り上げたシナリオは終幕を迎えようとしていた。







 




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