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第拾話:密会

「……どうしてなの?」

「どうしてもこうしても……分からないかな? 私たち二人がそういう関係になるコトをアイツが望んだからよ。アイツが本当に好きなのはアンタじゃない。私なのよ。これで、はっきりと分かったでしょ? だから、傷つく前に別れるように言い続けてたんじゃん……」

「違う! 貴女が誘惑してきたって言ったもの!」

「ちよ、ちょっと! 人を泥棒みたいに言わないでよ! それにアイツの方から私を口説いてきたんだよ!?」

「嘘を言わないで!」

「――アンタ……友達の言うことが信じられないっていうの?」

「友達? ……ええ。そうね。友達だわ。だから、ダメだったんじゃない。私の友達だから貴女を無視出来なかった。悪く接することが出来なかったって……そう言ってた……奈津美は、そんな彼の優しさに付け込んだのよね?」

「はぁ!? ……もういいわ。アンタと話したところで、時間のムダになりそうだもの。でも、諦めなさい。私の方が絶対に彼にはお似合いなのよ。それに、アンタなんかに私が負けるわけがないでしょ? 私がいないと何も出来ないクセして!」

「……そんなことないよ? だって、私は変われたもの。自分から声がかけられたもの……」

「はぁ!? 何それ? 何、ワケ分かんないこと言ってんの? アンタ?」

「ほら。今もこうやって変わっていってるよ?」

「――! な、何!? ソレ……ちょ、ちょっと! アンタ、本気なの!?」

「私はね。これからも変わり続けるの……」

「や、やめなさい、清美! そ、それ、捨ててよ! ご、ごめん! 謝るから! ねぇ!」

「慎太郎を想い続ける限り、私は変われるの。強くなれるの――」

「や、やだ! こ、来ないでよ!」

「――ね? 私、強くなれたよね? 強く意志を持てるんだもの。こうして、自分のしたいことが出来るんだもの――」

「ねぇ! 清美! 頭、冷やしなよ! や、やめ――!」







 ◇




 僅か、ごく微弱な。しかし、確かな『魔』の存在を感知し、黒衣の滝口は一瞬、そちらに気を殺がれてしまった。

 滝口が感知した『魔』の波動は瞬間的なもの。恐らくは『堕ちる』に、まだ完全に至ってはいない人間によるものである。何者かが、何かの拍子に『魔』に堕ちる直前にまで陥ってしまったのだろう。

 完全に『魔』に変じてしまえば。感情のままに、人間という姿を捨てたのだとしたら。

 その存在を滝口の少年は感知し続けているはずなのだ。

 ならば、目の前にある弊害こそ、最優先の対処事項であることを滝口は認識する。

 黒衣の滝口、渡辺詩緒は眼前にある二つの人影に、意識を集中させた。

 夏を迎え、花が疎らに存在する植え込みに囲まれた場所。

 一人と二人組。三人の世界の裏に生きる者は、そこで相対していた。

 その場で咲く華は、人類が古来より愛でてきた観葉種である。春から秋。長い期間に渡り、その気品と風格を漂わせた華を咲かせ、見る者を楽しませる。

 その華の持つ風格。人の手によって剪定せんていされ、鉄柵に誘引されながらも。その棘により、気安くは触れさせはしないことが、それを際立たせているのかも知れない。

 薔薇という植物に囲まれた中庭。

 そこはその場にいる三人の内、二人の少年の通う学園の敷地の一角である。

 深夜。日付の変わりの数時間後。所謂、丑三つ時。

 滝口の少年は、その場にいる、もう一人の滝口の少年の呼び出しに応じていた。

「今日は変装じみた格好をしていないんだな。八卦衆……安藤慎太郎……だったか?」

 風体に似合わず、そこに咲いた一輪の薔薇を愛でる巨漢の男。その大男の横に立つ、自身とほぼ同じ背丈の少年に詩緒はそう訊ねた。

「へぇ……俺の名前を知ってたんだ。俺って目立つ存在だからな」

 詩緒を呼びつけた少年は肯定してみせると、にやけ面を見せる。

「……校舎に大掛かりな術式を展開することを、最も容易に可能にするのは、そこに通う人間だ。生徒、教員の顔と名前は判るように調べておいただけだ」

 淡々と事実を告げながら、詩緒は巨躯の足元に刺し立てられた、その得物を一瞥した。それは華を慈しむ直前に、大男自らが振るい、突き立てた大斧である。

「なんだ? 主となる俺の正体をそんなに知りたかったのか? 協力するんなら、その程度、すぐに判ることだろうに。無駄なことに労力を割くんだな……」

 見下したように慎太郎は言う。いや、そこにいるのは高校生活を送る一男子生徒、安藤慎太郎ではない。

 自らが持つ特異な力に因って。独り、この場に現れた滝口の少年に対して、あの夜、圧倒的な優位性を誇示して見せた八卦衆の一人、丑寅と呼ばれる人物のものだ。

「……無駄じゃない。お前を始末すれば、例の一件の片が付く。それが解った」

 しかし、詩緒はいつもと何一つ態度を変えはしない。

 例え、そこに劣勢な力関係があったところで、目の前の剣士を排除すべき『魔』であると判断した以上、彼が行なうべき行動は一つしかない。

「へぇ。折角、あの日にこれ以上ない条件を提示してやったのに……どうやら、交渉には応じないみたいだな、お前――」

 丑寅はその能力で詩緒の動きを封じた後、ただ単に、彼を見逃した訳ではなかった。

 自身の切り札の一つとなるべき存在。丑寅は、渡辺詩緒という心に深い闇を、強大な『魔』を飼った少年に、自分たちの陣営につくように誘い入れたのだ。

 返事をこの日、この場所で聞くことを告げて。

「一人で現れたから、てっきり協力してくれるもんだとばかり思ってたんだけど……お前、よっぽど頭ワリィんだな」

 協力。如何にも仲間に欲しているような言葉を使いながらも、口調はそれを表現してはいない。

 山を司る八卦衆の剣士は、道具としてしか彼を認識していないのだから、それは当然なのかも知れない。

 あの夜、少年を完全な鬼に堕とすことを行わなかったのは、いざというその時まで、人のなりで運用した方が都合が良いと判断したからに過ぎないのだから。

 加えれば。この滝口が最後まで反抗を行なうようならば、最悪、その能力で動きを封じ、拘束して、必要な時に捨て駒として利用すればいい。そう丑寅は考えているのだ。

 『成り』。『打ち込み』。

 将棋の固有の手駒の利用方法を指し示す用語。その言葉通り、八卦衆の剣士にとって、その遊戯の駒と、その滝口は正に変わりないのだ。

「……で? じゃあ、何でお前は一人でノコノコと現れたんだ?」

 棋士は優位性を誇示するように悠々と訊ねる。その態度は、奥底から湧き上がる感情を押し殺す儀式だったのかも知れない。

 しかし、それは確かに腑に落ちないことであった。

 丑寅が詩緒に突きつけた条件の一つ。彼の標的ターゲットである陰陽師、賀茂瑞穂を孤立させること。

 交渉を破棄する意思があるのならば、わざわざそれを、こうして実行して見せる必要性はないはずなのである。

 寧ろ、八卦衆との敵対関係を継続する以上は、この場は最も雌雄を決するには適した場であったはずなのだ。

 だとすれば、持ちうる戦力をこの戦いに投入するのは、常識で考えれば当たり前のことである。しかも、その滝口は、敵の戦力の全貌を知り得ないのだ。判明している能力的な不利性、そして、不確定要素に対応するためにも、つまりは賀茂瑞穂という陰陽師はここに居て然るべき存在だったのである。

 しかし、この場にその少女はいない。

 渡辺詩緒という滝口が、敵対の意志を有した場合。この場に、その少女が現れること。

 それは丑寅の狙いの一つでもあったのだ。

 滝口がこちらの誘いに乗らない場合は、間違いなく二人で現れるだろうと彼は踏んでいた。

 その際は、その場で渡辺詩緒を手駒に変えて、早々と事を済ませてしまえる。

 例え、陰陽師がそれを阻止しようとしたところで、それは叶わぬことなのだ。彼の持つ八卦の能力がそれを許さないのだから。

 その状況は、歓迎すべき状況であったはずなのだ。

 今現在有している切り札である手札を温存さえできる、合理的なプランを遂行できたのだから。

 しかし、それは水泡と帰していた。

「お前たちをす程度、俺一人で十分だからだ」

 詩緒は丑寅を射抜くように見ながら返す。だが、それは本音ではない。少年は自身が不利な立場にあることを明確に理解している。そして、それは質問者の望んだ答えでもない。計画を破綻させた要因を全く孕んでいない発言なのだ。

 少年の意図は、少年の内にだけ秘められる。

「……俺に絶対服従を誓え。あの夜、そう言ったよな?」

 それが詩緒に課した、もう一つの条件。

 冷たい表情を見せる詩緒に対し、丑寅は感情を剥き出しにする。その顔に浮かぶのは、怒り。

 能力を知らしめ、そこに絶対に覆すことのできない力関係を突きつけたはずなのに。思い通りに動かない少年に、丑寅は憤りを覚える。

 絶対的な力を前にして。

 彼自身はその前に平伏せるしか術を持たなかったのに。しかし、目の前の自分にも敵わない滝口は、それを受け入れ、あまつさえ、自身の意思で足掻こうとしているのだ。

「オイ。俺がお前を有効に使ってやる。そう言ったよな? これから俺たち滝口が支配する世の中が生まれるっつたよな? そんときに、俺直属の部下になってるってことは、お前のためでもあるんだぜ?」

 腰に指した小太刀の柄に手を沿え、丑寅は唸る。

「……くだらない」

 ぽつりと零すと、詩緒はその手に在る愛刀へと空いた手を伸ばした。

滝口おれたちは唯、闇に生きればいい。人に知られる必要は無い。それは無駄な混乱を招くだけだ……」

 それは本来ならば、彼ら滝口の最高峰にあると認められた武人の担う刀である。

「やはり、八卦衆おまえたちと平井万葉は『魔』だ――」

 その最たる担い手の選定者、滝口棟梁を最終の敵と見据え、詩緒はその愛刀の古雅な刀身を月下に晒した。

 詩緒とその刀の直接的な関わりは浅い。しかし、強い絆がそこには在った。

 その退魔の名刀の名は『鬼切おにきり』。

 滝口たちの伝承する宝具の一つ。かつて一条堀川の戻り橋にて、渡辺綱わたなべのつなが出会った鬼、茨木童子いばらぎどうじの片腕を斬り落とした名刀。

 その姓が示す通り。源頼光みなもとのらいこうの四天王の筆頭として名を馳せる武人、綱は少年の祖。

 そして、先代。その宝刀の正式な担い手として任命されていたのは実兄、渡辺柾希わたなべ まさきなのである。

 それは遺刀でもあるのだ。

 その刀に残された兄の想い。彼の親友を凶行を止めること。


「平井万葉という女は、滝口という組織を私物化しようとしている」


 奇しくも、その男が詩緒に告げた言葉は、現実として鈴の剣士の前に存在した。

 それも最悪の現実として。

「滝口という組織が『魔』だと言うのなら――」

 下段正眼に構え、黒衣の滝口は呟く。

「俺はその滝口という組織を排除するだけだ」

 言い放ち、駆ける。

 唯、自身の信念を貫き、在るべき姿の滝口として生きる。

 その言葉は彼の決意であり、この場だけでなく、これからの少年の戦いの狼煙でもあった。

 一足にして八卦衆との距離を詰め、詩緒は鬼切を閃かせる。

 その挙動は、丑寅に如何なる受動行動も取らせはしない。瞬きすら許さぬ、刹那の時間に行なわれた強襲であった。その剣閃に一切の反応が出来ず、後は斬られるのみだった丑寅。

 その目には、上空を舞う、一輪の薔薇が映し出されていた。その耳に、鋭い金属同士のぶつかる音が飛び込む。

 それは刃音。

 詩緒の鬼切の刃。それを突如として現れた巨漢の大斧が、丑寅の肩先の直前で受け止めていたのだ。

 男が愛でていた薔薇の華。宙を舞った華。それが互いの武器を交える二人の足元、その丁度、中程へと落ちていた。

「薔薇の下で――主は泰西たいせいに在る、その言葉の意味を知っておるか?」

 ぎょろ目で少年を見下ろし、大斧の使い手は少年に問いかける。

「秘密を共有すること。その秘密を固く守ること――か」

 詩緒は言い放ち、男の鳩尾を蹴り抜くと、後方へと跳んだ。

「……如何にも。そして我等が棟梁の名は、その薔薇一種の名から付けられたものらしい……」

 詩緒の鋭い蹴りを、人中の急所の一つに受けながら。口端を歪めさえて、巨漢は平然と語る。

「この場にいることから、お前を敵だとは推測していたが……実際にそうだと、少々、手を焼きそうだな……」

 言いながら、詩緒は鬼切をゆっくりと横八層に構え直す。

「薔薇の下、万葉様と秘密を共有する者に――理想を共にする同士に。それに主は為れぬか……為らば、ここで消し去るのみ。そして、その刀。鬼切。それを吾が等の元に返して貰おうぞ」

 大斧を、男は黒衣の滝口に突きつけるように向ける。それは構えではあるが、型にあるものではない。

 その巨躯を活かした力技を、そこから振るうだけなのだろう。

「……大隈雄吾。四天王でありながら『魔』に堕ちるか――」

 その構えをそう悟り、詩緒は彼の名を、完全なる敵対者と判明した男の名を、口にした。

 その巨漢は最早、傍観者ではないのだ。ならば、この滝口の最高峰に位置する男に告げる言葉とて、いつもと変わりはない。

「渡辺詩緒――大隈雄吾。お前を殺す人間の名だ」

 その宣告。それもまた、少年の道の在り方を示すものだった。














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