第壱話:胸中
この物語はフィクションです。作品に登場する人物、団体、事件、『刀』等は実在のものとは一切関係ありません。
今夜は記念日。
貴方と私の結ばれる、とっても素敵な夜。
そう。貴方は私の運命の人。
だから、これからは私が貴方を守ってあげるの。
一番、恐ろしいモノから、私が貴方を。
例えどんなに強い貴方でも、従うことしか出来ない摂理から。
私の想いは貴方を永遠に守るの。
ほら、見て。月が綺麗。
いつもは見えない星も空一面に輝いてる。
きっと、星たちも私たちを祝福してくれているのよ。
だから。
ねえ。
私の想いを受け止めて――。
貴方のために、紅く色づいた唇。
そこから零れるこの炎は、私の心そのもの。
貴方を想い、恋焦がれた心が具現化したものなの。
私の想いは、それ程に強く深いのよ。
そう。この炎は私の想いを綴った愛の言葉。
でも、それなのに、貴方はそれを避けてしまう。受け止めてはくれない。
どうして?
私の想いは、貴方には届かないの?
私の前に立つ、愛しい貴方。
黒一色の衣服に身を包む、この世の者とは思えないほど美しい貴方。
貴方のすべてが私の心を奪う。
一挙一動、そのすべて。貴方の動きから、私は目が離せない。
私の想い。私の愛の吐息を避ける動作さえ、舞うように綺麗。
貴方は手にした武器を構える。
知っているわ。それは日本刀でしょ?
そして、貴方は私にそれを振るう。
でも、私は避けないわ。甘んじて、この体でそれを受け止めるの。
激痛が走る。
柔肌を裂いて、そこから赤い血が飛び散る。なだらかな曲線を描く私の肢体に沿って、鮮血が流れ落ちる。
深く裂かれた傷跡。
そう。その傷さえ、いつか貴方と私を結ぶ絆に変わるはず。
私はそれを強く確信しているの。
貴方だけが、彼を忘れさせてくれる。
――いいえ。違うわ。
私は貴方に出会うために産まれて来たんだもの。
あの人は、貴方と出会うための過程に存在ただけに過ぎないのよ。
そのための役割を担っただけだったの。
その証拠に私はこうして生まれ変われたんだもの。
美しく変わる蝶のように。醜かった殻を破り捨てて。
貴方の前で生まれ変われたんだもの。
そう。貴方と出会うために、私は生きてきたのよ!
それなのに、貴方はただ厳しい視線を私に送る。
どうして?
どうしてなの?
……そう……そうなのね? きっと、そうよね!
貴方にはまだ、私と違って、私の想いのすべてを受け入れる心の準備が出来ていないだけなのね?
だから、抵抗を続けるのね?
確かに愛しい人の想いであっても、そのすべてを受け止めるには、大きな覚悟が必要だものね。
でも大丈夫よ。
きっと貴方もすぐに解ってくれるはず。
人は美しさを永遠に維持は出来ないもの……。
いずれ老い衰え、そして、それを失ってしまう……。
だから、私が貴方を殺すの!
そうすれば、貴方は私の中で美しさを保ったままの永遠の存在に変わる。
貴方を想い、私は瞳を閉じる。そこにはいつも、美しいままの貴方が居続ける。
――ねえ? 素敵でしょ?
永遠の愛なんて、存在しないと他人は笑うでしょう。
でもね。例外は確かに、ここに在るの。
それが貴方と私――。
そして、私の行動こそが、それを現実のものに変える唯一の行為。
それこそが至高の愛の形。
でも、その想いは、未だ貴方に届かない。
どうして?
なんでなの?
いくつもいくつも。私の口から貴方に向けて送られる愛は避けられる。
届かない。届いていない。
嗚呼! 言葉だけじゃ信じられないよね? それだけじゃ、寂しいのよね?
安心して。解るよ! そんなコトじゃ、貴方を嫌いにならないわよ!
……だって、私もつい最近までそうだったもの。
言葉なんて希薄なモノに、想いのすべてを見出せなかったもの。
だったら……。
――だったら、そう。私が抱きしめてあげる。
産まれたままの、一糸纏わぬ、この体で。
ねぇ? そうすれば、私のぬくもりが伝わるでしょ?
ほら? 私の想いが伝わるでしょう?
私の鼓動を感じるでしょ?
私の存在を強く感じるでしょ?
――もう、寂しくなんかないよね?
微かな音色が聞こえた。
綺麗な綺麗な旋律。
それは、貴方の左手から聞こえる。
そこにあるのは、小さな小さな銀色の鈴。
黒い革紐で貴方と繋がれた、小さな銀色の鈴。
飾り気のない、でも、素敵な鈴ね。
まるで貴方そのもの。
きっと肌身離さず付けていたんだよね?
綺麗な音色が私の心にまで響くよ。
ああ! そうなんだ! それが貴方が私に聞かせてくれた愛の言葉なのね?
素敵……。
瞼を閉じなくても、それを私が形見として受け取れば、私も肌身離さず付けていれば、いつまでも二人は一緒だよ、っていうメッセージなのね?
貴方にこの想いは通じたのよね?
本当に素敵……。
人を愛するって、本当はこんなにも喜びに満ち溢れているものなんだ!
悲しくなんかない! 切なくなんかない!
孤独なんて感じられもしない!
貴方もそうでしょ?
――フフフ……コレデワタシトアナタハエイエンニヒトツニナレルンダネ……――
◇
「悪ぃ! 浩輔のヤツがさ、好きな子に告白したいから、どうしても付いて来てくれって、煩くてさ!」
少し地味目な印象を受ける、そのそばかすの少女の携帯電話を通して、言葉とは裏腹に明るく語る少年の声がする。
「……そうなんだ」
携帯でその少年と話す少女――姫川清美は、彼女なりに努めて明るく返答をしたつもりだった。
しかし、その言葉に心から納得していないことは一目で解る。
曇った表情。俯き、長めの黒い前髪が、その顔に影を落としていた。
「あれ? 浩輔、知らなかったっけ? F組の田辺浩輔だよ。中学ん時からの親友でさ。話したことあっただろ? それでさ、断れないんだよ。どうしてもさ……」
「……うん。わかった……」
電話の向こうの少年に、答える声が心に正直に沈む。清美が話す相手は、彼女の彼氏である。
名前は安藤慎太郎。長身でルックスも悪くない。とても外交的な明るい人物で運動神経が抜群。学園催事には常にクラスの中心にいる人物である。
清美と慎太郎は今年、高校生活の始めの日に交際をスタートさせた。
中学三年間の想いを、清美が告白したのだ。
その行為は清美にとって、まさに一大決心の行動であった。人生で初めての愛の告白だったのだ。
入学式の後。慎太郎と中学三年の時にクラスメイトだった、親友の及川奈津美に頼み込んで、中央公園の江戸彼岸の下に彼を呼び出してもらった。
この街の中心にある大きな緑地公園。その一角。大きな池に面する小さな広場。
その木は、その広場にある桜の老木である。
――その下で、告白をして結ばれた者は幸福になる。
そういう何時から存在するかも定かでない伝説に縋り、告白したあの日。
その夕暮れ時の緊張を、その直後に流した感涙を、清美は昨日のことの様に鮮明に覚えている。
地味な自分を、まさか太陽のような彼が、その想いと共に受け入れてくれるなど、清美は夢にも思わなかったのだから。
「……清美。お前、俺を疑ってんのか?」
僅かな沈黙の間に、慎太郎の明るい声は一変し、咎めるような口調になる。
「ち、違うよ! 疑ってなんかないよ!」
清美は慌てて取り繕った。
解っているのだ。
自身が二人の関係に於いて、一切の主導権を持たぬことを。
今でも慎太郎は女生徒の中では人気が高い。言い寄ってくるライバルも多い。
嫌われないように、捨てられないように。
都合のいい女。そう思われても構わないから、一番近くの存在でありたい。
悲しいかな、それが清美の本心であった。
「そうか? ……まあ、それならいいんだけど。んじゃ、そういうワケだから、みんなを待たせてるし、悪いから切るな」
「みんな?」
少しでも猶予を与えてしまえば、通話は容赦なく切られてしまう。せめて声だけでも、少しでも長く聞いていたい。そういう想いに囚われていた清美は、疑問を即座に口にしていた。
その発言が彼の気を損ねるのかも知れない。そういう後悔が後から湧いて来るも、もう後の祭りだった。
「あ? ああ……浩輔のヤツが二人っきりだと、アガってなんにもできねぇから、2・2で遊びに来てるんだよ」
棘のある声。案の定、再び機嫌を損ねたことが容易に知れる。
直後、携帯で話す彼の向こうで慎太郎の名前を呼ぶ、清美とは違う女の子の声が聞こえた。
「すぐ行くから!」
掌を返した様に明朗にそう叫び、その女の子に返す受話器の向こうの彼氏。
それは自分と二人きりの時には、決して聞かれない声のように清美には感じられた。
「んじゃ、切るな」
「慎太――!?」
まだ伝えたいことが残っていた少女の声を一方的に遮ると、通話は途切れる。
携帯を添えたままの清美の耳には、ツーツーと無機質なデジタル音だけが届いていた。
再び俯き、ゆっくりと、清美は携帯を折り畳む。
サブディスプレイのデジタル表示の時刻は、慎太郎との約束の時間が、優に一時間以上前であることを彼女に告げていた。
「……慎太郎……今日は……」
清美は呟き、空を仰ぐ。目に溜まっていたものが、一つ。そばかすの目立つ頬を伝って流れ落ちた。
立ち尽くす少女。
世界が止まったように、ただ呆然とする少女を他所に、しかし、世界は確かに息づいている。
日は暮れかかり、辺りは喧騒に包まれていた。
この街で人通りの最も多いスクランブル交差点。ここは、その一角に存在する広場なのだ。
対面のこの街で一番集客力を持つファッションビルには、今が旬のカリスマモデルが大胆にポーズを決めている。清美と似たような服装に身を包みながら、しかしそのモデルは、彼女とは対極にあるように輝かしく明るい表情を見せていた。
そして、この広場にそびえる駅ビルの壁面には大型のテレビジョンが設置されていて、目印にも、時間を潰すのにも適している。
だから、ここは恋人たちを中心に待ち合わせのメッカとなっていた。
人が集まり、賑わい、華やかで。
清美もそれを構成する一人になるはずであったのだ。
「ごめん! 待たせたね!」
その耳に聞こえた、男性の声。慎太郎のものでは決してない。彼の声に比べれば、酷く大人びている。
それは全くの他人の声。
解っている。
頭ではそう理解しているのに、清美の体はその声に反応していた。
「もう! 遅すぎよ! 何分、遅刻してると思ってるの!?」
「ごめん! 会議が長引いてさ……本当にごめん!」
声を追った視線。その先で背広姿の男性が、清美のすぐ隣に立っていた女性に声をかけていた。女性はそれに膨れ面で愚痴っている。
平謝りを繰り返す男性。女性は、もう、と大きく息を吐く。
女性は清美とほぼ時を同じくして、ここに立っていた。どうやら、ようやく待ち人が現れたようだ。
彼女は男性の腕を取り、今回だけだからね、と微笑むと、連れ立って人波に乗った。
視界から消えて行く二人の背中を清美は、ぼんやりと見送る。
「……私、何やってるんだろう?」
そして、寂しく笑うと、その頬に止め処なく涙が流れた。
慎太郎が、突如として約束を破ったことは、これが初めてではない。
友人に言わせれば、酷い彼氏だと言う。
それも解っている。
きっと、自分も友人の彼氏が、そんな態度を取るのであれば、その友人に別れを勧めるだろう。
しかし、駄目なのだ。
どうしても、駄目なのだ。
理性でそれが判断できても、感情がそれを許さない。
清美は心の底から、慎太郎を愛しているのだ。
どれだけ泣いても、どれだけ寂しい思いをしても、彼が愛しくて仕方ないのだ。
でも、今日だけは。
今日だけは、そばにいて欲しかった。
清美はそう思う。
今からでもいい。どんなに遅くなってもいい。
日付が変わるまでに会いに来てくれればいいから。
それまで、どんなに寂しくてもここで待つから。
心の底から、切にそう思う。
十六回目の誕生日を、彼女はこうして迎えた。