ドアマットは誰が為に
クロエはメイドである。
ハグウィーズ伯爵家の令嬢であるアリスが生まれる少し前に雇われ、以後はアリス付き侍女として長年働いてきた。
そんなクロエは時々思う。
貴族って汚い、と。
権力や資産を維持・増大するために法で許されるギリギリの範囲、所謂『グレーゾーン』を当たり前のように攻める場面を、これまでに何度も見聞きしてきたからだ。
法というのは平等に行使されるものである。
しかしそれを制定するのは権力者であり内容も複雑。ゆえにそれを熟知し、専門家と相談しつつ『ギリギリ合法』のラインを攻めることかできるから、貴族は古来より、良くも悪くも強大な存在なのだ。
勿論それが出来ない貴族は競争に負け没落の一途を辿り使用人への金払いも悪くなるゆえ、汚くなるのも仕方がないと理解してはいる。
いるのだが、平民出身としてはなんだかなぁ……と複雑な気分になってしまう。
さて、そんなクロエだが自身の主人であるアリスに対しては好印象を持っていた。
「クロエ、今日の紅茶もとても美味しいわ。いつもありがとう。おかげで勉強もはかどるわ」
「勿体無いお言葉でございます」
今年十四歳になる可愛い娘で、使用人にもきちんと挨拶しお礼を言う。不幸にも昨年、流行り病で優しい人格者であった母親を亡くしたが、それにめげずに前向きに頑張っているのもまた素晴らしい。
そんな彼女の父、ヘイヤー・ハグウィーズ伯爵はというと、やや高齢で持病のある、無口で無愛想な男だった。
結構汚い事もやっている典型的な貴族だったから、屋敷の太陽であったアリスの母親が亡くなった今、屋敷の住人は自然とアリスを慕うようになっていく。
いずれ彼女が父の遺産を相続し、家を継承していくのだろう。ごく自然にそう思われていた中で、ヘイヤー・ハグウィーズ伯爵は今年十六になる娘を持つ、美しい未亡人と再婚した。
貴族にとって再婚は珍しいことではない。しかし、後継争いになるような子持ちの女と結婚するケースは稀である。
そしてこの日から、伯爵家でアリスの扱いは目に見えて悪くなっていった。
部屋や服は粗末なものに変わり、家族と共に食事をとったり団欒する時間が無くなった。
その分アリスは、父ヘイヤーから『教育』という名目で勉強の予定を詰め込まれ、のみならず使用人がする掃除や炊事まで共に行うよう命じられる事になる。
「アリスのためにやっているのだ」
ヘイヤーはそう嘯くが、クロエは思う。
貴族って汚い、と。
要は法に触れないギリギリの範囲内で新しい妻と子供にだけ愛情を注ぎ、アリスを冷遇しているだけではないか。
「おいたわしや、アリス様……」
「いいえ、お父様はきっと、全て私のためにやって下さっているのよ」
健気な事を言う主に内心で、そんなはずないだろうと思う。しかし、それを口に出すのは憚られた。きっとアリスはそう思い込む事で折れそうになる心を守っているのだろうと思ったから。
「いつか、この日々があったから大きな幸せを掴めたのだと、そう笑える日がくると良いですね」
だからクロエは、そう言うに留めた。
そんな風向きが変わったのは、それから四年後の事。
普通、十五から十六にかけて行われるデビュタントすらもさせて貰えていなかったアリスは、成人し家督を継げる十八歳なるとすぐ『私は虐待を受けていた』と実父を訴えたのである。
法というのは平等に行使されるものである。なので当然、事実確認の調査が入った。クロエ達使用人も聴取をうける。
そこで皆は、嘘にならない範囲で誇張を交えつつアリスが辛い境遇に置かれていた旨を述べた。
結果、アリスは勝訴する。
ヘイヤー卿はギリギリセーフのラインを攻めていたようで、しかし実は半歩ほど踏み出してしまっていたらしい。
実刑を避けるためにはアリスとの和解が必要で、そのためにヘイヤー卿は彼女に家督を譲り、また多額の慰謝料を支払った後に別邸へ隠居する事で双方が合意した。
「よかった、本当に良かったですアリス様」
全てが方がついた後、クロエは本心からアリスの事を祝福した。
若くして家督を継いだ彼女ではあるが、父親を訴え勝訴した事で貴族社会でも彼女を侮る者はいない。のみならず、やり手の女伯爵として評価され婿入りを希望する縁談も何件か来ているようだ。
辛かった日々を糧に大きな幸せを掴めたのだと、そう笑える日が遂に来たのである。
「ありがとうクロエ、貴女達が証言してくれたお陰よ」
「いいえ、全て事実を述べたまでですから」
そう、クロエ達は裁判の証人となった際、断じて嘘は言っていない。嘘を見抜く魔道具があるし、虚偽申告は重罪となるからだ。まあ、多少の誇張はしたかもしれないが。
結果、この心優しい主人が勝訴したのは喜ばしい限りである。
まあ、和解成立後にヘイヤー卿や後妻達を快く許し、まるで初めから禍根などなかったかのようにやっているのは、庶民感覚としては少々『ざまぁ』が足りないようにも思うが。
「いいえ、貴女達には本当に感謝しているの。お陰で高額な相続税も払わずに済んだしね」
微笑むアリス。
「え、どういうことですか?」
訳が分からず聞き返すクロエ。
簡単に言うと、こういう事だそうだ。
通常、人が人に財産を譲る場合すべて税金がかかる。しかし、『慰謝料』に対しては基本的に税金がかからない。
「皆にはナイショよ」
イタズラっぽく人差し指を一本立て、口にあてるアリスをみてクロエの頬が引き攣った。
思い返せば『虐待』とされる事実はあったものの、アリスが飢えたり、醜聞をさらしたり、酷い傷を負ったりした事はない。なにせクロエ達が少々誇張して証言していなければセーフとも判断されかねない、ギリギリのラインだったから。
クロエは一連の出来事を思い返してみる。
そもそも貴族と言うのは権力や資産を維持・増大するために法で許されるギリギリの範囲、所謂『グレーゾーン』を当たり前のように攻める生き物ものだ。
ヘイヤー卿は高齢で持病があるから、近いうちにどこかで家督を譲る必要があり、また後継者が侮られない様にする必要もあった。
そして現在、アリスは使用人全員を味方につけており、かって法廷で争った父や義母、義姉との関係も非常に良好である。そう、まるで仲違いなど初めから無かったかのように。
クロエは思った。
貴族って、やっぱり汚い。




