第一幕:結婚詐欺師と無知な女
ねえ、あなた。私はアドラーよ。
そして、アドラーを愛するシャーロキアンの一人なの。
なのにーーアイリーン・アドラーと名乗っている。
なぜですって?
私は......コナン・ドイルの書いた彼女の美しさ、そして強さに惹かれて、
この名前を時々名乗っているの。
ーーでも本気じゃないわ。
ーーマスクみたいなものなの。
ーー私には、もう一つの名前がある。
だけどねーーあなたに、
言うべきかーー悩んでいる。
この物語は私が、アイリーン・アドラーを名乗ることになった話なの。
だからーー言わない方が、お互いにいい関係でいられると思うの。
あなたが私の本当の名前を口にすれば、この名前がアドラーを殺してしまうかもしれないからーー
1885年頃の事よ。イギリスのサリー州のリッチモンド周辺の邸宅街に私は住む事になった。そうーー五歳ぐらいだわ。
父は裕福な叔母さまから、
借金をしてまで、
屋敷を手に入れたの。
父は母に認めて欲しかった。
そんな男なの。
母はそんな父を愛していた。
それは、ヴィクトリア朝建築の赤レンガで作られたお屋敷だった。
広い庭もあった。
そこには召使いが二人、
ーー犬が三匹いたわ。
私は......まるで蝶や花。
両親から愛されていた。
お庭で毎日、犬たちを追いかけ、
二人に抱きしめられた日々。
この世界は、きっとずっと続くものだと思っていた。
だけどね、あなた。
現実はーーある日、残酷な夢を見せてくるの。すごく残酷な夢よ。
1900年頃。父は更に上を目指したの。あの幸せな時間は、両親に満足を与えなかった。それどころか、もっと幸せを追い求めたの。
当時の父はロンドンに、よく行くようになった。
お金の話を手に入れるため、社交の場に飛び込んでコネを作るのに夢中になってた。
私は本を読むのにハマって、特にアーサー・コナン・ドイルの書いた「シャーロック・ホームズ」がお気に入りだ。今も私は読んでいる。
でも本を読むのに夢中で、色恋のことは全く考えなかった。
ホームズのように知的な王子を待つ、バカなお姫さま。それが私だった。
ある日、父が連れてきた男の人がやってきた。彼は紳士で話し方も行動も洗練されていた。彼は私たちと住むことになった。彼は父に信頼のおける情報を用意した。そのおかげで、私たちは裕福になっていく。
召使いが二人から四人。
犬が三匹から五匹になったわ。
ある日のこと。
彼から私は、自分の部屋で突然に抱きしめた。初めての経験だった。
両親との触れあいとは別の何か。
「レディ。君を迎えに来たーー。
そう言ったら、君は信じてくれるかい?
ボクらは運命によって引き合わされた。
レディ。君の瞳は誰かを探す。
もう、そんな目を外に向けないでくれ。
レディ。君の瞳をここに向けて。
その誰かとはボクの事だ。」
彼の囁きと愛撫のことは、言いたくない。
あなたに言うとしたら、
若さとは厄介なものよ。
あらゆる事に対して、
新鮮さで魂を誤魔化すんだから。
彼は私をモノにした。
それだけなら、まだ許せた事だ。
1901年。私が十六歳の誕生日。
彼は私たちの前から姿を消した。
初めから存在しなかったかのようにーー。まるでロンドンの霧。
そして、今まで私たちが手に入れたものも霧になったーー。
屋敷も、召使いも、犬も、両親の生命さえ。
彼は結婚詐欺師だった。
両親は失ったモノの重さに耐えきれず、傷心のまま神さまの下へ行った。
残された私は幸せになれたと思う?
何もかも忘れて、
強く生きればいいと?
冗談じゃない。
周りの視線は、
私をお姫さまのように扱わない。
親戚の屋敷をたらい回しにされ、
好奇心の目に晒された。
更に傷つけようとさえする。
なぜ私も霧と共に、
両親と共に散らなかったのだろう。
自分の魂を神さまが、
受けいれなかった理由はなんだろう?
これは、罰なのか。
世界が残酷だと気づけない無知に対するーー私への罰?
私は親戚の屋敷を、
まわる日々が始まった。
(こうして、第一幕は流浪により幕を閉じる。)




