第10話 後編 閃光と刻印
前編と併せて読んでいただけますと幸いです。冒頭のセリフはヘルミーネのものになります。
「安心するのはまだ早いようだ、囲まれている……!」
気がつけば洞穴の闇、頭上の影、森林の奥、あらゆる所から数匹の黄金色の瞳が、中央に固まった一行へ、一斉に向けられていた。
「……こりゃまずいな」
レントは静かに口を開いた。剣を握っていた手の力が抜ける。
先程眼前にまで迫った恐怖とは違う、緩やかな絶望。奴らがこれからどんな行動をとってくるかは、素人でも容易に想像がつく。
鳥獣の群れはくちばしを鳴らし、羽を広げ、獲物を逃がさぬようじりじりと迫る。
そして完全な包囲を作り出すと、群れは一斉に炎を吐き出した。
レントは目の前を黄赤に塗りつぶす灼熱の光景に、 息を呑み、硬直する。
日頃から炉を前にしても味わった事が無い、その圧倒的な熱量は、 思考を停止させるには十分だった。
しかし、その灼熱の混沌の中で、エイラの細い瞳だけが一切の乱れなくそれらを正確に捉えていた。
「遮断する神の息吹!」
呪文の詠唱と共にベールのような透明な魔法の壁が揺らめきながら展開された。
だが、その魔力の壁は灼熱の波を受けて、まるで悲鳴を上げるガラスのように軋んでいく。
四方からの絶え間のない炎をあと何秒防げるだろうか。
ヘルミーネは歯を食いしばる。非戦闘員であるレントたちを背後に庇いながらでは、反撃の糸口が見つからないようだった。
彼女は壁の隙間からすり抜けてくる石毒の鶏蛇の鋭い嘴を必死の形相ではじき返した。
フリーズとメルルンも同様、眼前の攻撃を防ぐのに必死だった。
このままでは手数で押し切られそうだ。
次の瞬間、鳥獣たちの黄金色の瞳が、一斉に鈍い鉛色に変わる。
石化の脅威が、目に見えない光線となって襲いかかった。
「まずい、避けろ!」
ヘルミーネの号令に慌てて避けるも、肌を焼くような絶大な魔力の余波が身体を捉える。
その時、レントの視界の端で、フリーズの角の先端が、メルルンの頬が、エイラの手の甲が、そしてヘルミーネのつま先が、一瞬にして灰色に変色した。
「くっ……!」
ヘルミーネはその彫刻のような顔立ちを崩し、苦悶の表情を浮かべていた。
微かな硬直が、仲間たちの流麗な動きから自由を奪い始めた。絶望が、冷たい泥のようにレントの胸にまとわりつく。
レントは焦りと悔しさで唇をかむ。
何もできないのがもどかしい。どうにかしてこの状況を打破できないだろうか。
その時、地面に転がっていた鉱石が目に入った。
レントの脳裏に一計が浮かぶ。首が千切れるほどに、懸命に周囲を見渡す。
見つけた――
麻袋、そして中から冷たい『発光鉱石』の塊を拾い上げた。
「振り向くな、目をつぶれ!」
レントは必死の剣幕で叫び、鍛冶師として培った知識と、命をかけた覚悟を込めて、貴重な鉱石を硬い地面に叩きつけた。
網膜を灼くような凄まじい閃光が、雷のように放たれる。
次の瞬間、石毒の鶏蛇たちの黄金の瞳は視界を奪われ、苦痛の声が何層にも重なって響きわたった。
「今だ!やってくれ……!」
「……っ!白鳥たち!」
レントの言葉に反応し、ヘルミーネは再び白き炎の輝きを両翼に展開した。彼女は残像に包まれた空間を飛び上がり、瞬く間に石毒の鶏蛇たちの無防備な首を切り落としていった。
レントは瞼の緊張を緩め、ゆっくりと視界にそれを収めた。そして全身の強張りを解くように深く、大きく息を吐く。
「はぁー、なんとか……うまくいったか」
一、二――全部で七体の石毒の鶏蛇だ。こんな事があり得るのだろうか。
死体から流れる血は不燃物を溶かしたかのような粘度を持ち、その異臭は家畜小屋のそれに似ている。鱗を持つ皮膚は、剝げば鎧の素材となりそうな程に硬い。
改めてその異質さに驚かされる。
そして、あの一瞬でそれらをかたずけた彼女の実力も。
視線の先のヘルミーネは、血飛沫をはじく白銀の鎧をまとい、血だまりを踏みしめる音だけが残った戦場を悠然と歩く。
平常を取り戻しつつあった心臓がドキリと鳴った。その姿はまさに、湖畔の白鳥だ。
「助かりました。あなたのおかげです」
レントに歩み寄ったヘルミーネは、確かにそう呟いた。
レントは目を見開いた。
意外だった。彼女にも人間の心があったようだ。
「お貴族様にはもう口は聞いてもらえないものと思っていたが?」
レントは無視されたことを思い出し、わずかな意地悪さと安堵を込めて、そう言い返した。
「……あまりいじめないでください」
恥ずかしそうに顔をそむける彼女に、思わず「えっ?」と声が出そうになった。
想定していた返しと違う。あれほど守られておいてこの言い分ではこっちが悪者だ。
「いや……! すまない。礼を言うのはこっちだ」
頭を搔き、慌てて訂正する。
しかし彼女の返しから、静かにその鉄仮面が剝がれ落ち、信頼関係が結ばれたのを感じた。
背後からの声に振り向けば、他の三人とポンクルが駆け寄って来た。
彼女たちの賞賛の声にレントは表情を緩める。
「スゲーなあれ!でもよかったのか?多分貴重な鉱石なんだろ?」
フリーズは粉々になった発光鉱石の塊を指差した。
その大きさから予測できる価値は、売れば新しい工房が立つほどだっただろう。
「足をひっぱるだけなのはごめんだったからな。全員が無事ならそれに越したことはない」
レントは、犠牲にした代償に納得していた。
「フフ、やっぱり噂とは違ったね、ヘルちゃん?」
エイラが微笑み、ヘルミーネに視線を向けた。
「おい!ヘルちゃんはやめろ……」
和解の空気が流れる中、ヘルミーネは貴族としての冷静さを取り戻し、改めて深々と頭を下げた。
「重ねて、無礼を働いたことを詫びます」
その謝罪の言葉には、もはや傲慢さは微塵もなかった。
レントは恥ずかしそうに頭を掻いた。
そして、ふと、エイラの言葉に一つ疑問を呈する。
「噂ってなんだ?誰かが悪評でも流していたか?」
彼女たちはハッと息を飲む。
その反応にレントはやれやれとため息をついた。
大方予想はついていたが、期待を裏切らない奴だ。
「私たちは腕の良い鍛冶師を探して王都に行きました。しかし、貴方はおらず、今は一番と吹聴されていたガルド工房で鍛冶を頼んだのです」
ヘルミーネは静かに続けた。
「彼の話では、貴方は『腕もないのにその立場から同業の仕事を奪い、利益を独占し、顧客を裏切る悪辣な鍛冶師』だと。今回も、エイラの進言がなければ、私は貴方に会う気はありませんでした」
「何故、そのガルドを信じた?」
レントの問いは、鋭いピッケルの先端のように、ヘルミーネの胸を突いた。
ヘルミーネは、一瞬躊躇する。
「私の剣を見てください」
彼女は腰の剣を示した。白銀に輝くその剣の柄には、ガルドの工房を示す刻印が確かに刻まれていた。
「この剣は、ガルドの工房で買ったものです。良質な剣で、私は気に入っていました。彼の技術と誠意を信じていたから、彼の言葉にも重みがあると思ってしまった……」
レントの視線は、剣の柄に刻まれたガルドの刻印から、刀身の中央へと移動した。
一見、何の特徴もないただの鉄剣に見えた。
その配合や鍛接のわずかな歪みを見極めるのは、熟練の鍛冶師の目をもってしても不可能に近いだろう。
だが、レントは違った。
炉の中で何百、何千と繰り返してきた、あの鉄の振動と音が、レントの脳裏に灼きつく炎の熱となって蘇る。
レントは鍛冶師としての偏執的な記憶とドワーフの技法のひとつ、素材を見抜く力で、その剣の真の出生を理解した。
「どういうことだ……」
ヘルミーネの剣は、あの時依頼され、王宮に収めるはずだった鉄剣そのものであった。
レントの脳裏に、自分が追放された原因となった事件、羊皮紙に記してあった自らの刻印の記憶が浮かび上がる。
そして、この鉄剣には、ガルドの刻印が刻まれていた。
――何故、この剣にガルドの刻印が刻まれているんだ?
まとめて1話の予定でしたが、6000字超えちゃったので読みやすいように分けました。併せて読んでいただいた方ありがとうございます……!お手数おかけしました。
次回の更新は11/21金曜日を予定しております。よろしくお願いいたします。
【定型文】
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