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【番外編 球技大会】

 番外編 球技大会

「実は……とある先輩のことが好きなの」

 市立体育館の応援席で、紫髪の少女はぽつりとつぶやいた。

「でも、諦めるべきだとは思ってて……」

「いや、それはわかったんだが」

 吉澤はため息交じりにそう言うと、目の前で繰り広げられているバスケの試合に目を落とした。競技はバレーボール、バスケットボール、ドッジボールの三種目。出番のない生徒は二階の応援席で自分のクラスを応援する。

 露木美鈴は出番前に時間を持て余していたので、イベント特有の何でもあり感に乗じて吉澤のいる二組の応援席に突撃していたのだ。

「今は球技大会中だぞ」

「え? 出番まだなんだからいいじゃんね」

「そういう問題なのか……」

 吉澤は呆れながらもそう言った。彼が黒いクラスTシャツに身を包んでいる一方で、露木は緑のTシャツに袖を通している。応援席の中では明らかに異分子なので目立っていた。

「うん。それより、真面目に相談乗ってよ!」

「そう言われても……じゃあ、これだけは言っておこう。お前が高嶺先輩のことを好きなのはバレバレだ」

「……ええ!?」

 露木は大げさにのけ反った。本気でバレてないと思っていたのか……と、吉澤は彼女を憐みの目で見る。

「もしかしてみんな知ってる……!?」

「いや、そんなことは無いと思う──だからこそ、俺に話していいもんなのかちゃんと考えるべきだぞ」

「いいの。よっしーは信頼してるから」

「……それはどうも。しかし、大したアドバイスはできないぞ」

「別にいいよ。減ることはあっても増えることは無いであろう愛理先輩との思い出を、六時間ぐらい使って語り聞かせてあげるから……」

「長すぎんだろ! いっそ告白して玉砕してこい!」

「そんなの無理……! 今ある関係を壊してまで高望みするなんて、そんなこと……!」

 首をぶんぶん振る露木に対して辟易としながらも、吉澤は自分なりに彼女を慰めようとした。

「ほら、あの曲にもあるだろ。『何十億分の一なんて当たる訳がないのに』って」

「よっしー……自分で作った曲の歌詞から引用するのは痛いよ……」

「俺なりに一応励まそうとしてんだぞ!?」

 それぐらいの確率なんだから気張らず行こうぜって──早口で言い訳をする吉澤の背中には寂しいものがあった。

「それより、見てみろよ……あれ」

「ん?」

 吉澤が指した先ではバスケの試合が行われている。そこにはブロンドの髪を振り乱しながら、縦横無尽にコートを駆け回る選手がいた──京坂鈴である。

「鈴ちゃんだ」

 露木は元中の名前をつぶやく。京坂は中盤でボールを奪取すると、相手の選手に囲まれながらもタイミングをずらしてシュートを放った。

「よっしゃー!!」

「ナイシュ~!」「鈴ちゃんかっこいいー♡」

 ボールはリングを通過した。京坂の活躍に、応援席からは男女問わず声援が飛んでいる。吉澤はため息をついた。

「あいつ、運動もできるのかよ……」

「中学校の時からずっとそうだよ──あっ、そろそろ出番みたい」

 露木はクラスメイトが集合するところを見ながら、席を立った。

「さっきは話聞いてくれてありがとう。今度、よっしーの相談にも乗るからね!」

「おう。なんかあったら頼むよ」

 ばいばーい……! と露木は手を振りながら喧騒に消えていった。吉澤はそれを見届けると、ふうと息をついた。

「瞬ちゃん~!」「……!?」

 吉澤が露木と別れた瞬間、隣の席に腰を下ろし、腕を回す者がいた──ツーブロックバカこと、篠原翔馬である。

「さっきの女の子、誰だよ!」

「俺も気になるぜ、吉澤」

 すると、金髪のクラスメイトもその話に食いついた。

「あんなかわいい子と話してるとこを見たら、聞かないわけにはいかないだろ!」

 和倉桐也はそう言って吉澤の肩を掴んだ。彼は『雨天決行』に所属するベーシストで、髪を金色に染め、前髪を上げている男子だ──人によっては『チャラい』印象を抱くだろう。

「誰って……八組の露木だよ。篠原はともかく、和倉には手が届かないだろうな」

「なんだと!? 言うようになったじゃねえか、吉澤!」

 和倉はそう言うと、吉澤の腕をつかんだまま自分の顔を押さえた。

「心を開いてくれて……ありがとう……!」

「別に開いてないからな!? あとなんでお前も泣いてんだよ!」

 篠原はうんうんと頷きながら大粒の涙を流していた。つまるところ、和倉は吉澤と仲良くなりたかっただけなのであった。

「で、瞬ちゃん。実際どうなんだ?」

「どうも何もねえよ……」

「まあ、瞬ちゃんに釣り合うかは別の話だけどな!」

「逆だろ。俺を過大評価しすぎだよ……」

「たっだいま~!」

 刹那。尋問を受けていた吉澤のもとに、ブロンド三つ編みのクラスメイトがやってきた。

「京坂……お疲れ様」

「元気ないね、瞬くん」

 京坂はそう言いながら、先程まで和倉が座っていた席に腰を下ろした。ちなみに和倉はビビり散らかして逃亡し、今は篠原の影に隠れながら羨望のまなざしを吉澤に向けている。

「それより、見てた!? さっきの試合勝ったんだよ!」

 京坂はそう言うと、誇ったように胸を叩いた。すると、篠原は立ち上がって親指を立てた。

「途中まで見てたぜ!」

「俺もすまんが途中までだ」

「途中まで……!?」

 京坂は思わず目を><にした。

「なんで最後まで見てくれないの~!」

「仕方ないだろ。瞬ちゃんに女ができようとしてたんだから……」

「え!? めでたいじゃん! 誰誰?」

「違う! 言いがかりだ!」

 吉澤は必死に否定しながら、コートに目を落とした。先ほどまでバスケ仕様だったフィールドにはバレーボール用のネットが張られ、今まさに試合が行われようとしていた。露木を探していたが、吉澤は球技大会あるある、『どこのクラスがどこにいるのか分からない問題』に直面していた。海北高校の球技大会では一つの体育館に三学年が一堂に会していることもあって、複数のコートを使って試合が行われる。そのため似たような色のクラスTシャツを着たクラスがいくつも存在するのだ。

「……ん?」

 吉澤はよく目を凝らして探してみると、一番端のところに露木が着ていた緑Tシャツの集団が見えた。

「あれ、露木じゃないか──」「吉澤。こっちだろ」

 すると目の前に突如現れた和倉は吉澤の腕を引くと、手前のところを指さした。そこには緑色のTシャツに身を包むカチューシャの女の子がいた。

 紛れもなく露木美鈴だ。

「お、本当だ。ありがとう」

「礼には及ばんぜ」

「和倉くん……いつのまに……」

 京坂が隣の金髪に目を向けたのもつかの間、さっそく試合が始まった。長身の女の子はボールを高く上げると、そのまま高速サーブを繰り出す。ボールは『ギュイン』と音を立てて相手コートに鋭く落ちる。しかし、緑Tシャツの女子が決死の勢いで飛び込ぶと、間一髪でそれを拾い上げた。

「「おお!」」

 思わず無関係の二組応援席からも歓声が上がった。ボールを拾った女子は小柄で、頭にカチューシャをつけている。

「露木……! あいつ、やるな!」

「鈴よりすっげえ!!」

「翔馬!?」

 その後も露木は一試合を通じて軽快にボールをさばき切る。その姿はさながら職人であった。


 *


 時刻も正午を過ぎ、球技大会は午後の部を迎えた。教員とドッジボール優勝クラスのエキシビションマッチを行ったのち、バスケとバレーボールの残り試合を行うことになっている。

「佐藤先生、女の子にやさしく投げててかっこいい~♡」

「花田先生避けるのうますぎじゃない!?」

「いつも軽音部の業務から逃げてるだけあるな……」

 教員が異常にもてはやされるエキシビションマッチが終了した後、会場に四面のコートが作られた。バスケの試合の再開である。

「……あれ、楓香ちゃんじゃない!?」

 昼食後でみんながややまどろんでいる応援席で、京坂はコートを指さした。エネルギーゼリーを吸っていた吉澤が目を凝らしてみると、金髪ウルフカットの女子が青いTシャツに袖を通し、怪訝そうな顔をしながら立っているのが見えた。

「本当だ。めちゃくちゃ嫌そうだな……」

 吉澤は呆れながらもそうつぶやいた。なお彼は午前中にドッジボール要員として出場するも僅差で負けている。特に活躍はしていない。

「────はあ」

 一方でコートに降り立った渡辺は相手の円陣を遠巻きに眺めながら、大きなため息をついていた。ぶっちゃけ早く帰りたい。あわよくば開始早々足をつって後退したい。

「休めばよかった…………」

 もちろん面倒くさいのもあるが、単なる怠惰ではない──運動が苦手な者ならわかるはずだろう。迷惑をかけたくない、という切実な願いだ。

「渡辺、頑張れ~!」

「!」

 渡辺は思わず顔を上げた。二組の方から声が聞こえた──どこにいるのかはわからないが、絶対にあいつの仕業だ。

『試合開始!』

「あ、え?」

 ホイッスルと共にジャンプボールが行われ、ゲームスタート。すぐにボールが相手チームに行き渡ると、軽快なパスワークからゴールに迫る。渡辺は正直展開が早すぎてついて行けなかった。

「渡辺さん!!」「……は、はいい」

 彼女は情けない返事をしつつも、とにかく目の前にあるボールに向かって走った。願わくば早く終わってほしいが──吉澤の声援もあったし頑張らないと。

「あ」

 そう意気込むのもつかの間、相手チームにレイアップシュートを決められ、あっさり失点。中盤や自陣でボールを奪われてばかりなので当然と言えば当然であった。

「楓香ちゃんー! すぐ取り返せるよー!」

「!」

 今度は元気な声が聞こえた、間違いなく京坂鈴の声援だ。渡辺は顔を上げると、前線に向かって駆け上がった──吉澤もそうだが、自分のクラスメイトより声援をくれて複雑な気持ちだ!

「渡辺のクラス、雰囲気悪いな」

「そうだね……」

 吉澤と京坂は難しい顔をしながら戦局を見つめていた。渡辺楓香の所属する六組は他のクラスに比べて声掛けが少なかった。特に渡辺の近くには結界が張られているのかと見まがうほど人がいなかった。やはり下火になったとはいえ、彼女を取り巻く周囲の環境は厳しい。

「楓香ちゃん、頑張れ~! 橘さんも応援してるよー!」

「そうなのか?」

「多分今は別のとこで試合してるけど!」

「勝手に名前使って鼓舞しようとしてないか!?」

 京坂と吉澤が話している間にも、試合は乱打戦の様相を呈していた。渡辺のクラスは一進一退の攻防を繰り広げ、一点差を追いかける展開だ。

 残り時間も少ない中、背の高い女子がボールを持って敵陣に侵入した。

「良いドリブルだ!」

「行け、芹那ちゃん! あ、愛華ちゃん──」

「「ナイススクリーン!」」

 和倉は後ろの方から怪訝そうに吉澤と京坂を見つめていた。なぜ自クラスより渡辺楓香の応援に精を出しているのか、それと京坂はなぜそこまで他クラスの生徒の名前がポンポン出てくるのか……疑問は絶えない。

「あ、惜しい!」

 バスケ部と思しき女子は積極的なドリブルを見せたものの、プッシングによって倒れてしまった。本来はファールだが、球技大会のガバガバ基準でまともな判定がもらえるはずもない。

「────ノーファールなんですか!?」

 女バスの抗議の声もむなしく、ボールは地面を転がる。残り時間はわずか六秒! もうダメか──誰もがそう思ったとき、なんと渡辺楓香の目の前にボールが転がってきた。

 渡辺は一瞬だけ目を見開いた。ボールを持ったところで何をすればいいかわからないし、わずかな時間しかない。だが──浴びたことないほど大きな声援が聞こえる。

「行け、渡辺!」

「シュート打っちゃえ~!」

 ほぼ吉澤と京坂のものだったが、それが彼女の心に火をつけた。

「渡辺さん──」

 バスケ部女子は倒れながらも彼女の名前を呼んだ──無理しないで味方にパスしよう。タイムアップになっても仕方がない。

「──」

 しかし嫌われ者はボールを拾い上げると、ゴールをちらっと見た。味方にパスする? 答えは否──時間がないのであれば打つしかない。『第ゼロ感』が頭の中に流れる──都合のいい時だけ再生してごめん、10-FEET!

「…………」

 彼女は構えの姿勢を見せると、片手で投げ入れるかのような出鱈目なフォームでボールを放った。

 ヘロヘロのシュートだったが、それは見事な弧を描いた。ボールはボードに当たると、そのままきれいにネットに吸い込まれた──そしてすぐにホイッスルが鳴り響く。

「……え?」

 積極的な姿勢が劇的な決勝点を呼び込み、六組は逆転勝利を収めた。試合終了後のあいさつをしている間も、渡辺はよくわかっていなかった。何が起こった? というか、私はこんなに遠くからボールを投げたのか? 誰にも声をかけられないので実感の湧きようもなかった。一応勝利したということにはなっているが、同じことを百回してもゴールできたかどうかという感じだろう。

 つまるところ再現性はない。ただ、火事場の馬鹿力が出たというだけの話だ。

「渡辺さん……!」

 彼女はそそくさと席に戻ろうとしたが、クラスメイトが声をかけてきた。鈴木瀬里奈──相手チームの選手に押されてボールをこぼした、黒髪短髪の女子バスケ部員だ。

「本当にかっこよかった……! ありがとう!」

「いや……」

 渡辺は視線をそらした。運動部に見つめられると気が重くなる。なんでも嫌味に聞こえるし。

「……?」

 すると──階段からぞろぞろと人が走って下りてきた。彼女らは色とりどりのTシャツに身を包んでいる。

「渡辺さん、すごすぎ!」

「何あの完璧なフォロースルー! ルーズボールへの反応も良すぎだし!」

「経験者なの?」

 女子バスケ部は渡辺の周りに群がる。未知の事象に、彼女は顔が引きつった。

「え……?」

「あの3ポイント、今日の球技大会で一番良かったわ~」

 以前、高嶺の前で陰口を言っていた女子は渡辺のプレーを称賛すると同時に、頭を下げた。

「渡辺さん、誤解しててごめん」

「いや……バスケの腕前と性格はまた別だし」

「バスケ部入ろうよ! 前線に張り付いてくれればいいから!」

「え、いや、運動はちょっと……」

「そのセンスはすごいよ。磨けば光るものがある!」

「てか楓香ちゃんって可愛いよね! インスタ交換しよ!」

 そして、なおも女子バスケ部員が彼女のもとに押し寄せる。しばらくその波は落ち着きそうにもなかった。


 *


 六組の劇的勝利を受けて京坂は苦笑いするほかなかった。まさか、ずっと嫌々動いていた渡辺があの位置からシュートを放つとは──さすがは吉澤が選んだ人物だ。ここぞというときの勇気、勝負強さはさすがのもので、その心意気こそが称賛に値することは間違いない。

「すっかりヒーローになっちゃったね。楓香ちゃん……」

 彼女はそう言って隣の吉澤に語り掛けたが、すでに彼はいなかった。

「……あれ?」

「瞬ちゃんなら、バスケの助っ人で試合に出るらしいぜ」

 篠原はそう言って笑うと、遠くを指さした。

「……あ、ほんとだ。翔馬は出ないの?」

「オレはバスケ部だから、バスケの試合には出られないんだよ」

「なるほど、ズルいもんね」

「おう。体育の授業と球技大会くらいは、別の競技で気分転換したいところだ!」

 二人がそう話している中、さっそく吉澤の試合が始まろうとしていた。運動に不慣れな天然パーマは前とも後ろとも言い難い、不思議な空間にポジションを取っている。

「瞬ちゃん……! ヒーローになってくれ!」

 篠原は手を合わせてそう願った。そのさなか、さっそく吉澤の目の前にボールが転がる。

「!」

 吉澤はそれを拾い上げようとするが、なんと──思いっきりすっぽ抜けた。

「「え?」」

 二組の応援席で困惑の声が折り重なった。吉澤が後逸したボールは相手チームの坊主頭に拾われ、そのまま堅実にレイアップシュートを叩きこまれた。

「…………」

「すまない、みんな!」

 彼は床を叩くと、悔しそうに顔をゆがませた。辺りにはホイッスルの音だけが無情に響いている。

「瞬ちゃん……」

「瞬くん、頑張れー! 失敗なんか気にするな~!」

 吉澤は応援を一身に受けて立ち上がると、ポジションを取り直す。──しかし奮闘もむなしく、試合は徐々に大差がつき始めていた。

「ああ……瞬ちゃんの闘志も消えかかっているかのようだ」

「瞬くん、運動はそんなに得意じゃなさそうだからなあ」


 一方、別の場所で吉澤の試合を見ていた渡辺楓香と露木美鈴も、同情の声を漏らしていた。

「吉澤……なかなかきついな」

「ふーちゃんの時みたいに奇跡が起こると良いんだけど」

 露木がそう願うほど、二組の置かれていた状況は絶望的だった。諦めないという姿勢は評価できるものの、すでに大勢は決していた。

 このままでは公開処刑も同然だ。

「……どした、小雪?」

 すると、渡辺の隣に座っていた銀髪碧眼の美少女──橘小雪がおもむろに立ち上がった。彼女は露木と同じ八組の緑色のTシャツに身を包み、遠くで奮闘する吉澤を一心不乱に見つめている。彼女は息を整えると、大きく息を吸った。

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」

 刹那────突然会場に響く大きな歌声。

 ブッ生き返す‼ ──マキシマムザホルモン。あまりに大きな声量に、近くの人は慌てて耳を押さえた。

「「……!?」」

 橘の歌声をもともと知っていた渡辺はおろか、何も知らない露木は完全に呆気にとられた。他人のために、こんなに大きな声が出せるのか。しかも、選曲が絶妙だった。

 露木は静かに確信する──橘小雪は絶対変な人だ!

「もしかして……」

 コート上の吉澤はその歌声に振り向く素振りを見せた。清涼感溢れる声だが、おそらくは彼女の声だ──しかしすぐにボールが飛んできたので、今度はそれをがっちりキャッチする。橘の応援を力に、吉澤はより一層献身的にプレーするようになった。


 *


 球技大会は終了し、クロヒツジは体育館の外に集まった。別に示し合わせたわけでもなければ、練習の予定があるわけでもない。しかし、気づけば四人で一緒にいたのである。

「小雪に応援の歌までもらって、普通に負けてんじゃねえよ」

「よっしー、足が速いだけだったね……」

「正論は人を傷つけるって習わなかったのか?」

 渡辺と露木はここぞとばかりに吉澤を煽った。かたわらで水石は苦笑している。

「まあ、諦めない姿は良かったんちゃう。友達と見てたけど、うちは勇気もらったで」

「先輩……!」

 彼女は助け舟を出した。水石は彼が身体を張って頑張る姿を、応援席からたしかに見ることができたのだ。

「やっぱり先輩なんだよな……!」

「夏帆さんが優しいだけだぞ、バカ」

 一年生ズが平和な会話を繰り広げる中、水石はハッとして顔を上げた。

 どこからか視線を感じていたのだ。しかも、あまり気持ちの良くない視線。

「──」

 ちらりと木陰の方に目をやると──見つけた。不自然にこちらに視線を向けながら会話を交わす男女。距離にして五十メートルくらいか。センターパートの男と、水色の髪の女子。こちらを乱暴に見つめながら、ニヤリとした嫌な表情を浮かべている。水石がそのままジロリと睨み返すと、彼らはあわてて視線をそらした。

「夏帆さん、どうかしましたか?」

 渡辺がいつも通りの声でそう訊いてきたので、水石はあわてて意識を戻した。

「別に、なんでも──」

「今日活躍してないのよっしーだけじゃーん!」

「黙ってろ! その分ベースで見返してやらあ!」

 今日もクロヒツジは平和である。しかし、この平穏がどこまで続くのか──この時の彼女らには知る由もなかった。


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