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18/31

夏ライブミーティングと一人の部屋

 翌日の放課後、クロヒツジは学校近くのファミレスでミーティングを行うことになっていた。というのも、夏ライブの演奏曲と今後の方針を決めていなかったからである。

「大盛ポテト……二つ!」

「「「え?」」」

 露木美鈴の常識にとらわれない注文によって会議は幕を開けた。渡辺と吉澤が奥の席、露木と水石が手前に座る。それぞれの服装はいつものパーカー、ワイシャツ(ネクタイ)、セーター、ワイシャツ(リボン)だ。ちなみに司会進行は吉澤瞬が担当することになっている。

「じゃあ本題に入る前に──水石先輩、挨拶お願いします」

 吉澤は彼女に話を振った。クールでおだやかな先輩だと思っていたが、廊下での耳打ちによって一気に底が見えなくなった。周りに聞こえないためにそうしたのだと信じたかったが──だとしてもあの時のことを思い出すと、胸がドキドキするというものだ。

「よろしくお願いします、水石夏帆です。……このバンド、吉澤くんからは『嫌われ者のアベンジャーズ』って説明を受けてるんやけど」

「お前……夏帆さんに適当こきやがって」

 渡辺は訝しげな視線を送った。吉澤は目をそらしている。

「嫌われ者とか、なんとか……そんなことより、カッコいい演奏する方が大事に決まってるやろ。そういうわけで、クロヒツジがより一層カッコいいロックバンドになれるよう死力を尽くしていきますので、よろしくお願いします」

 三人は盛大な拍手を送った。水石はぺこぺことお辞儀をする。

「まあ、一年生の間に混じるのは恐縮なんやけどね」

「それについては気にしないでください」

 吉澤はフォローすると、おもむろに窓の外に目を向けた。

「俺だって、女子たちの中に一人だけ混じってるわけですから」

「たしかに……!」「なじみすぎてて気づかなかったわ」

 露木と渡辺は口々にそう漏らす。ただでさえウルフカットやら、紫髪のカチューシャやらグラデーションの青い髪やら目立つ風貌の女子が集まる一方で、吉澤だけはごく普通の人間だった。

「俺じゃなくて、可愛い女の子がベースやった方が人気出るんじゃないか」

「じゃあ吉澤は曲だけ出せよ」

「ひどくね?」

「よっしー専用の罵詈雑言機だー」

「はいはい!! 吉澤くん、早く本題に入って!」

 話の脱線を食い止めるべく、水石は手をパンパンとやった。そして同時に先ほど露木が頼んだ山盛りポテトが二つ到着する。

「すみません……では、本題に入らせていただきます」

 吉澤はテーブルに前傾姿勢になって両手を組んだ。山盛りポテトを奪われると思われたのか、露木が皿をガードする。

「まず、夏ライブの演奏曲についてですが──持ち時間は二十分。屋外ライブならではの機材トラブルや体力を考えても、三曲か四曲くらいが妥当かなと思います」

 吉澤がそう話すと、珍しくウルフカット女子が挙手した。

「質問いい?」

「許可しましょう。今日一日ワイシャツを着忘れて、パーカー一枚でごまかした渡辺楓香さん」

「言わなくていい!」

 彼女は頬を赤くした。よく乗り切れられたな……と露木、水石は感心する。

「……コホン。夏ライブは全部オリジナル曲なの?」

「俺はそれで行きたい」

「いいねー」

 やはりクロヒツジは吉澤の作った曲を渡辺が歌う、というのが基本的なコンセプトである。露木もそれに同調していたが、話の途中で水石が申し訳なさそうに手を挙げた。

「あの……三人にはめちゃくちゃ言いにくいんやけど」

 彼女は言葉を濁す。流れをぶった切る発言にはいつだって躊躇してしかるべきだ──でも、いつかは言わなければならない。

「部長が『夏ライブはカバー曲だけにしない?』って言いだしたんや」

「「「え?」」」

 予想外の言葉に、三人は間抜けな声を出した。

「……え、カバー曲だけ?」

「うん」

 吉澤はあんぐりと口を開いた。オリジナル曲が使えないなんて──自分の存在理由が否定されたようなものだ。

「他部員の意見を参考にしたんやって。ごめんやけど、意見・要望・誹謗中傷は部長までお願い」

「誹謗中傷……」

「部長、俺は慕ってたのに……」

「毎日よっしーの曲聴いてテンション上げてたんですけど……」

 吉澤と露木は分かりやすく肩を落としていた。それを見ながら、水石は微笑を浮かべる。

「でもね……最終的には愛理さんが部長を説得して、オリジナル曲は二曲まで入れて良いことになったよ」

「「なんなんですか!」」

 吉澤と露木はそう言いながらも安堵した。二曲できるなら──まだいい!

「いや、待て。そもそも曲数制限を設けるのがおかしくないか?」

 吉澤は我に返ると、曲作りを行う人間としてのプライドをあらわにした。

「どうせ先輩のひがみ的なアレだろ? 軽音部の落ちこぼれ諸君は嫌われ者バンドの足を引っ張るくらいなら、自分たちに目を向けて努力をするべきなんじゃないか」

「吉澤、落ち着け。きっと部長は部活全体の士気を優先したんだと思う。他部員の妨害があるのは、私たちがまだ部内で認められてないから。だったら有無を言わさぬくらいの存在になれるように、上を目指していくしかない──違う?」

「……まったくもってその通りだ」

「でしょ。だからいったんセットリスト作りは後回しにして、みんなが納得できるような目標設定をした方が良い。その方が──『上』を目指せる」

 力強い演説だった。自分自身と向き合い続けてきた彼女だからこそ、たどり着いた答えなのかもしれない──吉澤にはそう思えて仕方がなかった。

「渡辺の言う通りだ。ストックが溜まっても、学校祭とか十二月の新人コンペとか別の機会に回せばいいしな」

「よし、じゃあさっそく目標決めしちゃおうか。露木さんは何か意見ある?」

「わたしには、ふーちゃんとよっしーのすごさを日本中に見せつけよう! って感じのざっくりしたイメージしかないですね!」

 露木はそう話している間にもポテトをつまんでおり、すでに一皿平らげていた。ドリンクやフロートで十分な三人にとっては恐ろしい光景だったが、一々触れていては議論に支障が出るのでいったん無視する。

「じゃあさっそく目標を決めよう。短期的な目標と、中期的、長期的な目標の三つだ」

「多くね?」

「まず短期的な目標だけど、」

「無視すな」

「まず、短期的な目標は『夏ライブで爪痕を残す』ってのでどうだ?」

 吉澤は場を見渡しながら、真剣な表情でつづける。

「曖昧で申し訳ないが、要は『登場時より大きな歓声が演奏後に上がるようなライブを目指す』ってことだ」

「思ったよりまともだな」

「……賛成!」

「あいさつ代わりにロックサウンドブチかますってことね。面白いんやない」

 三人も首肯し、すんなりと決まった。吉澤は順調と言わんばかりに続ける。

「よし……じゃあ中期的な目標!『一年以内に何かしらの日本一になる』」

「「待て待て待て」」

 渡辺と露木は同時に遮った。

「どうした」

「予想してた目標より三百倍くらいすごいのが来たんだけど……!」

「じゃあ、『二年以内に日本一になる』ということで」

「年数の問題じゃない! まず何の日本一だよ!」

「自主制作CD売上とか、十二月のコンクールとか……」

「中期的な目標って本当に必要かな……!? 大きい目標に向かっていく中で短期的な目標を随時出していけばよくない? そしたらいつか日本一になれるでしょ!」

「ぐぬぬ……」

 吉澤は歯を食いしばりながら、泣く泣く引っ込めることにした。

「仕方ない。じゃあ最後に、長期的な目標についてだが──」

 吉澤が意を決したように口を開いたとき、ごくり、とみんなのつばを飲む音が聞こえるようだった。

「渡辺に決めてもらおう」

「へ?」

 彼女は聴き返した。「私?」

「そうだ。向上心の塊であるお前の意見が必要だ」

「たしかに、ふーちゃんて努力家だもんね}

「うーん、そう言われても……」

 悩んでいる間、露木の手によって口にポテトが放り込まれた。塩気が利いていて美味しいが、さすがに冷めている。

「……あっ」

 渡辺はひらめいたように手をポンと叩いたあと、腕を組んだ。

「……やっぱり夏ライブの後でもいい? とりあえず今は夏ライブで成功することだけ考えたいし」

 渡辺は携帯を取り出しながらそう言った。吉澤が言う通り、まさしく向上心の塊のような目標を思いついたのだが──今、それを口に出したら笑われるような気がしたのだ。であれば、夏ライブで成功してからその目標が目標として機能しうるかを判断する。

「どう?」

「…………」

 まあ──答えになっていないので、反発は免れないだろうが。

「よし、今日の会議は以上! とりあえず夏ライブの成功目指して頑張ろうぜ!」

「「おー!」」

「終わっていいの!?」

 そういうわけで、クロヒツジは当面の間『夏ライブでそこそこ爪痕を残す』ことを目標に活動することになった。

「セットリストは!?」

「あー……一曲だけオリジナルで、もう一つはセッションにするかもしれん。他はリクエスト受付中。どうせなら今決めちゃっても──」

「よっしー、あのオススメしてもらった曲聴いたよ!」

「マジか!? あの曲最高だよな~。緩急とキャッチ―なメロディは曲作りにも大いに参考できるというか、一生尊敬できるバンドマンというか──」

「うーん、わたしはあんまりハマらなかったかも……!」

「露木!? どこが気にいらないんだよ、一聴じゃわからないなんてむしろ贅沢だろ!?」

「それよりずとまよ聴こうよ! ACAねさんのワードセンスに酔いしれてさあ!」

「…………」

 渡辺は真剣な顔をしながら、自分で考えた長期的な目標を頭の中で何度も組み立てていた。携帯のメモにはとりとめのない文章が積み上がっていく。

 水石はニコニコしながら、一歩引いたところでその光景を見ていた──。


 *


 後日、クロヒツジはセットリストも確定させ、各メンバーは猛練習に励んでいた。吉澤はコンビニバイトを終えて自室に戻ると、あわててベースを手に取った。

 それもそのはず、水石夏帆のギターが予想をはるかに超える腕前で、唸らずにはいられないレベルだったからである。彼女は耳コピでギターフレーズを再現できるという離れ業を持っており、お気に入り曲『君の瞳に恋してない』の間奏をダメもとでお願いしたのだが──なんと、一分程度でそれとなく弾き切って見せたのだ。

 そして、何もすごいのは水石だけではない。メインボーカルの渡辺は以前に比べて歌の声量がアップし、息継ぎの位置が定まってきたことで歌声も安定し始めていた。露木のドラムも以前とは見違えるほど正確性が高まり、力強さが増している──。

 吉澤はそんな彼女らに比べるとあまり成長できていないという自覚があった。クロヒツジの名前を売るためには自分のスキルアップが不可欠だ。だから今もこうして練習だ──低音が弦をなぞるたびに鋭く響く。汗が頬を伝いネックに落ちる。それでいい。今は、それだけで。

『プルル……』

 練習中、机に置いてあった携帯が鳴った。しばらく無視してタッピングを続けたが、やがて音がうっとうしくなったので電話に出た。

「もしもし……」

『瞬、いきなりかけてすまん』

 夜明け前の風のように静かで、覇気のない声。電話の相手は父だった。

 吉澤は椅子に腰を下ろしたまま答える。

「なんだよ、父さん」

『長い出張が決まったんだ』

 吉澤は父の話を聞き流しながら一曲目の譜面に目を通した。

『こう……なんか一言ないのか』

「どうせいつも家にいないんだからどうでもいい。以上」

『そんなこと言わないでくれよ。この出張が終わったら、もっと早く家に帰れるようになるかもしれないんだぞ』

「……ほう?」

 それは吉澤にとっては悪くない話だった。いつもはほとんど一人でやらされる面倒な家事も、二人で分担できるなら負担が格段に減る。

『九月』

 父はため息交じりに言うと、小さく息をついた。

『九月の前半くらい、その頃に帰れるはずだ』

「……え?」

 吉澤は顔を上げた。今は六月の中頃だが──九月?

「海外出張かな?」

『国内だよ。でも、本当に六月から九月まで出張なんだ……というかもう出発している』

「それなら早く言ってくれよ! 心の準備とかあるだろ!」

 吉澤はそう言いながら、ここ三日ほど洗濯物がやけに少なかったことに気づいた。

「…………」

『なんだ。父さんが家にいないのが寂しいか』

「だからいつもいないだろ、って……!」

 吉澤はひとしきり叫んだあと、天井を見つめて冷静になった。約三か月の出張。つまるところ実質一人暮らしの始まりである。

『じゃあ、しばらくの間頼んだぞ』

「ちょ、ちょっと──」

 父はそう告げると一方的に電話を切った。吉澤は髪をかきむしった後、携帯を乱暴にベッドの上に投げ入れる。出張の報告を電話で済ませてくるなんてとんでもない。

 こんな男が音楽を自分に教えてくれた恩人なのだと、にわかには信じがたいことだ。しかし、小学生の時に初めて与えられたギターも作曲ソフトも、何もかもが父のお下がりなのだ。運動が苦手だった自分にとって、音楽は夢中になれる初めての物だったことをよく覚えている。休日は朝起きてから夜に眠るまで、暇さえあればギターを弾いてメロディを奏でたものだ。

 しかし、中学二年生の時に事件が起こる。吉澤はとあるクラスメイトの女子と音楽の趣味が似ていたことから仲良くなり、初めて付き合うに至った。当時は自分でもこんなにかわいい子と付き合えるのだと鼻を高くしたものだが、彼女がショッピングモールで別の学校の男子と手をつないでいる写真が流出し──浮気が発覚した。

 吉澤はすぐに別れることを提案したが、ここからが問題だった。彼女はもう一人の彼氏と結託し、『吉澤瞬は彼氏持ちの女の子を口説いた不届き者だ』という虚偽の噂を学校に流したのだ。あまり規模の大きくない中学校では容易に拡散し、交友関係が広くなかったこともあって十分に反論できず──吉澤は一瞬にして学校中の嫌われ者と成り果てたのだ。

 それから、吉澤は音楽に触れることができなくなってしまった。ギターを持って歌うことも、まだこの世にないメロディを作ることも、コードを変幻自在に組み合わせることも、とりとめなく詩を書くことも──すべてが嫌になった。曲作りは、自分の内面と向き合うことだ。それができなくなれば、いい曲など作れるはずもない。

 部屋の隅で楽器がほこりをかぶり始めた。学校ではもはや除け者扱いだったが、それでも両親はいつもと変わらず俺に音楽の話をした。あの曲が、あのアルバムが、あのアーティストが──。

『もう──その話はしないでくれ!!』

 怒鳴ってテーブルを思い切り叩いた時、すべてが崩れ去った。優しかった母はまもなく心筋梗塞でこの世を去り、父親は二度と笑顔を見せなくなった。

 音楽で繋がっていた家族の絆はほころび、バラバラになったのだ。

 それから、父親は笑わなくなった。あれからすべてが苦笑いだ。苦笑いは、笑いとは言わない──吉澤は父親の、本当の笑顔を知っているからだ。

『瞬、また曲作ったのか!』『母さん、誕生日ケーキだぞ!』『今日のライブ、楽しかったなあ!』『瞬、お前が生まれてくれて俺は幸せ者だ!』

「……ああ、一人って寂しいな」

 天然パーマの高校生は天井を見上げた。どれだけ宙に言葉を放っても反応が返ってくることはない。柄にもなくアンニュイになってしまったので、さっさと寝ようとベッドに横になった。

『プルル……』

 すると足元に投げ入れていた電話が鳴った。また父さんか──と、ため息をつきながらも携帯を手に取った。

『もしもし?』

「……!」

『吉澤。今時間大丈夫?』

 しかし──電話をかけてきたのは渡辺楓香だった。彼女と電話越しに喋るのは初めてだったので、不思議な感覚を覚えた。

『え、大丈夫なの?』

「あ、ああ──」

 吉澤は咳払いすると、電話を構え直した。

「どうしたんだ?」

『実は……高嶺先輩と仲直りできたんだ』

 そう語る彼女の声は上擦っていた。吉澤は水石からその話をすでに聞かされていたが、改めて本人の口から聞くと胸にこみあげてくるものがあった。クロヒツジの世間体を考えても、当事者同士の紛争解決は大きい。

『なんかないのかよ』

「す、すまん──どうやって仲直りできたんだ?」

 吉澤が焦り気味にそう訊くと、彼女は事細かく経緯を語った。校門前で高嶺から逃げようとしてけがをしたこと。ちょうど水石も高嶺に相談事があったので、三人でカラオケに行ったこと。涙ながらに謝罪したら高嶺が許してくれたこと。そして──別件で相談に来ていた水石の目の前で『ジターバグ』を熱唱したこと。

「そんなことがあったんだな」

『うん。夏帆さんを心変わりさせたのはこの私だぜ。すごいだろ』

 渡辺はそう言って鼻息をふんと鳴らした。吉澤は眉一つ動かさない。

「すごいよ。お前はずっと」

『あ、改めて言われると照れるな。でも、夏帆さんが入ってくれて本当に助かった。ギターはすごく上手いし、いい人だし……先輩で私を差別しない人なんて初めて会ったかも』

 渡辺は染み入るようにそうつぶやいた。今までいろいろな人に敵意を向けられてきたので、その分『気にしない』という気遣いが五臓六腑に染み渡るのだろう。

「噂話も気にしないって言ってたな。もっとも、当の本人は良からぬ噂を流されてるらしいが」

『あれでしょ。「クロヒツジに入るために、一方的にバンドメンバーに解散を告げた」ってやつ』

「くだらないな」

『うん。まず、時系列が違う』

 渡辺の言葉に吉澤は頷いた。噂話というものは本当にエネルギーの無駄なのだ。

「……渡辺、気づいたか?」

『え?』

 吉澤はおもむろにそう言うと、通話越しにニヤリと笑った。

「クロヒツジは全員、お前の歌声に惹かれて入ったんだぜ」

「!」

 その言葉を聞いたとき、渡辺はぽかんと口を開けた──確かにその通りだ。吉澤は言わずもがな、露木も水石も──それぞれ事情はあるにせよ、自分の歌声に魅力を感じてバンドに加入してくれたのだ。

「ま、それも渡辺の歌声がすごすぎるからであって……」

『違うだろ』

 彼女は冷たくもそう言い放った。思わぬ言葉に、吉澤は目をぱちくりとさせる。

「え?」

『察しろよ……つかなんでわかんねんだよ』

 渡辺はベッドに寝転がったまま体をプルプル震わせている。一方の吉澤は真意がわからず、椅子に腰かけたまま次の言葉を待った。

「えっと、何が何だか──」

『私は……お前だよ! お前のせいで、今もこの時間までずっと練習して……私はお前の熱意に惹かれて入ったんだよ! いい加減分かれよ……バカ!』

 吉澤はあまりの剣幕に耳から携帯を離した。彼女の言葉を噛みしめながら、携帯の画面を見つめる──時刻は23時25分。通話時間は5:21。

「そうだったのか……」

『ふん。言わなきゃわかんないなら、言うしかないか』

 渡辺は大きなため息をつくと、喉の奥から声を絞り出した。

『吉澤。私をバンドに誘ってくれて……………』

 天然パーマ男子は口元をわずかに緩めた──ありがとう、という言葉は耳を澄ませてわずかに聞こえる程度だった。

「礼を言うのはこっちの方だ。どれもこれもお前のおかげなんだから」

『うるさい。私たちは運命共同体だから、私の間違いも全部吉澤にかぶせるからな』

 彼女は不満げな声でそう言った。きっと携帯の向こうでは大きく口をとがらせていることだろう──想像するとなんだかおかしくて、吉澤は小さな笑い声を漏らした。

「あれだな、渡辺……間違ってる間は、気づかないもんだな」

 渡辺は一瞬目を丸くしたが、ふうん、と曖昧に頷く。

「じゃあ、今もそうだ」

 からかうようにそう言われて、吉澤は思わずぎゅっとこぶしを握った。音楽に身の上話は不要だ。音がまじりあうその瞬間だけリンクしていればいい。しかしそれを踏まえた上で、彼女のことをもっと知りたいと思うのは──わがままだろうか。

 吉澤はそうつぶやくと、首を横に振った。今は何を訊いても無駄だ。それこそボタンを掛け違えるだけだろう。それならば、自分はその時が来るのを待つだけだ。

「じゃ。また明日の球技大会でな」

「……え?」

 渡辺は通話の切れた携帯を眺めながら、目を丸くした。吉澤の様子がいつもと少し違ったのはまあ置いておいて。

 ──球技大会? 



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