水石夏帆
「吉澤くん、部活の先輩が話したいことあるって」
吉澤は篠原とご飯を食べている途中、クラスメイトに伝言を受けた。ありがとう、と言ってから席を立つ。
「ちょっと待て! オレとの飯はどうなるんだ、瞬ちゃん!」
「待っててくれよ。すぐ戻ってくるから……」
吉澤は廊下に出てきょろきょろと辺りを見渡すと、見慣れない女子が壁にもたれているのが見えた。黒髪のパーマがかった毛先には藍色のグラデーションが施されており、左耳にはいくつもピアスの穴が空いている。対照的にスカートの丈はキッチリひざ下で、第一ボタンもしっかり止まっている。彼女は持ち前の眼光の鋭さで吉澤をギロリと睨むと、壁に預けていた体を起こした。
「吉澤瞬くんで合ってる?」
威圧感たっぷりの雰囲気に反して可愛い声に、吉澤は聞き覚えがあった。
「はい。副部長さんですよね」
「そ。うちは水石夏帆。吉澤くんに用があって来た」
その言葉に吉澤は思わず姿勢を正した。もしかして昨日の夜七時すぎに、一人でこっそり練習室に忍び寄り、『シュガーソングとビターステップ』を大音量で弾いたことがバレたのだろうか。もしそうであれば、すべての責任を渡辺に押し付けて逃げるしかない。
「うちをバンドに入れて欲しいねん」
しかし、飛んできたのは意外な言葉だった。吉澤は間抜け面で聞き返す。
「もう一回言ってもらってもいいですか」
「うちをクロヒツジのリードギターとして採用してほしいねんて」
「ほ……本当ですか」
「こんなことでウソなんかつかへん」
「このバンド、嫌われ者のアベンジャーズですよ」
「え?」
「エイプリルフールは二か月前に終わりましたし……」
「先から何言うてんねん。うちは本気やぞ」
なおも鋭い視線を向けてくる水石に対して、吉澤は半ば混乱状態に陥った。何せ二年時点で副部長を務める優秀な先輩が、まだまだ知名度の浅い下級生泡沫バンドに加入したいと頼んできているのだ。すぐに飲み込める方がおかしいというものである。
「……ちなみに理由を聞いてもいいでしょうか?」
「クロヒツジに入りたい理由やろ。一つは元々組んでたバンドが解散したからや。色々あって──皆、うち以外は部活辞めたみたい」
彼女は手元に視線を移し、恍惚とした表情を浮かべた。
「もう一つは、渡辺さんの歌を聴いたから」
「え!?!?!?!?!?!?」
吉澤は今まで出したことのない大きさの声を出した。
「公園の弾き語りですか!? それとも──」
「声のボリューム落として……!」
水石に諭されて辺りを見渡すと、廊下にいる生徒がこちらを凝視していることに気が付いた。
「すみません……」
「でも、気持ちは分かるで。愛理さんが提案してくれたんやけど、その理由もわかるわ。あの歌声は国宝級やで」
藍色髪の先輩は染み入るようにそうつぶやいた。吉澤は頷くと、彼女の方に向き直る。
「加入の件ですが、ぜひお願いします。渡辺も一人でギターをやるのは大変そうでしたし、先輩が入ってくれると本当にありがたいです」
「ほんと? それならよかったわ。一応渡辺さんは良いって言ってたで」
「そうでしたか。まあ、もっとも露木がなんていうかは──」
すると、目の前で立ち止まる者がいた。ワイシャツの上にセーターを羽織り、紫色の頭にカチューシャをつけている小柄な女子。
「あ…………よっしー」
案の定、露木美鈴だった。
「ちょうどよかった。露木、バンドの件なんだが──って、なんか元気無さそうだな」
「実は……ふーちゃんと喧嘩してさあ」
露木は眉をひそめる。ふーちゃんとは渡辺楓香のことだ。喧嘩するほど仲がいいとはよく言うが、夏ライブに向けてバンド内で不和が発生することは極力避けたい──吉澤が眉をひそめていると、水石が一歩前に出た。
「何があったん? よければ話聞くで」
彼女の声はクールな見た目に反して可愛い。完全な善意だったが、カチューシャ女子は目を背けた。
「せ、先輩には……関係ないですし」
「!? つ、露木──」
「関係あるで」
水石はさりげなく吉澤を手で制すると、露木の真正面に立った。
「うち、クロヒツジに入りたいねん」
「……!」
露木は目を見開くと、ガクガクと身体をこわばらせた。
「え? そ、そんなの……」
「聞いて。うち、愛理さんに相談したんよ。バンドが解散しそうなんですけど、どうすればいいですか──って。そしたら『リードギターがいないクロヒツジに入ったらどうか』って提案してくれたんや」
「そ、そうだったんですか……!」
露木はそれが高嶺の案だったと知ると、手のひらを返して柔和な表情を浮かべた。
「失礼しました! そういうことなら……先輩、よろしくお願いします!」
露木があっさりと加入を了承したことで、水石夏帆は全員から承認を受けることとなった。吉澤は口角を上げたが──まだ心配事は残っている。
「露木。なんで渡辺と喧嘩したんだ?」
話がひと段落したところで吉澤はそう訊いた。廊下に一瞬の静寂。露木は顎に手を当てて長考したが、やがて覚悟を決めたように顔を上げた。
「……忘れもしない、あれは練習終わりのこと」
*
放課後、わたしはよくふーちゃんとご飯を食べに行きます。本当はよっしーにも来てほしいのですが、彼は曲作りとバイトで忙しいので来てくれません。いつか一緒に行きたいです。とまあ、そんなことは置いておいて。
……その日もわたしとふーちゃんは二人で駅周辺を歩いていました。
『あっ、あそこのラーメン食べに行きたいな』
『いいじゃん。行こ』
そういうわけで、赤い看板のラーメン屋に入ることになりました。豚骨の匂いが店内に充満していますが、練習終わりのわたしたちには崇高なものです。
『美鈴、何食べる?』
『うーん……やっぱり味噌ラーメンかな。なんだかんだ、味噌が一番!』
『は? そこは醤油でしょ。味噌みたいに出しゃばりすぎず控えめすぎず、だけどキレのある味わい──』
『醤油なんて地味だよ! 味噌は濃厚な旨味とパンチ力が最高だし、しかも──』
『こっちはそれが『出しゃばり』だって言ってんの。分かる?』
『出しゃばりなのは醤油の方ですけど? コクが足りないって言ってんの!』
『『……殺す!』』
*
「あれは大変だったなあ」
「とりあえずお前はラーメン屋の店員を待たせたことと、くだらない話で俺たちの時間を浪費したことについて謝罪しろ」
「そうは言っても由々しき問題なんだよ! いつもご飯に来てくれないよっしーには分からないでしょうねえ……!」
「なんでnnmr議員風に言ったんだよ!」
「まあまあ……吉澤くんも、たまには一緒に行ってあげたら」
水石は優しい声色でそう言った。天然パーマの男子は顎に手を添える。
「まあ、たしかに……」
「そうしたら、よっしーもわかるはずだよ! 醤油ラーメンが正義か、味噌ラーメンが正義か!」
露木はぶつぶつ言いながら、闇の中に消えていった。水石はふうっと息をつく。
「えっと……ずいぶんと不思議な子やな」
「見える人にしか見えない幽霊です」
「!?」
水石は後ずさりした。
「冗談ですよ。たしかにあいつは変わってますけどね、ふつうの女の子です」
吉澤はそう言って視線をそらした。
本当だ。毎日勉強して、部活をして、友だちとご飯を食べに行って、恋をして──。だから、ふつうの女の子なのだ。
「……そうなんやね」
藍色髪の先輩は頷くと、腕時計をちらっと見た。
「じゃあ、そろそろ行くわ」
「はい。また後で日程連絡しますね」
「分かった。ありがと」
水石はそう言ってその場を離れようとしつつ、きょろきょろと周りを見渡した。誰もいない。物陰にも、教室から見ている人も──いない。
「ああ、そうそう」
彼女は立ち止まって彼の方に振り向くと、ゆっくりと顔を近づけた。
「愛理さんと渡辺さん──仲直りしてたで」
「!」
水石は小さく耳打ちをすると、彼の表情を見つめながら悪魔的な笑みを浮かべた。
──今まであまり興味はなかったが、イイなあ。
──吉澤くん。