結果発表と邂逅
「え? 本当ですか?」
放課後、練習室に呼び出された吉澤は興奮気味に訊き返した。
密室で部長と二人きり──何も起きないはずがなく。
「うん。じゃあ、そういうことだから」
「え、ちょっと! 部長!」
西村は乱暴に紙を手渡すと、さっさと練習室の中から出て行ってしまった。
「なんなんだよ……」
吉澤は不思議に思いながらも、手渡されたプリントに目を落とした。
オーディションの順位表だ。そこにはバンド名と点数、順位が載っている。
「…………」
出番順で記載されている。目で追っていくと、上から四番目にクロヒツジがいた。
よく見てみると──二位、十二点とある。
「よっしゃあ…………!!」
吉澤は小さく拳を作った。そこそこ自信はあったが、自分たちの音楽がいざ他人に認められると、至極嬉しいものだった。
それならばこの結果を早くメンバーに伝えたい──颯爽と練習室を飛び出すと、そのまま廊下を駆け抜けた。
「……いた! 渡辺、露木!」
吉澤はいつもの定位置(情報端末室の掲示板下)で二人を見つけると、息切れで肩を上下させながらプリントを握りしめた。
「なんかテンション高いね……」
「キモ」
「覚悟して聞いてくれよ」
吉澤は戯言を無視しながら息を吸い込むと、天高くこぶしを突き上げた。
「クロヒツジ────オーディション合」
「「知ってる」」
渡辺と露木はノータイムでそう返すと、流れるように自主練を再開した。吉澤はこぶしを突き上げたまま、二人の顔を見る。
「え……?」
「………………」
渡辺は無言でため息をつくと、スマホの画面を見せた。オーディションの結果がPDFで表示されており、そこにはばっちりと八バンドの順位と点数が書かれている。
「グループでとっくに発表されてるわ」
「マジじゃねえか……」
吉澤は膝から崩れ落ちた──なんて自分は前時代的な人間なのだろうか。
「って、じゃあ部長はなんで俺を呼び出したんだ?」
「知らんがな」
「なんか今日のよっしー、ボケ方が平成みたいで面白いね!」
長らく開いていなかった携帯の通知を確認する。すると、「さっきはごめんね。クロヒツジの夏ライブ出場を祝いたかったんだけど、なんか照れくさくて」とツンデレみたいなLINEが部長から来ていた。
「……めんこいから許そう」
「?」
吉澤は小さく呟きながら、改めて結果に目を通した。
一位はNOTHING。ほぼ満点となる十四点を獲得している。特段驚くべきことではない。やはりギターボーカルの針宮を中心とした王道ロックバンドは、部内でも頭一つ抜けた存在となっているようだ。
二位はクロヒツジで、十二点を獲得。渡辺楓香の歌唱力と爆発力のあるサウンドが評価されている。吉澤的には満点を取るつもりだったのでやや不満が残る結果だ。
三位は橘小雪が率いる雨天決行が獲得した。点数は十一点。シンセサイザを使った独特な世界観が評価された。一方で京坂率いるストロベリーマフィアは順当に三位以内に入ると思われていたものの、わずか一点の差で敗退となった。
「にしても……あんまり喜んでないね、ふーちゃん」
露木は黙々と練習する彼女を後目にそう言った。
「夏ライブに出れるんだよ?」
「別に……やっとスタートラインに立っただけだし」
渡辺は手を止めると、足元に視線を落とした。そして、ギターを一人でやるって難しい──と、ぽつりとつぶやく。二人は何も言えずに、彼女の横顔を見つめた。
「やっほー、三人とも!」
すると重たい空気の中、それを跳ね飛ばすほどの明るい声が辺りに響いた。
「いや、ここはクロヒツジと言うべきだったかな?」
「……!」
三人は声のする方に顔を向けた。そこには京坂鈴だけでなく、ストロベリーマフィアのメンバーが立っていた。通称ストマフィはNOTHINGと並んで二大巨頭と召されていたものの、『京坂の一強バンド』と揶揄されるほど京坂の歌唱力と華のあるパフォーマンスに依存しており、オーディションではそれが露呈する結果となった。
「おめでとう! まさかクロヒツジが二位になるとは……!」
京坂はそう言うと、吉澤の肩を叩いた。吉澤はまんざらでもない顔を浮かべる。
「ありがとう──いや、申し訳ないな。別に無理して来なくてもよかったんだぞ」
「無理してないよ! わたしが実力不足だっただけだから。ギターもボーカルも……もっと練習する」
「鈴ちゃん……わだじのギダーがだめだっだがら……!」
「泣くな桃園! 俺ももっと上手くなるよ!」
「僕もだ……!」
四人は抱き合ってわんわん泣き始めた。なんなんだこいつらは……と思いながらも、渡辺は口元をわずかに緩めた。
「……仲良しだな」
「お、渡辺。嫉妬か──」
ウルフカット女子は彼が言い切る前に距離を詰めると、吉澤の顎を右アッパーで撃ち抜いた。さっきまで人だったものが床に崩れ落ちる。
「…………」
堂々とした犯行だったが、ストマフィ一同は見ないふりをした。
「鈴、その……ありがとう。わざわざ来てくれて」
渡辺は京坂の肩を軽くたたくと、小さな声でつぶやいた。彼女はぱーっと表情を明るくさせると、バンドメンバーにほらね、と言わんばかりにサムズアップする。
「な、なんだよ……鈴」
「別に? やっぱいい子だよね、楓香ちゃん」
京坂はニコニコしながらそう言うと、やがて彼女らしからぬため息をついた。
「うちの四股ベーシストに比べたら、何百倍も……」
「四股してんの!?」
「泣きたい……」
「どの口が言ってんだ! 泣きたいのは彼女の方でしょ!」
渡辺は魂のツッコミを入れた。四股ベーシストは顔を背ける。
「平安時代だったら正義だったのに……」
「令和だからちゃんと悪だよ!」
「まあ、楓香ちゃんも大概じゃ──」
京坂はうっかり本音を言いかけたが、近くにいたピンク髪のギタリスト──桃園友香が渡辺の殺意を察知し、咄嗟に京坂の口をふさいだ。
「モゴモゴ……」
「ていうか、すごいよね。渡辺さん」
失言を未然に防ぐと、桃園は染み入るように呟いた。
「……あっ、私?」
「うん。初めてのギターボーカルで色々あったと思うけど……すごく練習してたってあちこちで見聞きしたよ。間違いなく実力で勝ち取った出場権だし、心からの祝福を……って、何言ってんだか」
「つまり、めちゃめちゃおめでとーってこと!」
いつの間にか拘束を解いていた京坂は元気いっぱいにそう言うと、露木の方を向いた。
「だって、クロヒツジのみんなが一番練習してたもん! ね、美鈴!」
露木は一瞬驚いたような素振りを見せたが、すぐに目をそらした。まるで借りてきた猫のように黙り込んでいる──人知れず京坂鈴とドラムの西村海斗(部長の弟)は心配していた。というのも、中学校時代と比べて今の彼女はあまりに静かすぎるのだ。
「えっと……」
「露木さん、大丈夫?」
西村陸斗──兄と同じくして眼鏡をかけている小柄な男子──は勇気を振り絞って声をかけた。しかし、露木は何食わぬ顔で首を縦に振る。
「うん……別に大丈夫」
「まったく」
すると、いつの間にか復活していた吉澤がため息をついた。
「またよくわからん芸人のYouTubeでも見て寝不足なんだろ」
「よっしーはわたしのこと何だと思ってるの!?」
露木は大きな声でそうツッコんだ。表情こそ硬いもののイメージ通りの彼女の姿に戻ったので、元中の二人はほっと胸をなでおろした。
「ここだけの話、実はね~……」
京坂は露木の隣に座ると、吉澤と渡辺の方を向いて言った。
「美鈴に二人のことを紹介したのは私なんだ~」
「鈴ちゃん……!?」
ここまで無表情を貫いていた露木は途端に顔を真っ赤にした。
「ここでカミングアウトは無しじゃんね……!」
「別にいいじゃん、いつかバレるんだし! つゆきち!」
「つゆきち!?」
「なるほど。つまり、京坂が恋のキューピッドだったってことか」
吉澤は腕を組みながら無表情で頷いた。京坂は満面の笑みを浮かべながら、紫色の頭を撫ででいる。
「高嶺先輩も言ってたんだけどね。クロヒツジで演奏してる時の美鈴ちゃん、すごく楽しそうだったって──」
京坂は目の辺りをぬぐうと、露木の華奢な身体を抱きしめた。
「良がっだね……!!」
「泣いてる……!?」
露木はそうツッコみつつも、珍しく顔を真っ赤にしている。吉澤はそれを見ながら罪な気持ちになった──なんだかんだ言って京坂鈴という人間は魅力的でしかないのだ。ひょっとしたら何か起こるかもしれない。
そんな懸念が杞憂に終わることを願って、新曲のフレーズを奏でる。
「そういえば、先輩は瞬くんのことも言ってたよ!」
「!」
京坂が突然そう切り出したので、吉澤は手を止めた。高嶺愛理──渡辺と色々あった軽音部の副部長である。
「なんだっけ……そうそう!」
三つ編みの女子はしばらく顎に指を当てていたが、やがて思い出したように手をポンと叩いた。
「あんまり上手くなかったって!」
「クソが……!!」
吉澤が怒りのあまり立ち上がると、何故かストマフィの男性陣がホッとしたように胸をなでおろしているのが見えた。いったいどういう了見だ!
「そういえば、夏ライブはどういうセットリストにするの?」
いつの間にか露木から離れ、ストマフィ陣営に戻っていた京坂は何食わぬ顔でそう訊いた。こっちはまだ傷ついているのに、切り替えの早い奴め──と、吉澤は恨めしそうに心の中でつぶやく。
「さあな。今度やるミーティングで決めるよ」
「ふうん──じゃあ、頑張ってね!」
京坂はそう言うと、荷物を持って立ち上がった。
「わたしたちも上手くなって戻ってくるよ!」
ストマフィ一同は玄関に向かって歩きながら、三人に手を振る。
「ありがとう……!」
「次は京坂たちも出ようなー」
吉澤と露木は手を振り返す。一方の渡辺は足元に目をやりながら、無意識に唇を噛んだ。
*
ウルフカットの高校生は玄関に向かって歩きながら、一人でため息をついた。というのも、例の先輩についての不安が渦巻いていたからだ。『高嶺』という名前を聞くだけで体がぞわっとするし、何事も手につかなくなる。そういうわけで自主練にも身が入らず、渡辺は早めに切り上げて帰ることにしたのだ。
「……今更謝っても許されないだろうな」
ぼそぼそと呟きながら玄関を抜けると、視界の端にひょこっと赤色の髪が見えた。つづいて短いスカートの丈、第一ボタンの開いたワイシャツ、首元のチョーカー、長いまつ毛がはっきりと目に映り──その人物を視認した瞬間、渡辺はむせ返るほどの悪寒がした。
「やっほー、楓香ちゃん」
その正体は、高嶺愛理だった。