二人きりの帰り道と、オーディション
渡辺が走り去った後、二人は公園のベンチに腰を下ろしていた。天然パーマの男子は、額に汗を浮かべながら先輩が俯き加減になるのを見つめることしかできなかった。
「先輩、すみませんでした」
吉澤は頭を下げた。少なからず負い目があったのだ。二人の間に何かがあると薄々察しがついていたにもかかわらず、渡辺の弾き語りの会場に高嶺を連れていき、鉢合わせさせてしまったからだ。
「……大丈夫。こっちの問題だから」
高嶺は絞り出すようにそう言うと、さりげなく後輩の頭に手をやった。
「!」
「不思議だよね。こうして座ってると、心の隙間にも風が吹いてくるみたい」
高嶺は意味深な言葉を吐いた。しばらく迷った後、吉澤はそのごつごつとした手をそっとどかすと、深く息をついてからベンチの背もたれにもたれた。
──心の隙間、か。人間にそんなものがあるのだろうか。
「バンド……あたしのせいで解散したんだ」
高嶺はそうつぶやくと、足元を見つめた。
「彼氏と別れたのがショックすぎて練習に出られなくなったの。すっかり弱って、美鈴ちゃんにも気を使わせちゃって。もう解散は時間の問題だったんだ」
彼女は弱弱しい声で語る。吉澤は渡辺楓香が嫌われる理由が何となくわかった気がした──物議をかもす行動を起こしておきながら、ぶっきらぼうな態度を崩さない。もちろん関係のない人が根も葉もない噂を流すことなど言語道断だが、同時に標的とならないためには自身の誤解を生む要因というのも見つめ直す必要があるのだ。
「……あいつはきっと、心の準備ができてなかったんだと思います」
吉澤は自分の中で生まれた言葉を決してそのまま口にはしなかった。
「だから……後日改めて、先輩としてはっきりわからせてあげてください。俺としてもあいつには現実と向き合ってもらわなくちゃいけませんし」
彼女の瞳をまっすぐに見つめながら、そうはっきりと伝えた。高嶺はわずかに目を潤ませている──当事者にしか分からないことだってある。ならば自分は、目の前の倒れそうな背中を支えるだけだ。
「…………」
「どうぞ」ブレザーの袖で涙を拭っていたので、吉澤はたまたま持っていたポケットティッシュを渡した。
「……ありがと」
赤髪ギャルは目を真っ赤にしている。彼女が落ち着くまで待ちながら、吉澤は都会の霞がかる夜空を見上げた。──恋愛とは厄介なものだ。人を喜ばせたり、泣かせたり……たぶん、泣かせたことの方が多いことだろう。
「あのさ、吉澤くん」
高嶺は鼻を啜りながら、隣に座る天然パーマの横顔に向かって不意に呟いた。
「モテるでしょ」
「──え?」
突然訳の分からないことを言われたので、吉澤は首をかしげた。ついに頭がおかしくなったか──こういう時は、エネルギー補給だ。
「これでも食べて落ち着いてください」
吉澤はビニール袋からおにぎりを取り出した。彼女はぎょっとしてそれを見つめる。
「持ち帰って来たの?」
「はい。まだ期限内だし良かったら」
高嶺は一瞬躊躇したが、とりあえず受け取ることにした。
「あ、ありがと──」
「食ったら帰りましょう。遅くなっちゃいますからね」
吉澤は人目も気にせずツナマヨ味のおにぎりをほおばる。高嶺は頷くと、外袋を剥がした。
「いただきます」
手を合わせて、控えめにかぶりついた。瞬間、ツナの香りが口いっぱいに広がる──冷たいけど美味しい。
「こんなにおいひいおにひりはひえへ」
「ちゃんと飲み込んでから喋ってください。露木ですか」
吉澤がそう言ってツッコむと、高嶺は身を乗り出した。
「美鈴ちゃんのこと好きなの?」
「なんでもそれに絡めないでくださいよ。露木もきっと迷惑ですよ」
「え~。付き合ってくれてもいいじゃん」
彼女は脚をぶらぶらさせながら拗ねた。スカートの丈が短く、生足が露わになっている──吉澤は目をそらすと、口角を上げた。
「強いて言うなら、ベースが好きですね」
「えっ……って、恋バナじゃないんかい!」
高嶺はワクワクしていたが、拍子抜けした。
「女の子の話しようよ! 美鈴ちゃんとかどう?」
「曲を作れば作るほど、ギター以外の楽器も好きになっていくんですよね」
「無視!? ……そっか。吉澤くんは作詞作曲もするんだもんね」
「むしろそっちがメインです」
「そっか……風当たりも強いと思うけど、頑張ってね」
高嶺はおにぎりのゴミをまとめながらそうつぶやいた。
先輩からのエールに、吉澤は頷く。
「ありがとうございます。じゃあ、そろそろ……」
「それはそうと、曲聴かせてくれないの?」
「はい? もうすぐ聴けるじゃないですか、オーディションで」
吉澤はにべもなくそう言うと、ゴミを丸めて立ち上がった。
「食べ終わりましたね。行きますよ」
「……バレてた!?」
「いや、見ればわかりますから……」
必要な会話も済ませたところで、吉澤は高嶺と駅に向かってまっすぐ帰路についた。都会の夜風に吹かれて、なんだか彼女はご機嫌だ。
「アクアリウム、ビーコン、ヴィーナス……あ、あれ見て! お城みたい!」
「…………」
高嶺が大人向けホテルの名前を読み上げるというハプニングもあったが、吉澤は無事に赤髪のギャルを駅まで送り届けることができた。初対面の人との会話にはエネルギーを要する。電車に乗り込んでから疲れがどっと来るのを感じたが、反対側のホームで彼女が手を振ってくれているのを見た時はなんだかホッとしたものだ。
「それにしても──」
吉澤は電車の座席に腰を下ろすと、車窓からビル街を眺めながら呟いた。
「あの人……ラブホを知らんのか?」
車内にはくたびれたサラリーマンと、ベースを背負った高校生が乗っている。
間もなく、夏ライブの出場権を懸けたオーディションが始まる。
*
六月の初頭。軽音部の練習室では夏ライブに出場する三バンドを決めるべく、厳粛な雰囲気の中でオーディションが行われていた。審査員として西村部長と高嶺副部長、顧問の花田先生が待機している。二年の水石副部長が欠席したため、三人で計十五点満点の採点となる。採点には単純な上手さだけでなく、演奏の見せ方やバンドとしての魅力も考慮される──つまり、慎重に採点しなければならない、ということだ。
専ら素人である花田も適当につけることはせず、演奏の合間に部長の西村にそれとなく感想をもらい、参考にしていた。
「悪くはなかったけど、実際あの曲ってどうなの?」
「高校生バンドでは比較的メジャーですが、ギターはそこそこ難しいですね」
「なるほど……」
花田は髪をくるくるしながらずっと唸っていた。正直な話、どのバンドの演奏も同じように聴こえており、違いがあまりわからなかったのである。実際にここまで三バンド連続で5点満点中『2』点をつけている。
「クロヒツジです、よろしくお願いします」
一年生のバンドがしのぎを削る中、四番手が登壇した。ウルフカットの嫌われ者、天然パーマの男子、カチューシャの女子が壇上に立った時──練習室にはそれまでと異なる空気が流れた。
「…………」
とりわけ高嶺副部長は眉間にしわを寄せて怖い顔をしている。音楽素人である花田はよくわからないまま背筋をただした。
「『さよなら』」
ウルフカット女子が曲名コールした後、天然パーマのベーシストは突如腰を落とした。地を這うようなスラップベースは、観ている側が呆気にとられるほどで──ドラムカウントが始まると、それを皮切りに膨大なエネルギーが無作為に放出される。魂の歌声を響かせるギターボーカルと、ベースラインを堅持しつつも踊るように動き回るベーシスト。不器用ながらもリズムキープの合間にリムショットを織り交ぜながらビートを刻むドラマー。
「…………!」
まだまだ荒削りだが、新進気鋭のスリーピースバンドは情念のアブストラクト、オリジナリティあふれるラウドロックを閉鎖空間にぶち込んだ。つまるところ彼らは聴衆のくたびれた心を潤し、既存の観念を巻き取って発散する爆発力をも併せ持っていたのだ。
「ありがとうございました」
最後の一音が終わり、三人は頭を下げた。審査員は拍手する。
「これ……本当に君たちが作ったの?」
部長の西村陸斗はメガネをくいっと上げながら、この日初めて演者に話しかけた。オーディションの出演バンドは事前に演奏曲を審査員に知らせることになっていたが、少なくとも西村はこれが高校生の作った曲だとは露ほども考えていなかった。
「…………」
吉澤はそそくさと練習室を出ようとしていたが、ゆっくりと審査員席の方に振り返った。
「僕が作りました」
「……!」
天然パーマの男子はそうとだけ言うと、廊下に消えていった。西村は両手を組みながら、手元の採点表に視線を落とす──信じられない。ボーカルの歌声はもちろんのこと、曲の構成や緩急のつけ方も高校生のレベルを優に超えている。
「すごい……」
「渡辺ちゃん、歌上手かったな」
隣の花田は小さくそうつぶやきながら、さっと点数を付けた。正直に言ってさっきの演奏の良さはいまいちわかりかねたのだ。
「また聴きたいな、音源とかないの?」
「後で吉澤くんに聞いてみます」
「…………」
結果発表は翌日。難しい顔をして紙に視線を落とす赤髪のギャルは今、何を思う。