定期テスト
この日、高校入学後初となる定期テストの結果が発表された。京坂は吉澤の机の前に立つと、小さい紙を指さしてくすくすと笑った。
「瞬くん、低っくー! あはは──280位って!」
「……」
吉澤はうつろな目で彼女を見つめた。バンドを結成してからずっと練習と曲作り、バイトに専念していたため、予想通りテスト結果は凄惨なものだったのだ。
「安心しろ、瞬ちゃん!」
「篠原……」
すると、二人の前にバスケ部ツーブロックバカこと篠原翔馬が現れた。
「どうあがいたってオレよりはましなはずだぜ!」
「それどういう気持ちで言ってんの?」
京坂がため息交じりにそうツッコむ中、吉澤はほっと息をついた。こいつにだけは絶対に負けていないので安心だ。
「ズバリ──306位だ! すごいだろ!」
「やるじゃーん!」
「京坂を下らん寸劇に付き合わせるな、篠原……いや、宇宙一の馬鹿」
「宇宙一の馬鹿!?」
「280位と306位ってそんなに差あるかなあ……?」
京坂は首をかしげる。ちなみに彼女の順位は320人中14位である。
「瞬ちゃん、思ったより頭悪いんだな」
「バカに言われるのが一番傷つくからやめろよ……」
「何回も言うけど280位も相当低いからね?」
「待て、鈴。オレを馬鹿にするのはいい……だが! 瞬ちゃんを傷つけるのは許さん!」
「えええ!? どゆこと!?」
吉澤はずっと聞いていると具合が悪くなるようなやり取りを聞き流しながら、携帯で今後のスケジュール確認をしていた。今日は久しぶりの練習室だ。あと借りられるのはオーディションの前日のみ。この間の完成度を鑑みれば心配はないものの、懸念点としてはスリーピースバンド特有の音の軽さだ。あとは渡辺の喉の調子。ドラムのリズムキープ──。
「お」
すると、携帯の通知が鳴った。何者かがクロヒツジのグループLINEにメッセージを入れたのだ。
楓香『数学赤点 今日と明日補習 クソが』
渡辺はオーディション前にもかかわらず補習が入ったということだ。ちなみに吉澤はオーディション後に補習を受ける予定なので、練習に影響はない。
つゆきみれい『学年三位のわたしを見習いなさい』
楓香『すごっ』
露木は320人中3位と無双していた。彼女の上にはわずか二人しかいない。
楓香『吉澤は何位なん』
吉澤『280位 渡辺よりは多分上』
楓香『死ねよ』
シンプルに暴言を吐いた。やっぱり俺より下じゃないか──吉澤は煽ろうとしたが、向こうが先にメッセージを送信した。
渡辺『276位だわ そんな順位で私に勝てると思うなよ』
吉澤「まじかよ 八百長か?」
楓香『黙れ』
楓香『ちな数学は二点』
つゆきみれい『え?』
彼女がさらっととんでもないことを暴露したので、吉澤は顔をひきつらせた。俺より低いじゃねえか──と再び煽ろうとしたが、またしても先にメッセージを送信したのは彼女の方だった。
楓香『でも死ぬほどギター練習してるから、オーディションの方は任せろ』
つゆきみれい『頼もしっ!』
楓香『本気出したら美鈴にも勝てたわ』
吉澤『嘘つけ』
つゆきみれい『ふーちゃんに負けたら切腹する』
楓香『殺してやろうか』
「ちょっといい────」
「!」
昼休みの教室。ぼんやりとスマホの画面を眺めていると、儚さがにじむような声が聞こえた。恐る恐る顔を上げると、声の主はスマホ没収を敢行する生活指導部の先生──ではなく、銀髪碧眼の軽音部員こと橘小雪だった。
「橘さん」
吉澤な彼女の名前をつぶやいた。ショートボブの銀髪に翠色の瞳、端正な顔、すらっとした体格、ワイシャツと長いソックス。まるでSNSで大バズリしているコスプレイヤーのようだ。ライブハウスで出会った時と同じく橘はもじもじしながら、吉澤にまっすぐな視線を向けている。いつの間にか京坂と篠原は消えていた。
「待ってくれ……違うクラスだよな?」
「うん。これを見てほしくて────」
彼女は懐から三つ折りの紙を取り出した。吉澤はそれを受け取ると、内心ドキドキしながら紙を開く。
「……!」
すると、それはテストの結果用紙だった。学年順位はなんと320人中1位──合計点数は九割を超えており、同じ高校であることがおこがましいレベルだったので、吉澤は畏怖交じりの視線を彼女に向けた。
「すごい……! 橘さん、めちゃくちゃ頭良いんだな!」
彼女は得意げに腰に手を当てている。橘は持ち前の可愛さから教室中の視線を集めていた。
「どうして俺に……」
「?」
吉澤は顔を覗き込んでくる美少女を後目に、思考を巡らせた。わざわざ違うクラスの彼女が交流もない自分にテストの結果を見せに来たことに、何かしらの理由があるはずだと考えたのだ。
「……!」
吉澤は目を見開いた。たしか、橘は渡辺とバンドを組んでいたはずだ。
もし橘が先に渡辺の才能に気づいていたとするならば、それを奪った自分に憎しみをぶつけるのも筋違いではないはず──これだ!
「わかったぞ。橘さんは、俺の精神をぶち壊そうとしているんだな!」
「…………」
橘はぶんぶんと首を横に振った。
「違ったか……」
「────」
銀髪の美少女は後ろを向いて大きく深呼吸をすると、再び吉澤の方に振り向いた。
「その、褒められたくて────」
彼女は白い頬を赤く染めながらそう言った。教室中が静まり返ったことはもはや言うまでもない。
*
放課後、吉澤は昼休みの出来事を思い出しながら廊下を歩いていた。
橘小雪の件だ。彼女はテスト結果を見せると、自慢げに腰に手を当てた。吉澤はその理由を聞くと、彼女はこう答えたのだ。『褒められたくて────』
「…………」
吉澤はうつむきながら歩いた。思い出しても目がつぶれるものだ。
「それでですね、信じられないくらい大きなマメができたんですよ!」
「え~!?」
すると、吉澤の目にある光景が飛び込んできた。玄関のすぐ近くで、露木美鈴が珍しくバンドメンバー以外の人間と話をしていたのだ。すぐ向かいには赤髪ボブの先輩が立っている。目元にはラメが施されており、ワイシャツの第一ボタンを外している。スカートの丈も短く、あまり露木が関わりそうな見た目ではない。吉澤は不思議に思ったが、声をかけようと近づいた。
「……!」
しかし、すぐにあることに気が付いた。露木の顔がとんでもなく赤いのだ。今日は比較的涼しいにもかかわらず、とにかく『いーあるふぁんくらぶ』のジャケット写真くらい赤いのである。
「……?」
吉澤は普段と様子の違う彼女を心配しつつ、物陰に隠れて様子を見守ることにした。
情報を整理しよう。まず、露木はとても楽しそうに先輩と話している。今も頻繁に笑いが生まれており、あおの様子は噂で言われているような『不思議ちゃん』とは異なる。
それと、相手の先輩はおそらく露木の元バンド仲間である。『先輩が言い寄られてて、むしろ解散してよかったんだよね~』と語っていた通り、彼女は渡辺のことを全く悪く思っていない。
そして、最後──露木は距離が近い。先輩が離れても、無意識に玄関の方まで追いつめている。
「なるほど……」
これらの情報から、吉澤は一つの答えにたどり着いた。刹那、ちょうどいいタイミングで露木と先輩の会話が終わろうとしていた。
「それじゃあね~、オーディション頑張ってね!」
「ありがとうございます、がんばります!」
先輩はそう言うと、練習室の方向に向かって歩いて行った。露木は先輩がいなくなってもなお、その場に留まっている。その表情は恍惚としていた。
「…………」
吉澤はふんと鼻息を鳴らすと、教室の方に引き返した。