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本は持ったか?

作者: 春木千明

 本は持った? と、父は口癖のように言っていた。

 私は代わりにスマートフォンを持ってきた。

「そんなのよりも本を読んだ方が良い」

「なんで?」

「本はいろんなことを学べる。色んな人の考えを知ることができるから、人生の役に立つ」

「例えばどんな? 父さんはどんな本を読んで実際にどう活かすことができた? 考え方を知るだけで活かせないのなら結局は何もしていないことと変わらないと思うけど」

 いつものような始まりと終わりのワンセット。何度も繰り返すため、私は流暢に反論できるようになっていた。

 こう言うといつも父はその先の言葉を繋ごうとしなくなる。言葉を詰まらせるように、その先を踏み越えようとしてこないので議論の余地はなくなってしまう。内心で退屈を感じながら、私はまたスマートフォンを操作するのだった。

 電車に乗るといくつか乗り継いで目的地へと向かっていった。

 片道は大体一時間くらいかかるらしい。その間に父はどのくらいページをめくることができただろうか。ふと気になり、隣に座る父の顔を流し見ようとしたが、眼鏡の弦に阻まれてその表情を見ることはできなかった。

 神奈川県の横須賀を越えてさらに南下して三浦までやってきた。

 駅を出るとすぐに海が見え、漁に出るための船と地元の卸や飯屋が多く見えた。

 父と共にどこかに行くときは常にプランを作らないのがプランだ。一応、目的としてどこで飯を食うかということだけはゴールとしているが、それ以上のことは何もない。

 すぐに帰ることもあれば、日が落ちるくらいまでぶらぶらとしていることもある。

「ちょっと早かったね。すこしその辺を見てまわろうか」

「わかった」と返すと、適当な道に入って散歩が始まった。

 ここは今と昔が交わるような建物が多かった。昔ながらの木造建ての飯屋もあれば、おそらく蔵であっただろう建物を改築して造ったコーヒーショップ。大正時代に建てられたのだろうかと思わせる、ステンドグラスで装飾された窓のある写真館。火事で焼け落ちてしまったであろう家や、すでに人の管理がされてないであろう蔦まみれの家がそこら中にあった。

 情緒があふれているというのはこういうことなのだろうか、と自分の美的センスに問いただしてみるが、結論は出てこない。

「あ、なんだっけあの作り。よく文豪とかが、夜に酒を飲みながらもたれかかって夜景を眺めたりするときのあの枠組み」

「さぁ、なんだっけ」

 他愛ない話を鳶が笑うように鳴いていた。

 一一時になると店が開き始める。二人は目的の店に到着した。

 木組みで出来たログハウスのような風体だ。木の温かみを感じさせる内装だ。

 父はマグロの揚げ物を、私は刺身を頼んだ。

 二人でシェアをしながら食べた。

「熱いうちに食べた方が良いよ。衣がサクサクしてておいしい」

 熱いものは早めに食べておくのが私の流儀だった。自分の刺身を食べるよりも先に、分けてもらった揚げ物を食べた。マグロの切り身が二重になって揚げられたそれは肉厚で、薄めに張られた衣が魚肉のやわらかな弾力を際立たせていた。魚の旨味も閉じ込められたそれは口の中いっぱいに広がって、腹の底から全身を温めてきた。

 刺身も絶品だった。鮮度の高い赤身とネギトロの盛り合わせは、てらてらと綺麗な肉質を煌びやかに魅せている。舌に乗せてねっとりと、絡み合うように咀嚼をしていくと、いつの間にか口内から消えてなくなっていった。意識しながらでなければ、うっかり飲み物のように食べてしまいそうだったから、あえてツマから食べなければならなかった。

 父はアルコールを頼んだ。ビールとワンカップだ。

 父は昼から酒が飲めるのは幸せだと言っていたが、私には理解ができなかった。

 数年前に論文で、程よい飲酒は健康に良いという説は完全に否定されていた。要するに毒だ。煙草と同じで利用する利点がない。食道がんや肝臓病、生活習慣病のリスクにつながるだけのものである一方で、脳の働きを抑え血流を良くするという意味では一時の幸福感を得られるのも事実だった。

 嗜好品、というのが私にとっての純粋な評価だ。

 常飲するようなものではないと思っている。

 だから私は人とのお付き合いでしか酒は飲まない。

 父はコップを二つ頼むと、一つは目いっぱいに注ぎ、もう一つは半分ほど注いだ。私は後者を頂いた。

 一口含むと魚の脂をこそぎ取っていき、あっさりとした麦の香りだけが残った。

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