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翌日、十摩家の先遣隊が動き出したのは、陽もすっかり昇って中天に差し掛かる頃合いだった。
恐らく兵らが進む事を渋って、動き出すのに時間が掛かったのだろう。
動き出した先遣隊も、人数は七十人に減っている。
俺からの襲撃を直接受けた三十人は、やはりもう恐怖で戦えないと判断されて、山を下ろされたらしい。
やらねばならぬ事だったが、さぞや怖かっただろうと思うと、少しばかり申し訳なくも思う。
ただ、戦いで死なず、転んだりした怪我はあれど、無事に帰れた彼らは幸運だ。
この先は、血を流さずに済むとは、俺も流石に考えていないから。
数が減った先遣隊の先頭に立つのは、妖術師とその護衛だろうと思われる、十人の班。
遠くから眺めて観察すれば、十人の中に一人、明らかに格好の違う者がいる。
ゆったりとした装束を身に纏い、烏帽子まで被ってるその姿は、明らかに山を登る格好じゃない。
しかしそいつは、山に向かないその恰好を苦にした風もなく、男とも女とも判別の付かない顔立ちに薄く笑いすら浮かべて、山道を優雅に歩く。
どうやら術だけじゃなくて武の心得もある様子。
そうでなければ、足場の悪い山道を、あんな格好で歩ける筈がない。
いや、歩けたとしても無駄に体力を使うだけだ。
尤も、武の心得があったとしても、あんな格好をしている意味は、服の内側に色々と、妖の魂核やら何やらを、隠し持つ以外にはないと思うけれども。
あれが妖術師で間違いない。
正直、あまりに露骨過ぎるけれど、あの振る舞いは只者にはできないから。
……多分、敢えてあんな風に目立つ事で、早く俺に出て来いって言ってるんだと思う。
何より、俺はそいつを、一目で悪だと直感した。
理由は特にないんだけれど、敢えて言うなら中級以上の妖を見た時のように、放置はできないって気分にさせられる。
ただ、うん、大妖程ではないか。
あの蛟の時のような、額の、角の疼きは感じない。
黄……、いや、赤かな。
そいつを一体の妖として見るならば、中級の中でも赤に近い強さ、力の出力を感じた。
単純な強さが赤に近く、そこに人としての技量が加わるなら、或いは赤の妖よりも、ずっと手強い可能性がある。
人としての技量の話をするならば、周囲の護衛も厄介だろう。
彼らは、昨晩に襲撃をした雑兵達とは違って、より多くの訓練を積んだ精兵か、或いは武芸者かもしれない。
もちろん武芸者だったとしても、その実力は玉石混合だ。
本当に磨かれた玉の武芸者は、例えば俺も知る紫藤がそうである。
仮に紫藤くらいの腕の武芸者が混じっていたら、或いは妖術師よりもそちらの方が、俺にとっての脅威となる場合もあった。
……まぁ、弘安家の討伐隊ですら、紫藤の実力は抜きんでていたし、それよりもずっと小さな十摩家に、そんな実力者が用意できるとは思えないが、何事にも万に一つはあるから、周囲の護衛にも油断はすべきじゃないだろう。
いずれにしても、今は俺はまだ襲撃を仕掛けない。
狙うならば日暮れ時。
昼間に歩いた連中が、疲労して気力の糸が切れてからだ。
逆に俺は、昼間に休んで体力、気力を充実させる。
それに今は、一華が道の先で、戦いの場を整えてくれていた。
幾ら忍びの者であっても、俺が全力で暴れたならば、並んで戦う事は不可能だ。
正直、彼女を気遣わなきゃならない分、俺が戦い難くなるだけ。
故に一華は俺と並んでは戦わないが、彼女なりにできる事をしてくれていた。
俺の身を守るという任務を与えられてる一華は、とても歯痒そうではあったけれど、それでも自分の特技を活かして手助けしようとしてくれている。
だから敵が手強そうな事は、見るだけでも十分に伝わって来たが……、負ける気はあまりしない。
空が赤く染まる頃、
「オオオオオオオオオオオッ!」
昨晩と同じく俺は雄叫びを上げて、金砕棒を振り回す。
けれども今日、俺が殴り付けるのは、そこらに生えた木々じゃなかった。
順当に進めばこの場所辺りに差し掛かるだろうと、昼間のうちに一華が運んでくれていた、一抱えはある岩。
それを俺は金砕棒で打ち砕く。
もちろん、意味もなく岩を壊した訳じゃない。
金砕棒で打ち砕かれた岩は、無数の石の飛礫となって、妖術師や護衛達に降り注ぐ。
岩を完全に粉々にせず、飛礫がある程度の大きさを残すように加減はしたが、妖術師や護衛達に対しての加減はない。
まともに飛礫を受けたなら、人の身体に穴が開く程の威力は、十分にある。
更に砕く岩は一つではなく、三つ、四つと次々に。
昨日の兵に対しては、脅すだけで殺してしまわぬよう、なるべく怪我も少ないようにと気遣う余裕もあったけれど、今日の妖術師や護衛達に対しては、加減をしてる余裕が一切ないから。
しかし驚いた事に、護衛達はこの攻撃に対応した。
……いや、それを対応したと言っていいのかはわからないが、彼らは自分達の身は守らずに、妖術師の前に壁となって立ちはだかり、肉の壁になったのだ。
それは護衛という役割としては、実に正しい行動だろう。
妖術師が領主の一族か何かで、周りにいたのが長年仕えた忠臣であるなら、それも頷ける。
だが妖術師は十摩家に囲われているが、領主の一族だという話はなかった筈。
それに訓練を受けた精鋭であっても単なる兵や、或いは雇われただけの武芸者に、咄嗟にできる事じゃない。
しかも一人や二人ではなく、護衛の全員が迷わずそう動いたのだ。
明らかに異常な事態だった。
そしてその護衛達は、身体に穴が開く飛礫を受けても尚、倒れる事なくこちらを見据え、手にした武器を俺に向かって構える。
でもこれは……、この気配は、妖?
昼間に遠くから観察した時は、確かに誰もが人間だったのに、今、護衛達から漂う気配は、下級の、黒の妖と全く変わらぬもの。
彼等の様子は、俺にある物を連想させる。
以前、蛟と戦った時、弘安家の家宝であった大鎧、蛇巳丸は、動力である妖の魂核に乗っ取られて、傀鎧と呼ばれる妖と化した。
傀儡の鎧と書いて、傀鎧。
今の護衛達の様子は、その傀鎧にそっくりなのだ。
彼らは魂核の力で動く大鎧じゃなく、紛れもない人である筈なのに。
まさか、体内に黒の魂核を埋められて、妖に身体を乗っ取られたのか?
恐らくそれが正解だが、そんな事が自然に起きる筈がない。
すると……、あの妖術師が、意図的に自分の護衛達を妖に変えたって事になる。
いや、本当に、そんな外道が、人に居るのか。




