41
それから俺達は、山道を通って樺家の領内に入り、手紙の配達と書道具の買い付け、それから塩やら苧麻、布を売り捌いてから、港都に戻って仕事を終えた。
仕事は非常に評価され、また色々と頼みたいと口入屋には言われたが、それから俺達は、樺家の領内へ届け物をする等の依頼しか受けていない。
もちろんそれは、十摩家が樺家を攻めた場合は即座に動けるようにと、色々と準備をしておく為だ。
樺家の南の山中に、岩肌を掘って拠点を幾つか築く。
十摩家から続く山道を見下ろして、やって来る者の動きを見張れるように。
もちろん逆に、下からこちらを見上げても、丸見えにならない工夫はしてある。
山野に籠って修行をするのが趣味、もとい生き方の師に育てられたから、俺も山の中での活動は得意だった。
これに関しては、忍びの者である一華だって、俺には遠く及ばない。
どうして海洋貿易で栄える港都まで来て、やってる事が山籠もり何だろうとは思うけれども、……でもそれも俺らしいか。
他にも色々と準備はしているが、これらが全て無駄になる可能性も、決して低くはないだろう。
だが、別にそれでも構わないというか、むしろ無駄になってくれた方がずっといい。
十摩家の軍が来なければ、久しぶりに山籠もりをして、昔を懐かしんだだけで終わるのだ。
季節は、一日ごとに寒くなり、冬の足音が近づいていた。
完全に冬になって雪が降ったなら、平地でならともかく山に囲まれた樺家を攻める事は難しくなる。
これまで、山で過ごしながら冬を待ち遠しく思った事なんてないけれど、今回ばかりは俺は雪が降るのを待ち望む。
……けれども、その願いも虚しく、十摩家の軍は冬が訪れる前に動く。
「翔様、十摩家の軍勢、およそ千が山の麓に集結しました」
一華の言葉に、俺は頷き、面を手に取った。
木材を削り、顔料を塗って色付けした化け物の面を。
角の生えた額当て、派手な色に塗った化け物の面、それに加えて獣の毛皮を着込めば、夜目なら十分に妖の姿に見える筈。
ここまで、一華は色々と偵察やらに動いてくれたから、ここからは俺が動く番だ。
樺家と十摩家の間を結ぶ山道は、徒歩で越えるならば二日は掛かる。
旅人よりも足の遅い軍勢ならば、もっと時間が必要だろう。
麓には十摩家側の関所があり、そこから始まる山道の終わりに、樺家側の関所があった。
樺家側の関所は砦のような造りをしており、堅牢だ。
狭い山道で思うように展開のできない軍が、しかもここまでの道のりで疲弊してる兵が、この関所を落とす事は難しい。
もちろん大鎧の一つもあれば、関所なんて強引に破壊してしまえるだろうが、樺家の領地を囲む山はかなり険しく、大鎧をここまで運ぶのは非常に労力を要する。
以前、弘安家の領地で、山を城に見立てて攻め落としたが、あれは山の傾斜がなだらかで、かつそれなりに時間を掛けて木々を薙ぎ倒したりして、少しずつ攻略したから大鎧も運用できた。
しかし十摩家には、同じ真似は無理だろう。
良仙家からの援軍が来るまでという時間制限もあるが、それ以上に、十摩家と弘安家では、保有する大鎧の数、領主としての力、全てがあまりにも違い過ぎるから。
「一体、どうやって十摩家の軍は関所を落とす心算なんだろうね」
何らかの方法がなければ、動員した千の兵も殆ど戦えず、関所の前で足止めを食らう。
千人のうちの百でも、俺と同じくらいに山で動けるなら、そりゃあ山道を外れて関所なんて無視できるけれど、それは流石に考え難い。
樺家がすぐに動員できる兵力は、かき集めても三百程度。
関所を抜かれても町までにはもう一つ砦があるが、そこは軍を展開する広さがあるので、千という数を食い止めるのは困難だろう。
つまりこの戦いの勝敗は、十摩家の軍が関所を落とせるか否かに掛かってる。
「間違いなく何らかの術師、……恐らく妖術師を使って来ると思います。十摩家が腕のいい妖術師を囲っているという噂を、何度か耳にしました」
……うぅん、妖術師か。
それは実に厄介な話だ。
師がそうだったからわかるけれど、腕のいい術師は厄介な存在である。
あの時、蛟を倒せたのだって、師が強力な術で追いこんでくれたお陰だった。
流石に師程に強力な術者はそうそう転がっていないだろうが、妖術師というのが如何にも怖い。
というのも、他の術師が学んで知識を蓄え、修行で力を増すのに比べて、妖術師の力を決めるのは保有する妖の魂核だからだ。
もちろん妖術師が、術の修業をしていないという訳ではないけれど、彼らの力の源は己ではなく、妖の魂核から力を引き出し、術を行使する。
つまり他の術師と比較しての話だけれど、修行の量が少なくとも、強い力を引き出し易いという。
但し当然ながら利点があれば欠点もあり、まずは妖の魂核の入手が困難であるという事。
妖の魂核は大鎧にも使用されるので、白や黒といった下級の妖の魂核ならともかく、中級以上となると基本的には領主が買い上げるから、入手はとても困難になる。
自前で強力な妖を倒せるなら話は別だが、その場合は、妖の魂核を必要とする理由もないし。
また妖の魂核から人が力を引き出していると、その影響を受けて邪悪に堕ち易いという欠点があった。
いや、実際に人がどんな風に邪悪に堕ちるのかなんて、俺は見た事がないから知らないんだけれど、師が言うには人の形と知恵は保っていても、在り方は妖と変わらない程に狂うらしい。
或いは今回の戦も、多くの人の死を欲する妖術師が唆したのではないかと疑ってしまうくらいに。
その妖術師が、単に術を放つだけしか能がないなら特に問題はないのだが、もしも武の心得も兼ね備えていたら、脅威は格段に跳ね上がる。
術を行使しながら、同時にやはり術で己の肉体を強化して、動き回る類の術者は、手札の数で圧倒されて、もう何をしてくるかもわからない。
師がそうだから、俺はその脅威を本当に良く知っていた。
仮に妖術師が術と武、両方の心得があり、更に赤や黄の、中級の妖の魂核を持っていたなら、それは大変な脅威だろう。
正直、それなら赤や黄の妖や、或いは赤や黄の大鎧を相手にした方が、よっぽど楽なくらいだ。
「それは、怖い噂だね」
だから俺のこの言葉は、紛れもない本心だった。
しかしそれは最大限に敵を大きく見積もった場合の話で、……たとえそうであったとしても、師と戦う事に比べれば、全然容易いとの確信はあるが。
師と戦うくらいなら、大妖の方がマシだとすら、俺は心底思ってる。
さて、実際にはどの程度だろうか。
そもそも妖術師なんていなかったというのが、一番楽でありがたいのだけれども。