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港都は海を使った交易で栄えているが、実は陸路もしっかりと広く、整備されていた。
というのも当たり前の話なのだが、海から運ばれてきた品々を、更に内陸に運び、逆に内陸の特産品を港都に持って来て船に載せる為には、陸路はどうしても必要だ。
故に海を重視しがちな良仙家も、道の整備にはきちんと力を入れている。
そんな整備された歩き易い道を、俺達は南に向かって歩く。
「手紙の配達、他領の塩、米、油の価格調査、筆と硯の買い付け。……どれも大きな依頼ではないですが、複数を任せて貰えたのはありがたいですね」
口入屋から回して貰った仕事を指折り数える一華は、表情は普段と変わらないが、声には満足感が滲む。
どうやら自分の交渉で複数の依頼を請け負えた事に、達成感を覚えてるらしい。
元々口入屋が回そうとしたのは、書徳院からの筆と硯の買い付けのみだった。
これは恐らく、文字法師が俺を気にして出してくれた依頼だろうから、そこはまぁ当然だろう。
しかし一華は口入屋が陸での依頼を持て余し気味な事に気付き、纏めて請け負えるように交渉をしたのだ。
というのも、港都は海を使った交易で栄えているだけあって、口入屋が扱う依頼も海に関係する物が多い。
故に仕事を求める者達も、その心算で口入屋にやって来る。
すると陸での仕事は受け手が少なく、依頼が余りがちになっていると、一華は港都を見て回ってそう判断したのだろう。
そしてその判断は正しかったようで、一華は交渉の末に、手紙の配達と他領の塩、米、油の価格調査といった、同時にこなせる依頼を口入屋からもぎ取ったのだ。
もちろんそれは、文字法師から貰った紹介状が、つまりは信用があったからこそ、口入屋も一度に複数の依頼を任せてくれたのだとは思う。
だが仮に俺が一人だったら、筆と硯の買い付けのみで満足し、同時に他の仕事をこなすなんて発想は持てなかっただろうから、これは間違いなく一華のお手柄だった。
いや、俺が一人だったら、手紙の配達はともかく、塩、米、油の価格調査なんて難しそうな仕事は、任せて貰えたとしても、そもそも請けようとしなかったに違いない。
なるほど、これが世に慣れ、目端が利くって事なのかと、感心する次第である。
「まず、どこから回ろうか?」
手紙の届け先や、価格を調査するべき場所は複数あった。
最終的には全てを回らなければいけないにしても、筆と硯を買い付ければ荷物が増える事も考えて、効率よく回りたい。
「良仙家の南には西から順に大鵜家と樺家の領地があり、その南に両家を足したよりも大きな規模の領地を持つ十摩家があります」
一華は、口で説明をしながら、指を動かし宙に良仙家、大鵜家、樺家、十摩家の位置関係を描く。
宙に描いてもそれが残って見える訳ではないのだが、領地が大きい、小さいといった機微は少しわかり易くなる。
当然ながら、俺も依頼で向かう先の情報は、既にある程度は頭に入っていた。
だが一華は俺の理解をより深める為に、改めて話してくれてるのだろう。
良仙家の港都を出て真っ直ぐ南へ進むと、四日程で大鵜家の領内に入る。
大鵜家も海沿いの土地を領有する領主だが、良仙家のように交易を重視する家ではない。
というのも港は保有しているが、隣の良仙家の港都が大きい為、わざわざ泊まる船が少ないからだ。
故に基本的には、海での漁と製塩、それから良仙家の港都から陸路で荷を運ぶ商人からの関税で領地を運営していた。
大鵜家への道を選ばず、少し東に逸れて進めば樺家の領内に入る。
但しこちらの道は勾配がきつい山道だ。
樺家の領地は山に囲まれており、良仙家からは陸の孤島と呼ばれていた。
ただ、実は樺家と良仙家の関係は深い。
というのも、樺家は紙が珍しかった時代から、名産の白樺の皮を使った書が盛んで、その為に筆や硯といった書道具も、質の高い物が生産され続けていた。
また今では、紙の生産でも有名になっているんだとか。
そしてそれらの書道具や、今では紙も輸出して、金に換えたのが良仙家の交易だ。
こうした特産品の存在がなければ、良仙家の交易も、ここまで規模が大きい物にはならなかったかもしれない。
だから昔から、良仙家は樺家を強く支援してきたし、樺家も良仙家との関係を非常に重んじてきたという。
最後に大鵜家や樺家の南にある十摩家は、この辺りでは良仙家に次いで力を持っている領主だった。
領地の面積で言うならば、大鵜家や樺家の倍以上で、良仙家とほぼ変わらない。
いや、樺家が有する領地は山に囲まれてるから、実際に人が利用できる土地でいったら、数倍になるだろう。
すると力を持つ者の必然か、より力を持つ者を疎ましく思うらしく、十摩家は明らかに良仙家に対する対抗心を抱いてた。
尤も、やはり海に面する十摩家が有する港は、南側から良仙家の港都を目指す船が、最後に停泊する中継地として利用する為、十分な利益も受けている。
その為、露骨な対抗心は見せつつも、表立っての敵対は、未だしていない状態だ。
「手紙を届ける場所は、大鵜家と樺家に店を構える商家ですね。価格の調査は大鵜家と十摩家の領地で行い、筆と硯の購入は樺家の商家になります」
なるほど。
つまり大鵜家、十摩家、樺家の順で、ぐるりと一周するような形でそれぞれの領地を巡り、港都に戻るのが良さそうか。
問題があるとすれば、十摩家の領地に入る関を越える時、どういった口実を使うかだ。
まさか良仙家の港都で、価格の調査の依頼を受けたなんて、まかり間違っても言う訳にはいかない。
大鵜家と樺家の領内に入る時は、手紙を届けたり買い物をするって口実があるが、十摩家にはそれらの用事もなかった。
「十摩家の特産品は苧麻と、それで織られた布ですので、それを仕入れて樺家で売って稼ぎたいと言えば、恐らく問題なく通れるでしょう。私達は商人ではないので、余分に幾らかの税は取られますが、実際にそうして荷を運べば、手間賃くらいは稼げる筈です」
だが一華は、それも既に考え済みだった様子。
すらすらと答えられる対策に、感心するより他にない。
商人でなくとも特産品を運び、他所で売るなんて真似ができるのか。
しかもそれを、領内に入る為の口実に使うなんて。
本当に、世慣れ、旅慣れ、目端が利くというのは、凄い事なんだなぁと、改めて感じる。
俺と比べて、歳は幾つか上ってくらいだろうに、一体これまで、どんな経験をしてきたんだろうか。
「価格の調査は私がやりますので、……あっ、でも、翔様も興味がおありでしたら、一緒に付いて来てください。書道具の買い付けは、書徳院の使いを名乗れば最高の物が買えるでしょうから、私にはできないので、翔様にお願いします」
自分が一人でやった方が早い事に俺を誘ったり、できる役割を振ってくれるのは、流石に気の使い過ぎだとは思うけれども。
ただ、一体どうやって価格の調査をするのかは普通に興味があるので、喜んでついて行こう。
知らない場所を見て、未体験の仕事に付き添って、新たな知識や経験を得られるのは、普通にとても楽しみだ。
後はまぁ、予期せぬ問題が起きぬ事を願うのみである。




