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良仙家の港町は、穂積洲で最も規模が大きく、船の出入りが多い港だ。
しかもこの港町が、弘安家で言うところの領都、つまり良仙家の中枢の役割も果たしていた。
故にこの港町は、その規模も相俟ってしばしば港都と呼ばれる。
普通の領主は、海から敵が海から攻め入ってくる事を恐れて、本拠は海から離す。
海から来る敵は機動性に優れる為、防ぐのが難しいとされるから。
だが穂積洲で最も海の軍に力を注いでいる良仙家にとっては、むしろ海辺に都を置く方が安心なくらいなのだろう。
ここまで乗せてくれた船の水夫も、良仙家が恐れるのは、大きな嵐くらいだって笑いながら言っていた。
ただこの時、急に嵐が出てくる理由がわからなくて、俺は思わず首を傾げる。
船乗りである彼が嵐を恐れるのは何となくわかるが、海辺であっても陸に拠点を構える良仙家が、どうして嵐を怖がるんだろうかと。
いや、もちろん嵐が怖いのなんて、当たり前の話なんだけれども。
すると一華がこっそりと、
「翔様、海には遮る物がありませんから、海辺の嵐は内陸のそれに比べて激しくなりやすいのですよ。また人を浚う高い波等、海辺だからこその危険もあります」
耳元でそんな風に教えてくれた。
なるほど。
確かに海には風を遮る山のような何かは……、遠くに見える扶桑、天まで届く巨木くらいしかない。
山でも、嵐による雨風で地面が緩んで崩れたり、増水で川が溢れたりするが、海辺には海辺の危険があるという事か。
多分、話を聞いて納得したような気分になっても、実際にその嵐に出くわしてみなければ、真の恐ろしさはわからないんだろう。
当然ながら、嵐の脅威は俺だけにじゃなくて周囲に等しく降り注ぐので、理解をしてみたくはあるけれど、そんな機会はない方がいい。
船を降りて港に入ると、そこは人で溢れてた。
港都は他の港と違って、人に港町に入る税は課せられない。
海から訪れる人や物を重視する良仙家の方針で、そんな風に定まってるそうだ。
但し入港者の身元の確認や、禁止された品を持ち込もうとしていないかの確認は厳しく行われ、俺は早速、月影法師から貰った書状を使う事になる。
まさか三宝教の寺に行く前に、港でこれを使うとは、全く思いもよらなかった。
その書状の効果か、同行者である一華も比較的だが軽い調べで済む。
もちろん一華も自分が忍びの者だとバレるような物は所持してないと思うけれど、取り調べが軽いに越した事はないだろう。
やはり身元の保証は、人里での効果が非常に高い。
俺も誰かの身元の保証ができるくらいに信用のある立場になってみたい気もする。
ただ信用なんて一朝一夕に築ける代物じゃないから、長く同じ場所に留まって積み重ねる必要があった。
師もあんな風に名前が知られるようになるには時間が掛かっただろうし、月影法師だって寺や領都への貢献を積み重ねて、あの立場を得た筈だ。
そう考えると、あちこち見て回りたいと思う俺には、あまり向いてないか。
港は大雑把に四つに分かれているらしく、俺達が船を降りた場所の近くには、同程度の大きさの船が十も二十も停泊してる。
恐らくここらに泊まっているのは、穂積洲の港を行き来する廻船だろう。
少し向こうに目をやると、俺達が乗ってきた船に形は似ているが、二回りは大きな船が数隻。
あれは穂積洲以外の八洲、主に外洲を行き来する為の船だ。
大きさだけじゃなく、厳めしい盾等の武装が多く施されている事から、他の洲への航海は、穂積洲を巡るよりも危険が多いのだろうと察せられた。
更にその向こうに泊まっているのは、明らかに建造様式が全く異なる船。
外洲を行き来する為の船よりも更に大きかった。
だったらあれが、外つ国から来たという異国の船か。
しかし並ぶ異国の船の中でも、やはり建造様式が異なっていて、外つ国と言っても複数の文化圏がある事が窺える。
そして最後に、一番遠くの区域は、大鎧を載せた船の姿が見えるので、良仙家の軍船が停泊する場所らしい。
でも、大鎧が海で何の役に立つんだろうか?
もしも船が沈んでしまうと、一緒に大鎧も沈むと思うんだけれど……。
或いはあの大鎧は、海人のように水中で泳いで動ける仕様になってるのかもしれない。
ぐるりと辺りを見回せば、行き交う人々の間にとても目立つ姿が幾つかある。
真っ白な肌に、金髪の異国人は、豪奢な身なりからして異国船でやって来た商人だろうか。
傍らには真逆に、日焼けの域を越えて黒い肌の大男。
剣と思わしき武器を身に付けてるので、護衛の剣士かもしれない。
黒い肌の大男は俺の視線を感じたらしく、一瞬こちらを見て、目が合う。
……恐らく、かなりの強者だ。
「翔様、あまりジッと人を見ると、揉め事の種となります。それよりもこの後はいかがなさいますか?」
しかしすぐに一華が話し掛けてくれたので、俺は異国人達から視線を逸らし、彼女の言葉に思いを巡らせた。
予定は何もないけれど、一先ずやるべきは、三宝教の寺への挨拶だろうか。
領都の双明寺でそうだったように、滞在場所にできたり、口入屋を紹介して貰えると、港都での生活も随分とし易くなる筈だ。
だが俺がそう言えば、一華は少し困った顔をする。
一体どうしたのかと思えば、
「いえ、小さな寺はともかく、都にあるような大きな三宝教の寺は、修行の妨げになるからと、女人の立ち入りはあまり良い顔をされないのです。代わりに、女性には尼寺がありますので……」
彼女はそんな言葉を口にした。
あぁ、なるほど。
尼寺がないような場所では、女性が寺に立ち入る必要もあるだろうと問題にはならないが、都のような場所では尼寺もあるし、修業中の僧も多い為、その妨げになる女性の立ち入りが歓迎されないという訳か。
つまりこの港都の寺では、一華が泊めて貰えないって話だった。
彼女の役割には俺の護衛が含まれているらしいから、宿泊場所が離れているというのは、一華には歓迎できない事なのだろう。
まぁ、それなら俺も、普通に宿に泊まればいいか。
三宝教の寺では、口入屋の紹介だけして貰えれば十分だ。
双明寺での生活は、随分と良くして貰えたから快適だったが、ここの寺もそうであるとは限らないから。
最初から宿に泊まると決めておけば、それはそれで気楽である。
一華は申し訳なさそうに、でも同時に安堵もしてる様子だけれど、俺にとっては別に大した事じゃなかったから。
まずは先に宿を決めてから、寺への挨拶に向かうと決めて、人通りの多い港都の道を歩き出す。




