31
それから一週間程は、衰えた身体を戻す為に費やした。
尤も双明寺の敷地内で動ける程度なんてたかが知れているから、まだ本調子とはいかないけれども。
ただ、運動以外の時間は月影法師から、自然の理に関する講義を受けられたので、まぁ、充実した一週間だったと言っていいだろう。
当然ながらこんな短時間で教われるのは、自然の理の、あくまで基礎の部分でしかなく、本格的に術を使う事を望むならより深く自然の理を理解する為に勉強や思索、修行が必要となるけれども。
まぁ、今はそこまで望んでる訳じゃない。
寝ている間の世話は月影法師がしてくれたらしいけれど、起きてからは再び光念が世話をしてくれていた。
彼もある程度の事情は聞いているらしく、
「身を削って戦って、それで領都を出なきゃならないって、周囲の都合に振り回されて、翔はそれでいいのか?」
なんて風に問われてしまった。
そんなのとても許せないと言わんばかりに、声に怒りを滲ませながら。
光念は実に生真面目で、真っ直ぐに俺の為に怒ってくれている。
その怒りは、好意があっての物だと思うから、俺は彼の怒りを嬉しく感じた。
確かに、客観的に見るとそうなのかもしれない。
要請されて戦いに行き、その戦いで活躍し過ぎたからと領都に居られなくなる。
それだけを聞けば、なんて酷い話だろうって、もしも他人事だったら思うだろう。
でも俺は、師を含めた大勢が、なるべく良い形に纏めようとした結果、こうなったんだと理解していた。
正直、あれだけ大暴れをして、恐れられずに済んでるだけでも、本当にありがたい話なのだ。
もちろんそうやって暴れなければ、大勢の人が死んで、蛟を倒せなかったというのもまた事実なんだけれども。
「俺は困ってる人を助けたくて戦ったんだ。でもその結果、俺がいて困る人が出てしまうなら、ほとぼりを冷ますくらいは何でもないよ」
だから俺は怒る光念に笑ってそう言う。
これは俺の、紛れもない本心だ。
何の為に戦ったのか。
自分が何をしたくて、何をしたくなくて、その上でどうすれば物事が上手く回るのか。
整理して物事を考えれば、最善の行動は明白だから。
「……そうか、でも、それでもさ、俺は翔は、怒るべきだと思うぞ」
光念の言葉に、俺は頷く。
こうやって俺の為に怒ってくれる人がいる事は、きっと幸いなのだろう。
俺は領都に来て、良い仲間に出会えたし、こうして良い友にも出会えた。
人の縁に、とても恵まれたと、心から思える。
離れる事にはなるけれど、彼らは妖に殺されず、壊されず、こうして生きていて、だったらまた何時かは会える筈。
「俺の分も光念が怒ってくれてるから、それでいいよ」
故に笑って、旅立とう。
目覚めて八日目の明け方、俺は荷物を纏めて、双明寺を後にする。
師から独り立ちしたばかりの時は、それこそ金砕棒くらいしか持ってなかったのに、今回は纏める荷物があるのだ。
それが何とも面白い。
替えの衣類に幾らかの金、それから月影法師が持たせてくれた書状を、小さな荷物袋に詰めてある。
金は妖の討伐の報酬のごく一部で、金の板が二枚。
茜や紫藤と一緒に倒した妖に関しては、師が二人を言いくるめて、全て渡したそうだ。
だから俺が受け取ったのは、紫の大妖、蛟を倒した分のみ。
いや、のみといっても、それが莫大な量で、金銀の詰まった箱を幾つも渡されたらしい。
けれどもそんな物を持ち歩いて旅ができる筈がないから、双明寺に預けて行く。
正直なところ、飯を食おうとするだけで両替やら何やらが必要な金銀よりも、使い易い銅銭の方が、俺にはよっぽどありがたかった。
食える分があればいいし、他に必要になれば稼げばいいのだ。
少なくとも、それを可能にする程度の力が、俺にはあった。
実際、懐には領都の仕事で稼いだ銅銭に紐を通して、束にして入れてある。
手紙は、月影法師が自分の縁者だと、俺の身分を保証する物。
高僧である月影法師の保証があれば、少なくとも三宝教の寺なら、どこに行っても邪険に扱われる事はないという。
全く見知らぬ場所でも俺の身分が保証される。
これ程にありがたい助けは他にない。
蛟の、紫の魂核は加工され、弘安家の新しい家宝の大鎧となるだろう。
今回の件で、弘安家の力は大きく増す。
再び蛟を倒したという名声で領内は強く纏まり、更に戦いによって得た魂核で、多くの大鎧が作られる。
その事は大領主同士の力関係にも影響を及ぼし、或いは穂積洲は、弘安家によって統一される可能性もあった。
まぁ、それが善いのか悪いのかは、やっぱり俺には判断が付かない。
穂積洲が統一されれば戦は減るかもしれないが、逆にそうなるまでは大きな戦が幾つも起きるだろう。
師の手紙には、これから八洲の地には多くの異変が起きると書かれていた。
何でも師の知己である小人が、そんな未来を見たそうだ。
小人は身の丈が二尺にも満たない種族だが、その小さな身の丈とは裏腹に、不思議な力を扱える。
その不思議な力の一つには、未来を見通すという、未来視があった。
今回現れた蛟も、その小人が見た異変の一つに過ぎないのだとか。
人とあまり変わらぬ姿でありながら、人が持ち得ぬ力を持つ俺が八洲に、人の世にいるのも、その異変の一つなのかもしれない。
或いは逆に、その数々の異変に備える為にと、力を持つ俺が人の世に送り出されたのかもしれない。
だがその上で、師は、俺に好きなように生きろと、手紙に書いていた。
どんな事情があったとしても、子を一人で放り出すような誰かの思惑に従う必要は、少しもないのだと。
俺に頼り切らねばならない程、八洲の人々は弱くはないと。
それはとても、師らしい物言いだ。
俺を拾って育ててくれた師には、その言葉を口にする資格がある。
あの人は俺の、親のようなものだから。
また、実際に俺よりも、師は強い。
少なくとも今の時点では、確実に。
今回の蛟も、俺は止めこそ刺したが、仮に最初から紫の妖として現れたり、師の助けがなかったなら、勝てる見込みはまるでなかった。
しかし八洲では、過去に紫の大妖が討伐された例は、幾つかあるのだ。
つまり俺よりも強い人というのは、八洲には幾人もいる筈である。
必ずしも俺が挑まずとも、八洲の人々は異変に抗い、これをどうにかするだろう。
でも、だからこそ俺は、その起きる異変とやらに、向き合おうと思う。
誰かの思惑なんてどうでも良いけれど、育ててくれた師に対して、恥じぬ生き方をしたい。
一体幾つの異変が起きるのかは知らないけれど、そのうちの一つか二つでも解決して、師に自慢したかった。
もしもそれで、褒めてくれたら最高だ。
歩きながら天を仰げば、青々とした空に、真っ白な雲が流れてた。




