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行きは七日掛かった道のりを、五日で戻り、俺達は領都で解散する。
やはり行きは荷が重かったのか、帰りの方が牛の足も速かったのだ。
牛を厩舎に戻して少しばかりの荷を商家まで運べば、俺達の仕事ぶりが良かったからと、行商人は報酬を二割増しでくれて、都合が良ければまた次回も頼みたいと、そんな言葉まで言ってくれた。
報酬が増えたからか、それとも依頼人が仕事ぶりに満足してくれたからか、茜も上機嫌で、
「楽しかったよ。翔とはまた一緒に仕事したいね。ほら、君はアタシが女だからって、侮ったりしなかったし」
ポンと気安く俺の肩を叩く。
結局、荒事は起きずに無難に終わったから、お互いの実力が確認できた訳じゃないけれど、それでもある程度の人柄はわかった。
女が荒事も多い仕事をしてると、何かと面倒は多いのだろう。
まぁ、茜が俺とまた仕事をしたいと言ってくれるのは、素直に嬉しい。
行商人からの言葉もそうだったけれど、誰かに気に入られて好意を向けられるのは、とても心地好く思う。
「口入屋がそういう仕事を回してくれる時は、是非、喜んで」
だから俺も、できる限り前向きな答えを返す。
ただ、そう、口入屋から仕事を回して貰ってる以上、必ずしも都合良く一緒に仕事ができるとは限らない。
例えば、酒肆での用心棒の仕事なんて、二人で行っても無駄になる。
では、どんな仕事なら一緒にできるだろうか。
領都の中でとなると、ちょっと思い当たらない。
茜の鉄砲は、町中では少し使い難い武器だった。
すると今回の護衛のような、領都の外に出る仕事になる。
つまりは比較的だが、大きな仕事だ。
護衛、賊の退治、妖退治。
弘安家の領内は治安が良いから、それらの仕事が頻繁にあるとは思えなかった。
特に賊や妖の退治をしようと思うなら、もっと荒れた場所まで出向くべきだろう。
茜と一緒に仕事をする為に領都から別の場所に移ろうとは、今は流石に思えない。
まぁ、そんな提案をされたって彼女だって困るだろうし。
「うん、丁度良い仕事があったら二人に回してって、口入屋には伝えておくよ。じゃあ、またね」
故に俺の返事は、できる限りしか前向きではなかったのだけれど、茜はそれで十分だったのか、笑ってそう言い、去って行った。
一人になった俺は、その背中を見送って、では双明寺に帰ろうかと思ったところで、ぽつりと鼻先に雨粒が当たった事に気付く。
これは何とも間が悪い。
いや、護衛の仕事の最中に降らなかった分、良かったのか。
折角ここまで降らずにいてくれたなら、後ほんの少し、双明寺に辿り着くまで、待ってくれたら更に有難かったのに。
雨に駆け出した領都の人に混じり、俺も双明寺を目指して走り出す。
これは帰ったら、是非とも風呂を沸かして貰おう。
元より旅の垢は落としたかったから、風呂には入りたかったけれど、雨に濡れた身体には、熱い湯がさぞや心地好いだろうから。
そしてその日から、雨は三日三晩降り続いて、未だに止んでいなかった。
この辺りの雨はまだ比較的だが勢いも弱いが、南の山々の上には大きな雨雲が留まって動かず、激しい雨が降り続いているそうだ。
以前にも少し述べたが、弘安家の領地の発展には川の存在が大きく寄与している。
しかし川が齎すのは必ずしも恵みばかりという訳じゃない。
増水で川が氾濫すれば、田畑は泥を被ってしまい、育てている作物は駄目になるだろう。
それどころか、氾濫の規模が大きければ、人や建物を押し流す事だってあり得るのだ。
実際、領都の東の船着き場の町は、既に人々の避難が始まっているらしい。
そう、上流である山付近の雨脚が強い為、広く大きな胴川の水位も、危険な所まで上がっている。
もちろん弘安家だって領地の安全の為、長年治水工事は怠らず、川岸には高い堤を築いていた。
弘安家の領内で罪を犯した場合に課せられる労役は、専ら土を盛って胴川に堤を築く工事だという。
また納める年貢が用意できなかった村も、農閑期にこの工事に人を出せば、年貢が軽減されるんだとか。
だがそうした努力をしても尚、川を完全に制御し切る事は不可能で、今の胴川は氾濫の危機にある。
これが単なる自然現象だったら、もうどうしようもない話だ。
天に住まうという神々に、よりにもよってどうして、収穫も間近なこの時期にこんな雨を降らせたのかと、恨み言を吐くより他にない。
けれども、今、南の山々に留まり続ける雨雲は、どう考えても普通の自然現象ではありえなかった。
月影法師によると、陰の属性を強める事で雨を呼ぶ術は存在しているという。
ただ一時的ならともかく、こうも長く、それも激しく雨を降らせ続けるとなると、卓越した術者が、それも複数必要になるそうだ。
それこそ、俺の師である円行者や、月影法師並みの術者が。
術者の仕業であるならば、それは他領からの弘安家に対する攻撃、破壊工作だろうが、果たしてそれ程の術者を、敵地に送り込むような危険な任務に使うだろうか?
ただでさえ、術を扱える者は希少な存在だった。
雨を降らせる術を扱える程の術者になると、尚更である。
それを失う危険を冒してまで破壊工作をする必要があるのかは、大いに疑問だ。
川が氾濫したからといって、すぐさま弘安家が滅ぶ訳ではない。
もちろん収穫は大きく減じ、川の周辺の集落や、或いは領都にも大きな被害が出るかもしれないが、言ってしまえばそれだけである。
領内の民が飢えるなら、弘安家は軍を動かし、他の領から食料を奪ってでも、自らの領民を助けようとするだろう。
すると破壊工作をした側も、飢えた獣に襲われる事になりかねなかった。
そうなるくらいなら、同じ雨を降らすにしても、自領の水が足りぬ地域に降らせた方が、ずっと良い結果を生む。
では術者でないなら、他にあり得る可能性は何か。
それは当然、妖だ。




