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領都から東に少し行った場所には、大きな川が流れている。
この川は、上流では山から流れ出た小さな川が合流して大きな流れとなったもので、最終的には海にまで通じているという。
川はその姿から多頭の蛇に例えられ、上流の小さな川はそれぞれ一頭の川とか、二頭の川とか、そんな風に呼ばれており、合流した後、領都の付近を通る頃には胴川と呼ばれていた。
弘安家の領地の発展には川の存在が大きく寄与していて、旗印にも多頭の蛇が用いられているくらいだ。
上流の山から切り出した木は川に流して領都に届くし、海の近くで生産された塩や、獲れた魚を干した物等も、船で川を遡上して運ばれる。
また大きな川から水を引き出せるから、広い田畑で作物を育てる事もできるのだろう。
この川があるからこそ、弘安家は大領主の一つに数えられると言っても過言じゃなかった。
もちろん、代々の弘安家の当主、並びに家臣や領民の努力があっての話ではあるのだけれども。
但し蛇に例えられる事からもわかるように、時には増水によって川は氾濫を起こすので、必ずしも恵みばかりを齎す訳ではない。
領都が川のすぐ傍ではなく、少し離れた場所にあるのは、川が氾濫を起こした際の被害を減らす為の工夫だろう。
その代わりに川の傍らには船着き場と、物資の集積所を兼ねた小さな町があって、領都と町は特に広くて整備のされた道で結ばれている。
町から領都への荷運びは、領都にやって来た流れ者の定番の稼ぎ口になってるそうだ。
まぁ、要するに領都には川を使って運ばれた物資が豊富に届くって話なのだが、当たり前の話なのだけれど、広い弘安家の領地の全てが川からの恩恵を受けられる訳ではなかった。
川の流れから離れた場所にも村や町はあって、そこに生きる人がいる以上、塩等の必需品は運ばれなきゃならない。
ゆったりゆったりと歩く牛の歩みに合わせて、俺ものんびりと道を歩く。
弘安家の領内は道が広くて整備されてるから、とても歩き易い。
牛の数は全部で十五頭。
そのうち八頭が左右に一つずつの俵を、二頭が左右に二つずつの甕を、残る五頭は布束や荷袋を幾つも、背負ってる。
俵の中身は全て塩で、甕には油が、荷袋には雑貨が詰まっているそうだ。
甕の数は多くないとはいえ、油はかなりの高級品だから、そりゃあ護衛も必要だろう。
十五頭の牛は一人の行商人が管理していて、それを二人の護衛が守ってる。
その護衛の一人が、俺だった。
尤も、十五頭もの牛を一人の行商人が管理するのは大変だから、護衛とは名ばかりで、殆ど牛の移動の手助けばかりしているけれども。
目的地は視號という名の里、集落らしい。
双明寺で聞いた話によると、視號は弘安家と契約している忍びの里だそうだ。
忍びとは、幼少期から厳しい訓練を受け、忍術という特殊な技術を習得した、諜報、工作を行う者達をいう。
つまり視號の里は、諜報を司る影の専門家を育成する為の場所である。
……どうしてそんな場所の事が双明寺に知られているのか。
それは弘安家だけでなく他領の領主や、商人等が影の仕事を視號の里に依頼をするからだ。
あまり大っぴらにする事ではないけれど、里の場所まで完全に秘してしまうと依頼も来なくなる。
契約があるから、視號の里は弘安家に害をなす依頼は受けないそうだけれど、……例えば崇善家が敵対する隣領の、楊森家の兵力を調べて欲しいなんて風に依頼をしてきたなら、彼らは引き受けるのだろう。
そんな場所へ塩を売りに行こうというのだから、もしかすると牛を宥めながら歩くこの行商人も、視號の里の関係者、つまりは忍びの一員なのかもしれない。
或いは俺ではないもう一人の護衛が、そうだって可能性もなくはないか。
何しろ、そのもう一人の護衛というのは、なんと若い女なのだ。
いや、戦う女が皆無という訳ではないが、珍しいのは間違いないし、何よりも侮られ易いから行商の護衛には向いていない。
それは若造と侮られる俺の言えた義理じゃないのだが、どうして護衛の仕事が回されたのかは、疑問に思わずにはいられなかった。
その女は、恐らく鉄砲撃ちだろう。
長い筒を肩に担ぎ、弾薬包を幾つも挿した革帯を、肩から斜めに掛けている。
何より、薄く何かを塗って目立たぬようにしてあるが、顔の片頬だけがそばかすがかっているのは、彼女が幾度となく鉄砲を撃ってきた証左だ。
実際に見たのは初めてだが、鉄砲という武器や鉄砲撃ちの特徴は、師から何度も聞かされていた。
曰く鉄砲は、八洲の外から入ってきた、人を殺す事に長けた武器であると。
もちろん武器が人を殺す事に長けている道具であるのは当たり前の話である。
おおよそ殆どの武器は、その使用法の通りに使えば、人を殺せるだろう。
だが鉄砲は特に人に対して有効なのだ。
慣れれば弓よりも扱い易く、放たれた弾丸は容易に人を死に至らしめる。
そしてその代わりといっては何だが、妖に対してはあまり効果のない武器だった。
無位ならともかく、色付きの妖になると、同じ飛び道具の弓に比べて、命中しても明らかに妖へのダメージが少ない。
また一発の弾を放つのに必要な玉薬の値も、決して安くはないという。
故に有用な武器であるとは認められてはいるが、あまり広くは広まらず、好まれない武器なのだ。
逆にそんな鉄砲を使い慣れた鉄砲撃ちは、ほぼ例外なく人を殺す事に慣れ、鉄砲と同じく長けている。
だからこそ師は、俺に何度も鉄砲撃ちの特徴を教え、その脅威を説いたのだろう。
茜と名乗った女の、整った中に、どこか柔らかさを感じる顔立ちや、男に比べるとどうしたって細い腕や首を見ていると、そんな恐ろしい武器を自在に扱えるというのが、信じ難くなるけれど。
「どうしたんだい? アタシの顔に何かついてる?」
彼女こちらの視線に気付き、にっこりと笑って首を傾げた。
その拍子に、赤みがかった髪がふわりと揺れる。
師の言った鉄砲撃ちの恐ろしさなんてまるで感じさせない、綺麗で可愛らしい笑みを茜は浮かべる。
その笑みが少し照れ臭くて、俺は首を横に振って目を逸らす。
笑みの下に何があるのか見通せない彼女は、やっぱり忍びの者なんじゃないかと思いながら。




