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弘安家の領都での生活は、かなり良い形で始まった。
双明寺の老僧、月影法師の紹介のお陰で、口入屋が最初から腕っぷしを必要とする代わりの良い仕事を回してくれたから。
最近の仕事は酒肆の用心棒。
用心棒というのは実際の腕もさる事ながら、見た目の厳つさも必要だ。
だから正直、若造と侮られる俺にはあまり向いてなくて、初日は酒肆の主も任せられるのかと不安そうにしてた。
しかし実際に暴れようとした酔客を取り押さえてからは、酒肆の主も安心して仕事を任せてくれてる。
向き不向きは別として、酒肆の用心棒は面白くて良い仕事だ。
まず面白いのは、色んな人がやって来るから、見ていて飽きないところだろう。
もちろんジッと凝視してると客が落ち着いて酒を飲めないから、店の隅から、それとなく全体を眺めて観察してる。
また彼らが酒の肴に交わす話も、多岐に及んで面白い。
例えば、今そこに居る大工の客は、以前に武家町の屋敷へ屋根の修理に呼ばれ、波漸という武家から仕事ぶりを褒められたそうだ。
波漸という武家は弘安家に仕える家臣の中でも重要な位置にある為、その人柄を知れる情報というのは、多分貴重だろう。
いや、俺は別に間者でもなんでもないから、貴重な情報であっても面白いなぁ、くらいにしか思わないんだけれども。
それから、金払いが良いのはもちろん、酒肆の主は俺に賄い飯を出してくれる。
これが実に美味かった。
恐らく、酒肆の主は酒を飲む客に出す料理を作り慣れてる為、賄い飯も味が濃い。
だから最初は少しばかり驚いたんだけれど、味が濃い飯が来るとわかっていれば、その心算で楽しめる。
もし酒が飲めれば、この味の濃さをより楽しいのかもしれないが、師にはもっと年を重ねるまで酒は口にするなと言われてたから、独り立ちをした今も、その言い付けは守ってた。
酒肆の主は、俺が仕事中に酒を飲んだりしないから、実に助かるなんて言葉をよく口にする。
でも用心棒の仕事の最中に酒を飲まないのなんて、極々当たり前だと思うのだが、……もしかして、そうじゃないんだろうか?
領都は、酒肆が用心棒を必要とする事からもわかるように、治安という意味では問題もあった。
治安が悪いという訳じゃないのだが、人の数が多いだけあって、食い逃げ、飲み逃げをしようとしたり、酔って暴れるような輩も少なくはないのだ。
そういった意味では、地方の村の方が秩序はある。
何故なら、村では爪弾きにされると生きていけない為、どうしても互いに協力し合わなければならないから。
しかし妖や賊に襲われて村が皆殺しにされたり、逆に村ぐるみで追剥ぎをしてるなんて事も皆無じゃないから、あちらの方が治安がいいとは、とてもじゃないが言えはしない。
要するに、どちらにも良い面、悪い面はあるのだろう。
「おぅぃ、翔。こっちへきて、お前も加われ。いいや、俺と勝負だ。今日こそお前に勝ってやる」
のんびりと店の中を見張っていると、一つの卓から俺を呼ぶ声がする。
その卓で酒を飲んでいたのは、領都に道場を構える槍術の、千鳥流の門人達で、先程までは酔った勢いで腕相撲をして盛り上がってた。
どうやら、俺にもそこに加われって事らしい。
「紫藤のおっさん、俺、一応仕事中なんだよ?」
俺を呼ぶのは、その中でも一等偉い、紫藤という名の男で、年の頃は恐らく三十を幾つか過ぎたくらいだろう。
何でも千鳥流では、師範代って役割を任されているらしい。
当然ながらかなり腕も立つのだろうが、この酒肆で用心棒を始めた初日から、彼は何かと俺に絡んで来る。
というのも、紫藤は俺が領都にやって来た日、酒肆で酒を飲んでいた腕の立ちそうな男で、一瞬目が合っただけだったのだが、お互いに相手を覚えていたのだ。
仕事中に絡まれるのは多少困るが、実はそんなに嫌じゃない。
何故なら彼は、この酒肆を訪れる客の中でも、一、二を争うくらいに面白い男だった。
こうして、気安くおっさん呼ばわりしても、特に怒る事もないし。
「知っとるわ。だが俺とお前がおる店で、悪さをする者なんておるものかよ。酔客の相手も用心棒の仕事だろう。少しで良いからこっちへ来い」
そう言って、謎の理屈で紫藤は俺を呼ぶ。
ちらりと酒肆の主に視線をやると、苦笑いをしながら頷くので、俺は呼ばれた卓へと向かう。
紫藤はこの店の常連で、道場の門人を連れて酒を飲みに来るから、かなりの上客だ。
酒肆の主としても上客の機嫌は、なるべく取っておきたいのだろう。
「紫藤のおっさんは腕は立つけれど、腕力はそうでもないんだから、腕相撲じゃ勝負にならないって。諦めなよ」
俺はそう言いながらも袖を捲り、席に座って卓に肘を突く。
一体、どんな勝算があって、俺に挑んで来たんだろうと、少しばかりワクワクしながら。
いや、もちろん単に、酔った勢いで何も考えずに挑んで来たって可能性が、一番高くはあるんだけれども。
「馬鹿を言うな。俺の力はそこそこ強いわ。お前が馬鹿力過ぎるだけだろう。それにな、腕相撲は腕力だけじゃなくて技も重要だぞ。ほれ、今その証拠を見せてやる」
がっちりと俺の手を掴む紫藤。
確かに技は、俺よりも紫藤が上だ。
これまで、明確に技が自分より上だろうと思ったのは師だけだったから、世の中には強い人がいるもんだなぁって感心もした。
けれども俺と紫藤の腕力差を腕相撲でひっくり返せる程に、俺と紫藤の技に差があるとは思わない。
仮に腕相撲の相手が師だったら、もしかすると負けるかもしれないけれども。
そして俺と紫藤との腕相撲は、まぁ、想定通りの結果に終わった。