0日目 ③
あれから、私はことが落ち着くまで、一度家に帰ることにした。ついでに、ハールメインには家に上がってもらっていた。そして、彼がシュタインバーグが出かけてから、2時間ほど経過した頃、何やら外の様子が騒がしくなってきた。
「おや、帰ってこられたみたいですね。」
と、ハールメインはさも当然かのように、そんなことを言ってのけた。
「え、もう終わったんですか?」
「外もだいぶ騒がしくなって来ましたし、そうみたいですよ。さ、行ってみましょうか。」
と、彼は椅子から立ち上がり、カツカツと音を立てて歩き出した。その様子に困惑を感じながらも、私はドアノブを捻り、玄関の扉を開けた。
・・・・・
門の近くに戻ってみれば、先ほどとは比べ物にならないくらい人で溢れかえっていた。そして、その場にいる誰もがある一点見つめて、騒然としていた。
「何の騒ぎでしょう?」
「少し、派手にしてしまったみたいですね。」
ハールメインは起こっている状況を察したのか、苦笑する。その様子に少し胸の内がざわめいたが、それでも、気になるものは気になるので、人混みの中をかき分けて行くことにした。進むほどに、埋もれていくような感覚に陥る。押されて、つまずき、転びそうになる中を何とか進んでいく。そして、私たちは打ち寄せる人の波を押し除けながら、ようやく抜け出すことができた。
そして、絶句した…。それは確かに、この世界のちっぽけな一部でありながら、確かな存在感を放っていたはずだったのだろう。でも、私はその時、自分が見ていた世界がほんの少ししかなかったことを…。
体の至る所が貫かれていた。それによって、体の大部分が抉れている。そして、その表情は苦痛に歪んでいた。口、目、そして、その痛々しい傷口から、今もダラダラと血が流れている。その魔物は、「血熊」と呼ばれていた。その獰猛さは、森の至る所に血の水溜りを作るほどであり、それを狩るため森に入った猟師でさえ、無惨な姿で発見された。いつしかこの村では天災の名を冠し、あまり森には近づかないようにしていた。そんな悪魔が、このような姿になって、目の前に倒れていたのだ。そして、その横に立つ男の目は、やはり鉄みたいに冷たかった。
でも、一つだけ変わっていたことがある。それは目に見えるものでも、ましてや肌で感じるものでもない。それは、私の感覚でしか分からなかった。なぜか、私の体はそれ以上、彼に近づくことはできなかった。近づくことを体が拒絶した。壁なんてないはずなのに、足がすくんでしまう。そうして、その場に留まっていると、彼の方から近づいてきた。
その瞬間、私の恐怖は完全に私の心臓を貫いた。彼の狩猟圏は未だ健在だったのだ。そして、私は意志に関わらず、そこへ入ってしまったのだ。全身が強張る。それでも冷たさが肌に刺さる。首が、心臓が、腸が、冷えて冷えて仕方がない。首をずっと掴まれているようで、とめどなく恐怖が溢れてくる。それでも、彼は近づいてくる。「来るな」と思わず口からこぼれる。…おかしい。こぼれたはずの言葉が耳に届かない。私の声は発せられるどころか、口を動かすことさえできなかったのだ。ついに彼は、私の前までやってくる。その瞬間、私の喉は完全に締められた。わずかに空いた隙間から、か細い声が漏れ出す。冷たくて冷たくてどうしようもない。冷たい冷たい冷たい。
すると、彼は口を開く。
「分かったか。お前の望んだ世界にはこんな奴なんて塵にも等しく思えるような化け物で溢れかえってる。これに懲りたら、外に出ようなんて考えないことだ。」
と私の横を通り去っていく。その瞬間、私は膝から崩れ落ちた。息も絶え絶えで、肩で呼吸する。心臓の音がやけにうるさい。頭の中の考えがろくにまとまらない。そして、肩を叩かれた後、私はようやく我に返る。
「大丈夫ですか。随分と気分が優れないようですけれど。」
そう言って、私の顔を覗き込むのはハールメインだった。彼は、恐怖するどころか、私を心配しているようだ。そこで、私は確信した。私の夢は、浅はかで、ただの夢物語に過ぎなかったことを…。
これで今年出すのは最後ですね。