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1. 前編







「……?」


半ばうなされる様に眠っていた『騎士王』は人の気配に額に掻いた脂汗を拭ってからその身を緩慢に起こした。

一度身を起こすと今までの動きが偽りのようにその姿に隙はどこにもなかった。


一人で住むには広い館の中、階段を降りて玄関の門の前へと向かう。


扉を開くとそこには一人の男が立っていた。またいつから降り出したのか外は土砂降りだった。

男は『騎士王』を一目見た瞬間、何故か僅かに驚きを見せて、


「…一晩、泊めていただけませんか?」


傘も持たずにずぶ濡れだったその身を寒そうに震わせた。荷物はひと一人が入りそうな大きさの手袋が一つ。

この近辺は昔のとある事件の為にこの館しか建っていない。恐らく他に雨宿りできる場所はないだろう。


「…――」


毒の所為か、その時に何を発したか『騎士王』自身、聞こえなかった。だから替わりに首を振って男に中に入るように伝える。


「ありがとうございます」


恭しく礼をする男に脱衣所まで向かい手ごろなタオルを取って来て放り、拭けと指示を出す。やっぱり声は出てくれなかった。

そのまま踵を返して台所へと向かう。


「温かいものは……いる?」


搾り出した気力の成果か、今度は声は出てくれた。


「あ、いえ。お構いなく」


そう言いつつも体を拭く男は震えていた。


『騎士王』はヤカンに水を入れて火をつけると男のいる場所――先ほどまで眠っていたソファー、その対面へと腰を下ろした。


長い間ひとみを閉じているとそのまま開く事ができなくなりそうだったので、『騎士王』は男を見つめていた。

しばらくは黙っていたがそうするといつ意識を失いかねなかったので『騎士王』は男に話しかける事にした。

…いや、理由など何もなくて、ただ人と話をできるのがすごく久しぶりで単純に人恋しくなり話をしたかっただけかもしれない。


「どうしてこんな所に?」


一度出せたおかげか今度もまた声がスムーズに出る。


「いえ、少し道に迷ってしまって…」


男が恥ずかしそうに、視線を逸らす。

確かにこの辺りは辺境ゆえにどこも同じ景色、慣れていなければ迷ってしまう者もいた。迷った、と道を尋ねに現れたのもこの男が初めてではない。泊めてくれ、とはさすがに初めてだったが。


「それよりも…他の人は?」


「誰もいない」


物珍しそうに辺りを見回す男に端的に事実だけを伝える。

誰もいない、の『騎士王』の言葉を聞くと男は申し訳なさそうに小さく縮こまって見せた。辺境にただの一人で住んでいて、余計な事情を突っ込んで聞いてしまったと思ったのかもしれない。


互いが沈黙のまま過ぎた時、ぴーとやかんの音がした。


「…」


その音を聞いて『騎士王』はソファーから身を起こし――


「?」


「っと。…大丈夫ですか?」


よろめいた身体を男が支えていた。

一度ソファーで気が緩んだ所為で身体の自由が思った以上に利かなかったらしい。男の腕の中、それを払うのもかなり億劫だった。


「これは…すごい熱じゃないですか。それに顔色も悪いようですし」


「いえ、大丈夫…」


「そんなわけないですよっ!!」


大声を上げると男は『騎士王』をソファーに座らせて――たったそれだけの抵抗も叶わなかった――沸いたやかんの火を止めるために台所へと向かっていった。


「………」


ぼんやりとしていると、いつの間にか男が目の前で湯気の立つコップを持っていた。


「これ、薬です。身体を活性にする効果があるものでどんな症状にもある程度効果があるはずなんですが…飲めますか?」


『騎士王』がまだぼんやりと差し出された緑色の粉末を見ていると何を勘違いしたのか、男は少しだけ照れたような仕草をした。


「いや、実は僕薬学を取り扱っていましてね。実はこの近辺にもこの辺りでしか取れない薬草があるという事で来たんですよ。…まあ迷ってしまいましたが」


嗅ぐとなんともいえない香り、僅かに舌で舐め取ると実に苦かった…が、僅かに身体が火照る気がした。…勘違いなのは間違いないが。


「ありがとう。何か逆に――」


「お互い様です」


薬を受け取って一呑みする。差し出されたカップの白湯も合わせて飲み干す。すると急に眠気が襲ってきた。

その様子を見て男は微笑む。


「身体が活性になる所為か睡眠効果も少しあるんですよ。僕の事は気にせずに眠ってください。下手なものには触りませんので」


「悪いが、そうさせてもらう…」


眠気と疲労、億劫以外のなにものでもなかったがそれでも『騎士王』は、今度は男の助けを断り、独力で己の寝室までたどり着き、ベッドに倒れるようにして――意識を失った。









毒の所為か身体が火照る。だるい。だからこれは夢。





――紛う事なき悪夢。





『騎士王』は夢を見る。ぼんやりと、だがはっきりと。





「まさか噂に名高い騎士王が…巨剣を自在に操るというからてっきり巨漢かと思っていたのだが」


声が聞こえた。


目が覚める。何故なら、それは自分に対して明確な殺意を持っていたから。例えそれが僅かであれそれを見逃すほど『騎士王』の名は酔狂ではない。


「まあ、ちゃんと毒も効いて衰弱もしているようだし、薬も利いている。くくっ、何が騎士王か。疑いもせずに出されたもの飲みやがって。所詮は…」


嫌な笑い声だった。耳に障る。

だけど、あぁ、これは仕方がない。これは悪夢――あくまで夢なのだから。


「………、――よし、ちゃんと寝ているな。呼吸も問題なし。永遠の眠りになるとも知らずに、のんきな寝顔だ」


だって『騎士王』は男の言葉の通りただ眠っている。だから男の歪んだ笑みなど見えはしないし、耳に障る声が聞こえるはずもない。だからこそこれは夢なのだ。

そうではないか。もし起きているのなら――これは誰の見る光景か?


「どこを探しても聖剣は見当たらなかったが…まあ探すのはこいつを殺した後でいいか。……じゃ、騎士王さま、さよならだ」


男が手にしていた煌き――短剣が『騎士王』の胸中央に向かって真っ直ぐと振り下ろされる。

夢だとしても自分が殺される夢を見るのは気分のいいものではない。だからと言って身体が動くわけでもないが。


キンッ


金属の弾ける音。


「なっ!?」


男の驚愕。


「何でだっ、てめぇ!!」


男の叫び声。


「…分かっていた。初めから、お前この命を狙っていた事」


声。誰かの声。


「薬は? あの時ちゃんと飲んでたじゃねえかっ!?」


「薬、然り。毒もまた。聖剣が体内を浄化する」


「――ちっ」


男が切り掛かる。その剣筋は素早く鋭い。そして迷いがない。


「剣の腕は悪くはない、が――役不足だ」


一閃で男の短剣を弾く。


なにで弾いた?


男の驚愕、恐怖、憎悪に歪む顔。

斬り返しで男を袈裟切りにした。手に残る肉を切り裂く感触。


「まさか…こん、な……」


男の口から言葉が漏れる。それはいつも死ぬ直前の相手から聞く台詞。


なにで弾く?


手に残る?


手に持っていたのは――剣。一メートルを超える巨大な、そして見惚れるほど美しい剣。


そしてそれは、誰?


「っ!!」


『騎士王』の身体が僅かに震える。


夢――これは悪夢。いつまでも、永遠に続く、繰り返し人を殺す夢を見る、現実。


「おん、な…に………」


絶命。それ以上男が言葉を発する事はなかった。

『騎士王』の目の前にあるのはいつもと同じ、物言わぬ骸となった肉塊だけ。


悲鳴が、出そうになった。


――いつもの事だ。


熱いものが、喉にこみ上げてきてそれを我慢した。


――いつもの事だ。


目頭が熱くなり、それを必死に耐えた。


――いつもの事だ。


いつもの事だ。こう言った手合いがいない訳ではないし自分も知っている。

ただ今までよりも少し長い間話をして、毒で弱っていた所為でほんの少しだけ気が弱くなっていて、人が恋しかった。薬だと言って渡されたもの、それが何らかの罠である事は分かっていたがそれでも人の優しさが泣きたくなるほど嬉しかった。


それだけの事だ。いつもと何も変わりはしない。


体調はもう悪くなかった。聖剣の浄化作用か、それとも男の出した薬が本当に効果を発したのか、それは分からない。

寝室を汚してしまい、後処理をする為に部屋の出口付近まで歩いた『騎士王』は不意に立ち止まると振り返り、死体になった男を見下ろした。


「…馬鹿な、人」


今代の『騎士王』――金髪碧眼の、まだ多分に幼さを残す少女、はただそれだけを呟き、二度と振り返る事無くその場を後にした。









降ってきた透明な雫が一滴、死体の上で跳ねた。








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