7・君を置いて
かろうじて動く右腕は取られてしまい、先ほどの戦闘で左腕もすでに使い物にはならなかった。左足は無理をしたせいで取れかけている。
残っているのは何とか使えそうな右足と、未だしっかり話すことのできる丈夫なあごだけだった。だが、不思議と今までにない程、気力は満ちている。
後退も退却もない。前進し敵を屠るのみ。
ああ、これほど集中したのはいつ以来だろうか。
初陣の時でさえ、多くの仲間たちとともにあったおかげで、ここまで追い込まれたような気持ちにはならなかった。
俺の中の獣の血が騒いでいる。獲物を食い殺せと血が沸き立つ。
どちらかが動かなくなるまで終わりはない。
俺は剣の柄をしっかりくわえると、高く飛び上がった。
グライブは大きなゾンビドラゴンよりも高く飛び上がると、空中で回転しながらゾンビドラゴンの背中を滑るようにして着地する。すると、グライブが着地すると同時にゾンビドラゴンの背中から右側の翼の名残が切り落とされ、地面に落ちた。
だがゾンビドラゴンはそれを気にすることもなく大きく尻尾を横に薙いで、グライブに叩きつけようとするが、グライブはそれが分かっていたかのようにまた飛び上がると、今度はくわえた剣を振り落しながらゾンビドラゴンの尻尾を切り落とした。
忌々し気に唸るような声を喉の奥で漏らしながら、ゾンビドラゴンは大きく息を吸い込むと、グライブめがけて先ほどのように口から炎を吐き出そうとするが、グライブがゾンビドラゴンの下あごを上に弾くようにくわえた剣で叩きつける。
途中で止められた炎をゾンビドラゴンが飲み込むと、グライブは間髪入れずにくわえた剣をゾンビドラゴンの首めがけて振り下ろそうとするが、ゾンビドラゴンは首をしならせながら、グライブの左側に大きく口を開けて噛みついた。
グライブの左腕までもが食いちぎられるのではないかと息をのむ私だが、叫び声をあげたのはゾンビドラゴンのほうだった。羽の名残を切られても、腕を切り落とされても、叫ぶどころか痛みさえ感じてはいないような態度だったというのに、一体なぜ? と、私が疑問に思っていれば。
「呪いは、さぞ刺激的な味なのだろうな?」
グライブのその言葉に、私は呪いの恐ろしさを再認識させられて、思わず自分の右腕を強く握ってしまう。痛みさえ感じないはずのあのゾンビに、痛みを思い出させることのできるものなのだと。
ゾンビドラゴンはもんどりうつようにグライブから離れ、与えられた苦痛に空を仰ぎ叫んで見せた。そして、身じろぎすると、ぐるりと私のほうに向き、今度は私に向かって大きく口をあけながら走ってくる。
そんなゾンビドラゴンの姿に、私は恐怖で硬直してしまうが、ふと、そのドラゴンの頭上に人影が飛び上がるのが見えた。
眩しい太陽を背に、人影は、グライブはドラゴンよりも高く飛び上がり、木を蹴り付けるようにして方向転換すると、落ちる勢いのまま真っ直ぐゾンビドラゴンに向かってくわえた剣を振り下ろし、そのまま私とゾンビドラゴンの間に着地した。
ゾンビドラゴンの体がゆっくりと横に倒れて動かなくなり、後からどさりと、大きく口を開けたままのゾンビドラゴンの頭が地面へと落っこちてきたと思えば、グライブはおもむろに剣を杖代わりに立ち上がり、左腕で剣を持つと大きく振り上げて、ゾンビドラゴンの頭を平らな部分で思い切り叩きつけ……。
ゾンビドラゴンは、完全に動かなくなった。
そして、こちらに向き直り歩き出そうとしたはずのグライブは、左側に体が傾き、ずるりと倒れこんでしまった。
「グライブっ!?」
慌てて彼に駆け寄れば、彼の左足が膝から落っこちていて。
もうその後は、私は軽いパニックで落ち着くのにしばらくかかってしまった。
木に寄り掛かりながら、グライブは深く息を吐き出した。
やっと私が落ち着いたころ、グライブの取れた腕と足を拾って、私は何も言えずにただ彼の前に座っていることしかできなかった。
無理をして動いたためか、グライブは辛そうに呼吸をくり返し、時折せき込むと黄色い血の混ざる液体を吐き出して見せる。だというのに、私は彼の背をさすることも出来ずに、ただ彼を見つめていることしかできない自分が、歯がゆくて仕方ない。
そうして、やっとグライブが落ち着いてくるころには、日はだいぶ傾きかけていて、私は自分の唇をかみしめるくらいしかやることもなかった。
「リオ」
グライブの優しい瞳は、私を労わるように柔らかく細められる。
「うん」
グライブの言いたいことはわかっているつもりだ。
「あのね。ありがとう、グライブ」
だから、私はそう言うしかない。
私を助けてくれたこと全部に対して、その言葉しか吐き出せない自分に、悔しい気持ちが胸にあふれそうだった。
「カバンの中に黄色の丸い玉が入っている。町に着いたらハンターギルドか傭兵ギルドに行って、俺のことを知っている人物を探すんだ。その人物に黄色い玉を渡してくれ。鍵は、前と同じだといえば分かるだろう」
話すのも辛いだろうに、それでもグライブはそのまま言葉をつづける。
「君のことは、その人物が面倒を見てくれるはずだ。俺の知り合いはみんないいやつばかりだから心配しなくてもいい。それから、町に着いたら治療を、必ず医者の所に行って、腐食の森で一週間以上過ごしたことを伝えるんだ。必ずだぞ?」
彼はそう言うと、そっと私の髪をひと房掴み、グローブの上からやんわりと滑らせた。
「1度でいいから……」
そう言って、グライブの言葉は途切れ、彼の腕がゆっくりと地面におとされる。
「君が帰れることを願っている……。さぁ、まだ日は落ちていない。君は行くんだ。俺は、もう動けそうにもない。最後まで一緒に行けなくてすまない。だが、この森の最大の脅威はなくなった。だから、君は少しでも早くこの森を抜けることを考えてほしい」
グライブの言葉はきちんと分かっているつもりだ。
「明日の朝でも、いいでしょ?」
本当にこれで最後なら、こんな別れ方だけは嫌だ。
「あと1日もかからない。行くんだ」
私の甘えを断ち切るように、グライブの厳しい声は私を突き放すようで、私は子供みたいに首を横に振ってしまう。
「一晩だけ、ここに居てもいいでしょ?」
私のせいで、腕も足も取れちゃって、無理して動かしただけでも辛いはずなのに、ゾンビドラゴンとまで戦って、それなのに、最後の別れを惜しむ暇さえくれないというのだ。
謝ったりはしない。謝るのはなんか違うとおもうから、だけど、感謝だったら、いくらでもしていいでしょ? たった一晩だけ、明日の朝には、グライブの言う通りに進むから。
「お願い」
私はグライブのローブの裾を持ち、下を向いた。これで最後なら、なおさら最後くらいきちんとさよならをしたい。
「リオ、どれだけ時間を作ろうと、別れというのは寂しいものだ。一緒に居る時間が増えれば、それだけ離れ難くなる。だが、君には目的があるはずだ。いや、目的ができたはずだろう? それなら、今は立ち止まるときではないと、俺は思うぞ」
怒るでもなく、突き放すでもない、言い聞かせるような彼の言葉に、私は顔を上げて彼の瞳を見つめた。
相変わらず太陽を思わせるきらめきはそこにあって。
「最後のときを君と過ごせたことは、幸福だった。本当に嬉しかった。ありがとう、リオ」
その言葉はただ暖かくて、私は何も言えずに泣くしかなかった。
この人と離れたくない。まだ、一緒に居たい。できることなら、彼を残していきたくない。彼が私の知らないところで、1人で死んでいくなんて、考えただけでも胸が苦しくなる。
どうしてこんな出会い方だったのだろうと、思わずにはいられなかった。どうして、とくり返し自問しても、答えは出ないまま。
「行くんだ。振り返らずに」
私は、涙を止める時間すらもらえず、彼に急かされて立ち上がる。
行くよ。帰りたいから。
私は涙をぬぐって彼に背を向けた。
だけど、こんな気持ちを抱えたまま、自分の家に帰るなんて、出来るはずないじゃないか。
だって、私は、あなたのこと……。
私は彼の言う通り、一度も振り返ることなく真っ直ぐに森を進んだ。
私にできることは、彼のために進むことだ。自分のために、帰り道を探すことだ。だけど、このままサヨナラなんて、できるはずない。このまま、彼が一人でいなくなるなんて、許せるはずない。
何をどうしたらいいかなんてわからない。だけど、彼のために、私にできることはきっとあるはずだ。
私はただひたすらに、一秒でも早く町に行くことだけを考えて、森を歩き続けた。
夜になり、教えられたとおりに火を熾し、私は一人、膝を抱えて爆ぜる焚火を見つめていた。
彼と過ごした時間が私の胸にたくさんの思いを募らせる。彼の温かい背中が恋しくなる。得体のしれない異世界に、訳の分からない腐敗した森、そんな場所で1人でいるのは、正直にいって怖いと思う。
だけどそんな怖いなかでも、グライブのおかげで私は安心して眠ることができていたのだ。だから1人になったとたんに、緊張や恐怖、孤独や寂しさに私は疲れているのに眠れなくなっていた。
そして考えてしまうのはグライブのことばかりだった。
(グライブ……)
今は何を考えているのだろうか。苦しかったり辛かったりしないだろうか。動けない今、彼は襲われたりしないのだろうか。などなど、そして、もっと彼にいろいろ聞いておくんだったと言う、後悔のようなものも感じている。
彼の好きなこと、嫌いなこと、友人との思い出、家族との思い出ももっと聞いてみたかった。旅をしていたのなら、この世界のことも詳しく聞けたかもしれない。私の世界のことだって、もっとたくさん教えてあげたかった。そんなことばかりが思い浮かんで、私の心を重くしていく。
だから、彼をあんな風にしてしまった人たちが憎らしく、彼に何もしてあげられない自分がとても嫌になってくる。
そして、何か別のことを考えようとしても、思い浮かぶのは彼のことばかりだ。
そして、彼の呪いのことを考えてしまう。
呪いを解く方法、そんなものが現実に存在しているというなら、動けない彼に代わって私が探してもいいのかもしれない。そんなことを思ってしまう。
きっと彼の友人たちが探していないはずがない。それは容易に想像できるけど、でも、私にしかできないことがあるかもしれない。
聞くだけ、探すだけ、自分が納得できるまで方法を探るのは悪いことじゃないようにも思う。
だって自分の家に帰る方法を、自分の途切れた記憶を探る方法を探そうと思っているのだから、一緒に『奇跡の水』について探しても、何らおかしいことはないのではないかと、そう思った。
何よりもこのまま何もしないで、彼のことを忘れて、自分のことだけ考えるなんて、私にはどうしてもできそうにもないのだ。
自己満足でもいい、彼のために何かしたい。そう言う目的が一緒に追加されたら、私はもっと前向きに前に進める気がするのだ。
彼をおいて逃げる情けない自分を、少しは正当化できるかもしれない。
私は空を見上げて月を仰ぐ。
(グライブにも、同じ月が見えてる?)
離れてまだ半日もたっていないのに、あの太陽のような瞳が恋しくて仕方なかった。
私はグライブの言う通りひたすらに森を進んでいた。
腐食の森を抜けた後、彼の言う通りに葉っぱの一つもついていない真っ黒い木だけが生える森にたどり着き、私はカバンから聖水を一本取り出してそれを飲み、黒い森を進む。
黒い森は黒一色と言ってもいいほどに、地面には草も生えておらず、こげ茶色の土に真っ黒の木だけがうっそうと突き立っている。だけど、腐敗の森よりは視界が開けているのはありがたかったし、それこそ生物の気配は薄く、虫を見たり、腐食の森に向かうゾンビっぽい鳥を見かける程度で、地面の歩きやすさから進み具合は腐食の森よりずっと楽だった。
空だけは清々しいほど晴れわたり、腐食の森を抜けて初めて、私は肌寒さを感じていた。天気は良くて晴れているのに肌寒い。と言うことは、季節があるとするなら秋の終わりか冬の初めくらいだろうか?
腐食の森と言うだけあって、腐食したガスなどのせいで暑かったのかもしれない。そう思った。何しろ今のところ、あの森についての詳しい事情を聞ける人なんていないのだから、私の想像の域を出はしないのだ。
分からないことだらけで不安も感じる。だけど、グライブのおかげで私は前に進むことができている。彼のくれたカバンもそうだ。これのおかげで何とかなっている。あとはひたすら進むしかない。
私は黙々と前に進み続ける。
1人で進むのは、自分で考えるよりも辛いものだということを知るには、十分すぎる孤独だったと思う。グライブは『旅暮らしが性に合っていた』なんて言っていたけど、私にはちょっと無理かもしれないな。なんて、歩きながら苦笑いが漏れた。
私って、自分で思っているよりも寂しがり屋なのかもしれない。そんなことを考えながら、黒い森の終わりを目指した。
そうして歩き続ければ終わりと言うのも見えてくるもので、黒い森を抜けるのに3日と少しかかり、通常の、私が知っているだろう普通の森に入った頃には4日目が終わろうとしていた。
グライブが事前に準備してくれていた水の入った革袋から水を鍋に少し入れて、教えてもらった通りに火を熾しお茶を準備してそれを飲む。
暖かい火と飲み物のおかげで冷えた体はすぐに温まってくれる。
(どうか、無事でいて)
そう思いながら、仮眠をとって朝方に目を覚ますと、私はまた歩きはじめる。そうして、さらに4日ほど過ぎた昼頃、私はやっとの思いで街道らしき場所に出た。
コンクリートで舗装されているわけはないが、明らかに人や馬車などが通るだろう広い土の道が真っ直ぐに南から北に向かって――逆かもしれないが――伸びている。だが、私はいったいどっち方面に向かえばいいのか分からなくて、疲れもあって私は道の端っこに腰を下ろして休むことにした。
最悪、どちらにしろ道を進めば町には着くはずだ。そう思って、休憩の間に馬車が通らないかと少し待ってみることにしたのだ。
街道は穏やかな午後の空気が満ちていた。あの森の空気とは違い、さわやかで清々しい。
そうしてしばらくぼうっと空を眺めていれば、何やら音が聞こえて北側の道のほうに顔を向ける。すると、大きな荷馬車を引く馬がこちらに近付いてくるのが見えて、私は急いで立ち上がった。
角の生えた大きなアルパカのような動物が2頭、大きな荷馬車を引いてのんびりと歩いてくる。荷馬車の前には御者らしき人が動物の手綱を握っている姿も見える。そして、その馬車の周りには4人ほどのいかつい男性が荷馬車を守るように歩いている。
多分、あの荷馬車がグライブの言う商人の馬車かもしれない。そう思って、私は荷馬車が十分に近付いてくるのをまってから、思い切って声をかけた。
「あのっ!」
私が声をかけたことで一瞬、いかつい男4人がキツクこちらを睨んだように見えたが、荷馬車を操っていた御者は、ゆっくりと私の近くで荷馬車を止めて、人の好さそうな笑みで。
「はい。なにか?」
そう答えてくれた。
どうやら話は聞いてくれるみたいだ。そう思って少し安心した私は。
「商人さんですか?」
そう問いかけてみた。
御者らしい男は大きなとがった耳ととがった鼻に眼鏡をかけた、かわいらしい風貌で、丸いターバンのような帽子をちょこんと摘み上げると。
「ええ、ブルーミンク商会のプレミと申します」
そう言って軽く会釈して見せる。
わりと友好的な態度のプレミさんに、私のほうの緊張もだいぶ和らいだ。
「えっと、実は何か食料を売っていただけないかと思って、声をかけたんですけど」
私がそう言うと、プレミさんは「なるほど」と、納得したように頷いて、軽やかに馬車から降りた。そのおかげか初めて気が付いたが、プレミさんは随分小さい人のようで、身長は私の腰あたりまでしかなかった。
「わたくしが運んでいるのは主に衣類関係でして、食料があると言いましても大量ではないのですが、少しくらいならお分けできると思いますよ」
そう言いながら、プレミさんは荷馬車の後ろに回り、荷台から大きな麻袋を取り出して、袋の口を大きく広げた。
その袋の中にはたくさんの食糧が入っていて、その量から考えるに、プレミさんとその護衛の人たちの物なんだろうと簡単に答えにはいきついた。
「町までもてばいいので、たくさんはいらないのですけど……」
と私が言うと、プレミさんはにこやかに顔を向けて「さようですか」と、何度か頷いて見せる。
「町までと言うと、アデューラの町ですね。ここからだと歩きで3日ほどですか。でしたら3日分ほどあればよろしいですかね?」
「えっと、実は町の方向が分かってないんですけど」
と、ちょっと申し訳なく思いながらそう答えると、プレミさんは「おや?」と言って、首をかしげて見せるが。
「ああ、もしかして。稀人のおかたですか?」
なんて、何でもないことのように聞かれ。
「らしいです」
私はそう答えるしかなく、小さくうなずいて見せる。
「なるほど! それでは、町の場所などは分からないですね。ふむふむ、もしよろしければわたくしどもと町まで行かれますか?」
「え?」
「わたくしどもも、これからアデューラまで向かう途中でして、こうして出会えたのも何かのご縁、神の囁きがお導きくださったのかもしれませんからね」
そう言ってプレミさんは人の好さそうな顔で笑った。むしろプレミさんの申し出は、こっちからすればありがたいことこの上なく、私は素直に頭を下げた。
「ありがとうございます。助かります」
グライブといい、プレミさんといい、優しい人たちだと思う。異世界に来て何も分からない私に、親切にしてくれる。そう言う人たちに出会えたことを深く、誰にするでもなく私は感謝していた。
余談ではあるが、プレミさんから今は冬の初め頃で、薄着では寒いだろうとコートをもらってしまった。さすがにタダでもらうわけにはいかないからと、グライブの言う通り金貨を一枚渡した。
プレミさんは最初こそ少し戸惑っていたようだったけど、町まで一緒に行ってくれるお礼も含めてますといえば、快く受け取ってくれたので私も少しだけほっとしてしまった。