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6・獣の咆哮


 狼の獣人たちは『月』と密接にかかわる種族だといわれている。その中でも『ホワイト・ログ・ウルフ』たちは、月の女神に最も愛されている種族だという。だからこそ、彼らの体は月の光で染めたような白銀の色をしているのだと。

 そんな彼らの中でグライブの与えられた『闇夜の月』と言う呼び名は、厳格なる夜の女神の寵愛を受けていると言われるほどに、褒め称えられた名前であった。

 だが、厳格であるがゆえに、どれほど自分が愛してやまない子供であろうとも、罪には罰を与えるのだと、誰もが夜の女神を恐れ、そして敬うのであった。

 だが、愛してやまない我が子なればこそ、彼に囁かずにはいられないのだと、誰かが言った。

 どれだけの罪を犯そうと、女神は厳格であると同時に、昼の女神と同じように優しい方なのだと。

 どれだけ長い月日がかかろうとも、女神が彼の狼を見捨てることは決してないのだと。



6・獣の咆哮



 早朝、日の出の少し前から私たちは早々に歩き始めていた。

 それと言うのも。


「静かすぎる」


 と言うグライブの言葉が、出発を速めたのだ。

 確かに、彼の言う通り少し静かな気もする。だけど、そうやって静けさに気持ちごと強張ってしまうのは、彼の言葉に必要以上に私が緊張してしまっているせいかもしれない。あんな恐ろしいゾンビドラゴンを見た後だから、余計にそう感じるだけかもしれないけど。

 歩き始めてしばらくすれば日も昇り始め、薄暗かった森の中もだいぶ明るくなっていた。歩くこと自体はだいぶ慣れてきたように思うけど、こんなに毎日、しかも1日中歩くことは初めてだから、微妙な疲れが足だけではなく全身に重くのしかかるように私の動きを鈍くしているような気がしている。

 それなりに急いで私の前を歩くグライブは、それでも時折、振り返っては私を気にかけてくれていた。もちろん『大丈夫か?』という気遣いの言葉も忘れない。そんな彼の気遣いに感謝しつつ、私は『まだ大丈夫』と答え、休憩はあまりとらずに前に歩を進めていた。もう少しで森を抜けるはずだと言うのもあるのだけど、グライブの緊張感が私にまで伝染しているのか、あまりのんびりしているのはよくない気がしていたから。





 まだ不気味な森の終わりは見えない。

 緊張感に足を速めた一日が、もうすぐ終わろうとしていた。彼の見立て通りなら、明日にはこの森を抜けられるだろう。

 あまり休憩も取れない一日だったせいか、私はグライブと話しをしていた途中で居眠りを始めて、そのまま眠ってしまっていた。彼と居られる時間も残り少ないというのに。

 私はふと目が覚めて、すっかり眠ってしまっていたのだと顔を上げてグライブを探す。

 パチパチと木が爆ぜる音に目を向ければ、グライブがこちらに背を向けて座っているのを見つけた。

 そっと彼に近づいて、その背に触れ、耳を当てる。穏やかな心音は私を安心させてくれる。

 彼の背中は暖かくて、私の中にある寂しさや孤独を優しく慰めてくれる気がした。

 弱りきった私には、ダメな意味で心地よすぎてどうしようもなく怖くなる。だって、この温もりを、もうすぐ手放さないといけないのだ。

 そんな恐怖と不安に、私は耐えられるのだろうか。

 これはただの『依存』でしかない。それでも――。


「ずっとここに居たい」


 自分の中の怯えた感情に耐えられないのだ。恐怖に飲み込まれそうな私の全てが、何とか立ち止まらずに進めるのは、彼がそばに居てくれたからだ。

 だけど、そんなこと言えるはずがない。

 私は生きたいし、帰りたい。


「そばに、居てやれなくてすまない」


 寝ているものだと思ったグライブが、私の小さなつぶやきにそう答えてくれた。


「起した?」


 そう私が聞けば、彼はフフッと笑った。


「実は、この体になってから、俺は眠ることができないんだ」


 そう返されて、私は途端に恥ずかしさでいたたまれなくなり、身もだえてしまった。

 つまり、前の時も、その前の時も、彼が起きていたということなのだから。


「言ってよっ!」


 恥ずかしいっ!


「言わないほうがいいかと思ったんだが」


「じゃあ最後まで言わないでよっ! もう、ほんっとう、恥ずかしいっ!」


 そんな私の必至な訴えに、グライブはやはりおかしそうに笑っていた。笑い事じゃないんだから、もう。弱く情けない自分の姿を誰かに見られるのは、一番、恥ずかしいものなのだ。


「大丈夫だ。弱音も涙も、リオが見せたくないモノは全部ここに置いて行くといい」


 グライブはそう言うと、私の方に顔を向け。


「君の秘密は全部、俺が持っていってしまうから」


 そう言うと、柔らかく目を細めて見せた。

 そんな彼の瞳に、私の心臓が今までで一番大きく胸をたたいた。

 自分のほほが熱くなるのを感じる。暑くて汗もジワリと滲む。胸が、まるでマラソンでもしたかのように早鐘を打つ。なんだ、これ?


「しらない」


 あまりにも恥ずかしくて、グライブの瞳から逃げるように、私は彼のローブを掴み顔を隠した。

 これ、こんな気持ち。覚えはあるけど、まさか? まさかそんなはず。

 私は戸惑いと緊張で頭が真っ白になった。もうその後は、グライブから逃げるように寝たふりをするしか逃げ道はなくなってしまったのだ。

 ありえない。なんで今、この瞬間なのだろうと。自問しても答えなんて出るはずもない。ありえなさすぎる。自分の感情や頭がおかしいのではないかと、自分を疑いたくなる。だって、彼は……





 気付けば朝になっていた。寝ていたような気もするし、ずっと何かを考えていたような気もする。よく分からないが、グライブに起されて、もう朝なの? と、なぜか愕然としてしまった。


「今日中には腐敗の森を抜けられるはずだ」


 グライブは火の後始末をしながらそう言って、私に振り返る。


「もう少しだ。頑張ってくれ、リオ」


「大丈夫」


 もちろん頑張るつもりだ。最後まで頑張りたいと思う。だけど……いや、今は考えるのはやめよう。今は、目先の目標を確実に消化していくことが大事だ。

 私は自分に前に進むことだけ考えろと、自分の感情を奮い立たせるように立ち上がった。

 日はすっかり昇っていて、森の中は明るい。グライブの言う通り、きっと今日中にはこの森を抜けるだろう。それは、グライブとの別れも近いということを、嫌でも私に理解させる。

 どういう別れ方をしたとしても、きっと私は納得なんてできないだろうことも、自分で分かっていた。

 たった一週間の出来事だ。それだというのに何年もの時間が経ったような感覚がするのは、きっと実際の時間よりも濃密な彼とのやり取りのせいだと思うのだ。そして、そのことが私に二の足を踏ませているのだと思う。

 グライブと言うひとの優しさや気遣い、そして、その真面目さや誠実さが、私にそう思わせているのだ。

 荷物をまとめ、彼との最後の歩みが始まると、私は確実に、一歩進むたびに、心にモヤのようなものが降り積もるのを感じていた。

 彼の罪は、本当にこんな苦しみや孤独を背をわされないといけないほどに重いものなのか。

 悪いことをすれば罰があるのは仕方ないと思う。誰が決めたにせよ、法律や規律とは守るためにあるもので、どんな事情があったとしても、罰はなくてはいけない。そのための決まり事だ。

 だが、そこには事情を考慮することがあってもいいのではないかと思うのだ。

 グライブの犯した罪が軽いものだとは言わない。事情を考慮するといっても、人によっては『たかが恋』と眉を顰められることかもしれないし、騙されたグライブにも問題があったと思う。でも、100年以上も昔の話だ。彼は十分に苦しんだのでは? もう許してあげてもいいのではないかと、どうしても考えてしまう。

 彼はもともと人がよすぎるのだ。よく言えば純粋だった。だから、心のどこかで『嘘だ』と分かっていても、想うひとのために信じて、そして動いてしまった。

 その感情が悪いことだとはだれも言えないはずだ。私のこの感情自体が、そもそも私の独りよがりと言えばそうかもしれないけど。


「呪いを解く方法はあるんだよね?」


 私の前を歩くグライブに、私はそう声をかけた。


「あるらしいとは、聞いたな」


 辺りを警戒しながらグライブは何でもないことのように答える。


「どうすればいいの?」


 さらにそう聞き返せば、グライブは足を止めて私に振り返り。


「詳しくは分からない。ただ『奇跡の水』と呼ばれる何かがあるという話は聞いている」


 そう言って考えるようなしぐさを見せた。


「奇跡の水? 水っていうくらいだから、飲み物?」


「水であるのは確からしいが、他のことは何も。昔、知り合ったエルフに聞いただけなんだが、彼は水の存在は教えてくれたが、作り方や入手の方法などは教えてくれなかったんだ」


「なんで?」


「さあ、それも分からない。ただ、彼も知らなかったからかもしれないし、俺に教えても作れないからと思ったのかもしれない。あの時は首を横に振られただけだったから、俺には彼の真意はわからないな」


「なに、それ」


 教えること自体が無駄だといいたかったのか? そう聞くと、途端に私は嫌な気分が心の隅にわいてくる。


「別に教えたくないというわけではなかったと思う。もしその気がないなら、はじめから『知らない』と答えたほうが早い」


「そ……。そう言われればそうかも」


「その水は『神の許し』とも呼ばれているらしい。その呼び名が示す通り神が許しを与えてくれるというのなら、簡単に教えることはできなかったんだろうな。俺も自分なりに探してはみたが、見つけることはできなかった」


「そう、なんだ……」


 雲をつかむような話だと思った。それはそうだろう。そんな簡単に見つかるくらいなら、グライブは今頃ここにいるはずもない。


「リオ――」


 そう、グライブが私を呼び、何かを言いかけたとき、グライブの右手が私の胸を強く押した。

 その衝撃は強く、息が止まるかと思うほどで、私の体は後方に飛ばされて――。


「ゲホッ! グ、グライブ?」


 何事かと私が顔を上げたとほぼ同時に、巨大な黒い影が上空から飛び降りてきて、私を突き飛ばしたであろうグライブの右腕が空に飛んでいた。


(な、に……?)


 そして、黒い影が身じろいだと思えば、グライブは背負っていた剣を盾代わりに構えた姿のまま、私のほうへと飛ばされてくると、彼はそのまま地面を滑るように倒れこんだ。

 何が起きているのか、私の頭が追いついてこない。

 私は倒れているグライブに近付こうと手を伸ばしかけるが。


「来るなっ」


 怒鳴るようなグライブの声に、私の動きがびくりと止まる。

 グライブは自分の剣を杖のようにしてその場にゆっくりと立ち上がり、私に背を向けたまま巨大な黒い影に顔を向ける。

 そこには、アイツがいた。


「ゾンビドラゴン……」


 巨大な体をゆっくりとこちらに向け、ぽっかりと穴の空いた両目で私たちをとらえると、空気を震わせる程の大きな鳴き声を上げた。


「――リオ!」


 一瞬、頭の中が真っ白になった私を、グライブの声が現実に引き戻す。


「あ、うん」


 どう答えるのが正解なのか分からない。

 そうやって私が呆けてる間にも、ゾンビドラゴンはグライブに牙を向き、威嚇するように唸っていて、グライブはそのバケモノに剣を向けて構えたまま、両者は睨み合っている。


「立てるか?」


 そうグライブに聞かれて、私は立ち上がろうと膝に力を籠める。手も足も震えていて、情けないくらいに力が入らない。


「だ、ダメみたい」


 おかしくもないのに私の口が笑みの形を作っていた。キャパオーバー一歩手前なのかもしれない。だって、あんな近くに、あんな、バケモノがいるのに、平気なはずない。怖い。


「リオ、落ち着いて立ち上がるんだ」


 グライブの言葉が無意味に私の耳を通り過ぎる。


(落ち着く? どうやって?)


 立ち上がろうとするけど、足が滑ってうまく立ち上がれない。

 私がそうしてもたもたとしている間に、ゾンビドラゴンはまた一声上げたと思えば、グライブに向かって右腕を振り下ろした。

 ガキンっ! と言う、金属の重たい音が森に響く。

 グライブはゾンビドラゴンの爪を適切なタイミングで受け流し、ゾンビドラゴンはすかさず左腕も振り下ろすが、グライブはそれも器用に受け流して、ゾンビドラゴンの左腕を切り付けた。

 だけどゾンビドラゴンは痛みを感じないのか、次いで首を持ち上げたかと思えば、グライブに噛みつこうと大きく口を開け、勢いよく頭を振り下ろしてくる。

 だが、そんなゾンビドラゴンの顔面左側を剣の腹ではじくように叩き返し、ゾンビドラゴンの大きな頭が大きく右にズレた。そのせいでゾンビドラゴンは3歩後ろに後ずさる。そして、忌々しそうに低くうなりながら、ゾンビドラゴンはまた一歩、グライブに近付いた。

 ふと、私の視線は私とグライブの間にある地面にむく。

 そこには、最初の攻撃でゾンビドラゴンに落とされたグライブの腕が落ちていた。片腕で、彼は今戦っているのだ。

 なおも続く攻防。ドラゴンの攻撃をグライブは器用ともいえる剣さばきで全てを受け流している。大きく鋭い爪は、時折グライブのローブをちぎりながら地面に穴をあけ、ゾンビドラゴンの力の強さを容易に想像させた。それをいとも容易くいなすグライブの技術がすごいのか、私には分からない。

 それは、見ているこちらが恐ろしくなるほどに緊迫していて、グライブの集中力の強靭さもうかがえた。

 一歩も動くことなく、目で追えないほどに早いゾンビドラゴンの動きを完璧に読んで……。


(あ、違う……)


 片目しかない彼が、ゾンビドラゴンの動きを完璧に見切れるはずがない。しかも、ゾンビドラゴンの攻撃を全て受け流しているのだって、彼が動かないからではなく、動けないからだ。

 だって、もう。戦える体じゃない。


(私の、せい?)


 手足が震えて立つことさえできない私を守るため?

 立たなければ、ここから、逃げなきゃ、グライブが動けないっ。

 私は振るえる自分の両足を思い切り叩いた。痛い。痛みを感じる。動ける。

 私はその場に立ち上がり、大きく息を吸ってから吐き出す。


「グライブっ」


 そう私が叫ぶと同時ぐらいに、ゾンビドラゴンの右腕が振り下ろされる。

 だが今度は受け流すことなく体を横にずらすように動いたグライブは、爪をよけて大きく剣を振り上げると、ゾンビドラゴンの右前足に真っすぐ振り下ろした。

 迷いなく振り下ろされた剣は、ゾンビドラゴンの腕を切り落とし、大きな腕が地面に落ちると、腕を切り落とされたゾンビドラゴンは、そのままの勢いで前のめりに地面へと倒れこみ、地面を揺らす。


「逃げるぞっ!」


 ゾンビドラゴンが倒れると同時に、グライブはそう叫んでこちらに向かって走ってくるので、私も急いで駆け出そうとした。

 だけど、グライブは途中でガクリと地面に膝をついてしまう。


「グライブ?」


「こんな時に――俺のことはいい。君は大回りしてとにかく森を抜けるんだっ」


「そ、そんな事いっても」


 どうするのが正しいかなんて、もうわからないのだ。


「俺は大丈夫だ」


 穏やかな彼のその声に、私は何も考えられなくなる。

 大丈夫? どこが? 何が大丈夫だというのだろうか?

 だけど、のんびり考えている暇もくれないのか、ゾンビドラゴンがこちらに大きく口を開けているのが見えた。

 声を出すでもなく、ただ大きく……その瞬間、私はグライブに向かって駆け出していた。

 大丈夫なことなんてひとつもない。私のことも、グライブのことも。


「なっ……!」


 グライブが言葉を発する前に、私は体ごとグライブに突っ込み、彼とともに転がって木に体が当たって止まり、グライブがいたあたりに炎が真っ直ぐ走ったのが見えた。

 ドラゴンブレスと言うのが正しいかは分からないけど、そんなことだろうと思ったわ。

 だけど、安心したのも束の間、私は焼けるような痛みに自分の右腕を押さえようとして、グライブに腕を掴まれ阻止された。


「触るなっ! すぐ洗い流すんだっ!」


 見れば、私の右腕は肘辺りから膿のような黄色と赤い液体の混ざる何かが付着していて、それが私に耐えがたい痛みを与えている。どうやら、うっかり彼の肌に触れてしまったらしい。

 私は急いでカバンの中から聖水を3本取り出し、急いで腕に聖水をかけた。すると、腕に張り付いていた液体が面白いくらいに綺麗に取れる。だけど、液体のついていた場所はまるで火傷をしたかのように真っ赤になっていて、皮膚も少し焦げている。つまり、これが……呪いが移るということなのだろう。

 そして、これがグライブの全身を襲う呪いの痛みなのだろうと、私は胸が詰まるような思いがした。


「なんて無茶をしたんだ」


 そんなグライブの悲しそうな声に、その瞳に、可哀そうなことをしてしまったと言う思いもあったけど。


「体が勝手に動いちゃった」


 なんて、笑ってしまうしかなかった。


「まったく……」


 そう言って、フッと悲しそうに笑いながら、グライブは私に背を向ける。

 私が余計なことをしてしまったせいで、逃げる時間は無くなってしまった。すでにゾンビドラゴンは立ち上がり、こちらを向いている。


「逃がしては、くれそうにないな」


 グライブはそう言うと、左足を引きずりながらゾンビドラゴンへと近づいていく。


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