17・新居
ドクがグライブに『退院してよし!』と宣言してから3日が経ち、早いもので私がこの世界に来てから1年が経とうとしていた。季節でいえば秋の終わり『実りの後頃』で、丁度、明日から『霜降りの初頃』に変わる。
グライブのリハビリも終わり、体力、筋力共にグライブが納得できるまで回復できたし、ドクからも退院してもいいと言われたので、私とグライブはこれからのことについて話をしなくてはいけないのだが。
「まず何よりも拠点は必要でしょっ!」
と、モニカさん――ジェリエルさんの奥さん――が、グライブに提案してくれて、私とグライブは早速、朝食を食べた後、アデューラの町の近くにあるガラスの森と呼ばれる場所に向かっていた。
ガラスの森とは、その名の示す通り、木々や草花がガラスか氷で出来ているような森だ。アデューラの町のすぐ目の前――徒歩約5分――の場所にあって、森とはいうもののそれほど広くもなく、森の中央にある小さな湖を中心に、半径数百メートル程度の、どちらかと言うと『林』と言うほうが正しいような規模のものだ。
ガラスの森とは呼ばれているが、実際は水晶らしく、湖のそこにある魔石から溶け出ているある種の魔力と、何かしらの成分が森の一部を変えてしまっているのだとか。
まあ、そんな不思議な森の話はいったん脇にどけといて。
モニカさんが紹介してくれた家と言うのが、このガラスの森の入り口近くにあり、それなりに大きな庭がある、立派な一階建ての石レンガ造りの建物だった。ちなみに、木造ではない理由だが、木造建築にすると、湖の底にある魔石の影響をもろに受けてしまい、家が透明な水晶になってしまうからと言うことらしい。
全部が透明になってしまうと、確かにプライバシー何もあったものではない。
「あれ? と言うことは、家具なんかも木材質のものは使えないんじゃ……」
と疑問を口にする私に、モニカさんは。
「それは大丈夫! 床に石を使って、その上にフローリングを貼ってるから問題ない、みたい。直接、地面に触れなきゃいいってことなんでしょうね」
と答えてくれた。
ちなみに、エルディース夫妻が新居を探していた際に、候補の一つとして上がっていた場所でもあるらしい。追記として、旦那さんのジェリエルさんは後から私たちに合流するらしい。
「勝手に中を見ても大丈夫なのか?」
と言うグライブの言葉に、モニカさんは笑顔でポケットからカギを取り出した。
「許可はもらってるから大丈夫! うちが今の家に引っ越す時にもお世話なってるひとだし、ドクとか黒い騎士団のユーデスの友人ってだけで、向こうは二つ返事だったからね!」
王国騎士団の団長様の信頼度半端ないよねぇ~! と、モニカさんは大らかに笑いつつ、鍵を使って建物の中に入っていく。私とグライブもそれに倣って室内に足を踏み入れた。
外から見ても割と広い印象を受けたが、中に入ると予想を裏切らない広さだった。壁や床には木の板がしっかり貼られていて、温かみのある雰囲気だったし、窓から見える外側のガラスの森はとても涼し気で悪くないと思えた。
玄関から入り廊下を進んでリビング。リビングは12畳ほどの広さがあり、広めのキッチンとセットになっていて、部屋の奥にはまた扉が見える。その扉を抜けるとまた廊下になっていて、廊下を左に曲がると、突き当りになっていて、廊下はそこからさらに右側に続いている。
そして廊下の突き当りの左側に扉が一つあり、扉を開けると洗面台と脱衣所があり、左側に広いお風呂があって、今はさすがにお湯は張っていないが、魔石を取り付けることで24時間、一年中でも好きな突起にお風呂に入れるような造りになっているらしい。ちなみに、トイレは脱衣所を挟んだお風呂の向かい側になる。
さらに右側に続く廊下を進めばさらに扉が2枚並んでいて、そこはそれなりの広さがある個室が2個あった。使い方は住んだ人が決めるものだろうけど、片方は寝室、片方は書斎やら仕事部屋にも出来そうだ。
ざっと見た限りでは天井も高く、全部の部屋が広めの造りをしているおかげで、背の大きなグライブにも問題なく使えそうに見えた。
町から徒歩5分で、広くてお風呂付。家賃はお高そうだが、悪くないのではないだろうかと、室内を一通り見た後でリビングに集まった私たちは、グライブへと視線を向けた。私やモニカさんがよいと思っても、結局、住むのはグライブなのだから、決めるのはグライブなのだ。
「悪くはないな。町から近いと言うのは魅力的だ」
グライブのその言葉に、彼も好印象を持ったことがうかがえる。
「でっしょ~! 私の時は金銭的にちょっと余裕がなくてやめたけど、グライブは相当ため込んでるんだし、いけるっしょ?」
なんて、モニカさんはキャッキャと嬉しそうに家を勧めていて、グライブは「うーん」と少し悩んでいる様子を見せた。
「悩ましいところだな」
グライブはそう言うと、少し難しい顔を見せた。
「何か気になることでもあった?」
そう私が聞き返せば、グライブは私に顔を向けて少しだけ困ったように笑うと。
「正直に言えば、俺一人なら家を持つ必要もないと思っていたんだ。まだ自分の足で動けるし、これからも旅をしながら生きていこうとも思っていたからな。ただ、そう言う生活は、君には辛いだろう? すぐに家に帰れるかもわからないなら、どうしても落ち着ける場所は必要だ。だから、リオさえ気に入ればこの家に決めてもいいのだが……」
そんな彼の物言いに、私の方が驚きで言葉に詰まってしまう。
だって、いつ居なくなるかもわからない私のために、家を借りようだなんて……。そう思ったら、そんなことはしなくてもいいと、それに、グライブと一緒なら、しばらく旅をする生活だって大丈夫だと。そう私は伝えようと思った。だけど、私がそう言葉を吐く前に、グライブは続けて。
「リオがこのままドクの元で生活をしたいのであればそれでもいいし、もし1人で暮らしたいのであれば個人用の集合住宅で暮らしてもかまわない。面倒な手続きなどは俺たちがやってやれるし、何も気にしないで大丈夫だ。やはりなぁ。俺と一緒に暮らすとなると、その、いろいろ気を使ってしまうだろう? 特に君は女性なのだし……」
そう言って、少しだけ眉間にしわを寄せるグライブに、私は今、吐き出そうとした言葉を飲み込んでしまった。
えっと、グライブの家を探すって話ではなくて、私と一緒に暮らす家を探してるってこと? そう、私の頭の理解が追いつくと同時に、私は自分の両ほほに熱が集まるのが分かった。
まさか、異世界に来てモフモフ獣人の、しかも割と好みの、ぶっちゃけ恋した相手と、恋人でもないのに同棲っ⁉ こ、こんなことが許されていいのかっ!
お、落ち着け自分。冷静によく考えるんだ。
だって、これはチャンスでは? だってだって、誰にも咎められることなく、大好きなひとと1つ屋根の下で一緒に暮らせるということは、寝起きも、お風呂も、食事だって、急に部屋を訪ねたって大丈夫ってことでは⁉
邪なことしか考えてないなこいつと思ったであろう誰かに問おうではないか。
大好きなひとと一緒に居られると聞いて、拒否する理由がどこにあるのかと!
「リオ? 希望があるならきちんと言ってくれて――」
「何にも問題ないからっ! グライブと一緒に暮らすのっ! 全然っ! この家すごく素敵だし! グライブと一緒にいる!」
私はグライブの言葉を遮るように一気にまくし立ててしまった。そんな私の勢いに、グライブは目を丸くし、モニカさんは必死に笑いを耐えるようにお腹を抱えて体を震わせていて、途端に、食いつきすぎな自分の反応に恥ずかしさを覚えてしまう。
「やだっ! リオ、素直すぎっ! そういうとこ好きだわ~! ほらっ! リオはグライブと一緒に居たいってっ!」
そうモニカさんがグライブの横っ腹あたりを肘で小突くと、グライブは何度か瞬きをして見せた後、小さく『クスクス』と笑ってみせる。
「リオが嫌ではないならいいんだ。では、ここに決めよか」
グライブは微笑を浮かべたまま私に顔を向けて、私がしっかりと頷いて見せると、グライブはにっこりと笑みを深めて見せる。
本当に、もう。ただただ、グライブがかっこよすっぎて辛い。
その後、引っ越しは意外とスムーズに終わった。
結局グライブの友人たちがなんだかんだと手伝ってくれて、引っ越しの苦労も特には感じなかったし、足りない家具――そもそもあの家には家具が全くなかった――などを買い足し、お世話になったドクにお礼を言いつつ、私とグライブの新たな『住処』が出来上がったというわけだ。
これから寒さもまた厳しくなっていくので、リビングに暖炉を作る計画もあったりするのだけど、そのことについては、アーケイさんに一任しているので、まあ大丈夫だろうとのこと。
何と言うか、アーケイさんって鍛冶師では? とは思ったのだけど、グライブ曰く。
「ドワーフに任せれば大概の物は作ってくれる」
らしい。ドワーフってすごい。
スムーズに引っ越しができたとは言っても、リフォームやら家の買い取り手続きやら、家具入れなど、諸々と片付け、全てが終わる頃にはひと月が経ち、グライブと2人きりの生活がスタートしたのだ。
だけどさすがに、私も一年以上も生活しているおかげで、この世界にもすっかり慣れてきて、私とグライブの役割のようなものもすぐにできた。
基本的に働きに出てくれるのはグライブで、家事全般が私の仕事になっている。とは言っても、グライブは仕事のない時は家事を手伝ってくれるし、私に出来ることがあればグライブの仕事を手伝うこともあった。私の手伝えることはそれほど多くはないのだけど。
リビングに新しく取り付けられた暖炉に火を入れて、暖炉の前に置いた大きな三人掛けのソファーに、私とグライブは寄り添うように座りながら暖かい飲み物――カナッシュと言う木の実を使ったホットミルクのような飲み物だ。ナッツの香ばしい香りが心地よく、これに糖蜜などを入れて飲むのが一般的らしい――を飲みながら、他愛ない話をしていた。
「――それにしても、この家って買い取りしかやってなかったんだね。私は借りるものだとばかり思ってた」
私がそう言ってグライブを見上げれば、グライブはそっと私の頬に顔を近づけてきて。
「借りてもよかったんだが、毎月の家賃を払うほうが面倒だと思ってな。俺の場合、仕事でうっかり遠出をして家賃を払い忘れてしまいそうだと思ったんだ。だったら、いっそのこと買ってしまったほうが楽だろ?」
なんて言いながら、グライブは口先を私の頬に摺り寄せていた。
何と言うか、くすぐったいうえに、ちょっと恥ずかしいのだけど、この、ちょっと過剰なスキンシップが嫌いではない私は、結局、彼のしたい様にさせてしまっている。
むしろ、私がかなりの頻度で彼に抱き着く回数も増えてる気がするし。
「楽って言うのは分かるけどね。『じゃあ買おう!』って言って、すぐに買えちゃうところがなんかすごい」
グライブって、私が思うよりずっとお金持ってる感じだ。
「俺の場合は旅をして回っていたからな。必要最低限のお金しか持ち歩かなかったし、手持ちで足りなくなれば、ギルドに行って仕事をもらうほうが早かったんだ。それに、長生きすれば小銭でも積もり積もって大金に変わるだろ?」
グライブがそう言って笑うが、1回の仕事で彼がもらえる金額なんて、ちょっと私には想像できない。だって、伝説の傭兵なんて誰かに噂されてしまうようなひとなのだし。そう思って、彼の顔を改めて見上げる。
私と目が合うと、彼の瞳は優しく細められて、大きな彼の手は私の頬を優しき撫でてきた。
少しの沈黙の後、静かな声で。
「君とこうして過ごせる時間は、もうあまりないのだろうな」
そう言って、どこか寂しそうにグライブは笑う。
そんな風に言われてしまうと、途端に私まで寂しさを感じて、私は彼の体に抱き着いた。
ずっと一緒に居るとは言えなくて、さよならを言うには不確定なことが多すぎて、私には彼へ返す言葉を見つけられない。
「春になったら、新緑の大森林を目指そう。きっと長い旅になる」
彼の低く心地よい声が体から響いて私に伝わる。
「しっかり準備なくちゃね」
私は努めて明るくそう答えた。
それは、彼と一緒に居られる最後の時間だ。
帰れるかもわからない。記憶を取り戻せるかも分からない。帰れない可能性だってゼロではない。だけど、私の心の中で確実に『迷い』があるのも事実で、本当に帰りたいと思っているのか。自分でも分からなくなってきているのだ。
家族や友人に会いたい。会いたくないなんて決して思わない。私は家族や友人たちを心から愛している。それは嘘じゃない。
だけど同じくらいグライブを1人にしたくない。そうも思っている。
彼のそばは心地良すぎて、非常に離れ難く、私を甘やかす彼にも問題は大ありなのだが。
「リオ、雪だ」
彼の言葉に、窓へと視線を向けると、確かに小さな白い塊が、ちらちらと降り始めていた。
春になったら……か。そう改めて考えると、私の口から自然とため息が漏れる。グライブの決めた期限は残りひと月とちょっとだ。
「積もるかな?」
私はカップをテーブルに置くとソファーから立ち上がって窓に近付いた。
窓ガラスに触れるとすっかり外気にさらされてガラスはとても冷たい。
「そうだな……この調子だと、明日まで降るようなら積もりそうだな」
私の後を追うようにグライブが私の後ろに立って、窓の外を見上げて言った。
「こっちの雪だるまって、どういう感じ? 私のところと同じかしら?」
そう言ってグライブを見上げれば、グライブは一瞬考えるようなしぐさを見せた後。
「小さい雪だるまや雪ウサギを作る子供はいるな」
グライブはそう言いながら、彼の片手で収まるほどの大きさを表現してみせる。それは、私が考えているものよりも随分小さくて、私は自分の腰くらいまでを手で測りながら。
「えっと、私のところだと、雪だるまって言えば、これくらいのやつかな?」
そう教えれば、グライブは少しだけ難しい顔で。
「その大きさになると、妖精やジンが憑依したりするからな。こちらの世界では30センチを超えるような大きさの雪だるまは作らないように子供たちに教えるんだ」
「くっ付くものが不穏すぎるんですけど」
妖精はいいとして、ジンって、もうそれイタズラされるの大前提よね?
「はははっ! そうだな。どうしても大きい雪だるまが作りたかったら、保護魔法をかけて悪霊が雪玉に憑依しないようにしなくてはいけない。一応はそのための簡素な護符が売っていたりするぞ?」
「遊ぶのもある意味、命懸けだよね」
異世界の子供って逞しいってことかしらね。
「大きな雪だるまが作りたいなら、俺が保護魔法をかけてやれるぞ?」
グライブがそう言って私の顔をのぞき込んでくる。その瞳にはどこかイタズラっぽい光が見えて、私はそんな彼の瞳にニヤリと笑い返していた。
「じゃあ、どっちが大きい雪だるまを作れるか競争ね?」
なんて、私が挑発してやれば、グライブはおかしそうに肩を揺らし。
「さて、勝負と言うからには、何かを賭けなくては面白くないな。どうする?」
と、さらに私を挑発するような言葉を吐き出した。
もちろん、私が最初に吹っ掛けたのだから、とことんまで乗る所存。ここで引いたら何にも面白くない。
「そうだなぁ。負けたほうが勝ったほうのお願い事を一つ聞いてあげるって言うのはどう? ド定番ではあるけど」
そんな私の提案に、グライブは快く頷いて見せる。
「かまわない。願い事は先に決めておくか? それとも後にするか?」
「どっちでもいいけど、先に決めておこうか」
「ああ。じゃあ、君が先にどうぞ」
「言い出しっぺの法則。そうだなぁ。え~っと……じゃあ、グライブの手料理!」
「分かった。ホワイト・ログ・ウルフ族が祝いの席で出す『祝賀料理』を振舞うよ」
「なにそれっ! すごく楽しみなんですけどっ! じゃあグライブは?」
「そうだな……。俺は全身のブラッシングでも頼むか」
「全身?」
「全身」
全身って、足もお腹も? おしりとか、あ、ヤバイっ! 変なこと想像したっ!
「顔が赤いぞ。リオ」
「全然、変なこと考えてないからねっ⁉」
その生暖かい目で笑うのやめてっ!
「ふふっ。頼むのは頭と背中と尻尾くらいだから、安心してくれ」
「足とかお腹とか胸とかもちゃんとやってあげるし!」
別に『全身』と言う単語から危ない想像をしたわけじゃないからっ! いや、ちょっとはしたけど……でも、本気でそんなことをグライブがやらせるとは考えてないからっ! って、私はいったい誰に言い訳をしているのだろうか?
「それは楽しみだ」
そう言うと、グライブは言葉通りの楽しそうな顔で笑って見せる。
明日、雪が積もったらグライブと遊ぶのだ。きっと雪が積もらなくても、グライブと出かけたり、一緒に森に木の実やらを取りに行くかもしれない。
グライブと一緒なら、どこに行ってもきっと楽しいに違いない。根拠はないけど、私はそう確信していた。
彼と過ごせる日々は残り少なく、だからと言って慌てて予定を詰め込むのは違うと思うし、滑るように日々を過ごすのはもったいないと私は思うのだ。
どうせなら、もっと濃密な時間を。彼と過ごした最初の1週間のように、短い時間の中でももっと凝縮された時間を過ごしたい。
私はきっと、彼と初めて出会ったあの日から最後の瞬間まで、ずっと、私がこの命を終えるその時まで忘れることはないだろうし、きっと忘れられないだろうと思う。
そう言った忘れられない日々を、残された時間をいっぱい使ってグライブと作っていきたい。そう思っている。
そして、私のただのワガママでしかないけど、もう少しだけゆっくりと、春が来ることを願ってやまない。
新居での何でもない思い出の1ページが追加された。そんなある冬の日の話。