始まりの夢
「今日はご機嫌だねイム。」
藁造りの簡易テントのような家の中。背負う赤子をあやし、笑顔でハクアはそう呟いた。
雨が降っているのか、時折屋根からは雫が落ちてくる。
「久々の雨で助かるねぇ?」
ハクアは、赤子であるイムに語りかけるように言いながら、半分くらいに溜まった桶を眺める。
どうして水が漏れ出さないのか不思議なほどに古びた桶。彼女達はそんな物でさえ、無くては暮らしていく事ができない。
親はいない。苦しい生活の中、小さな手で弟の面倒もみなくてはいけない。
しかし、それでもハクアは満足していた。イムさえいれば、それで良いと。
実際二人は幸せだった。
その日までは。
「ハクアちゃーん! 死んでるの?」
明朝。甲高い声で目を覚ます。
ハクアを呼ぶ声。聞き覚えのある声だ。しかし、逆を言えば、そのぐらいの認識の人からの呼び出しの音。
少々の不安を抱きながらもハクアは、はーいと返事をして家の出入り口から外へ出る。
「おはよう、ハクアちゃん。」
同じ集落のおばさんだ。確か。
ハクアは黙ったまま首を傾げる。露骨に嫌そうだ。
「何か身体に異変ってなぁい?」
変わらずおばさんはニマニマと笑いながら話しかけてくる。今まで私達に無干渉を貫いてきた人々だ。笑う顔さえ見たことがないのでもとよりこういう笑い方なのしれないが、正直不気味だった。
「見てわかりませんか?」
ハクアは吐き捨てるようにそう言うと、家の中へ戻った。
そしてそれから、ようやく考える。
質問の意味がわからない。
身体の異変?
流行り病でもあって私を心配してのことだろうか。
いや、ありえない。河川が氾濫した時も、大地が割れた時も。彼らは私達に見向きもしなかった。
では毒でも盛られたのだろうか。
まだ、私は元気そうだ。
……変なことを考え不安になったハクアは、イムの様子を伺う。
スヤスヤと眠っている。同じく元気そうだ。
どうでもいい。いつもなら忘れてしまうような。取るに足らない。そんな質問。
しかし、その日だけで十度。同じような質問をされた。
「身体に異変などは。」
その日の最後にやってきたのは、気怠そうな兵士。
国の外れにある集落の、さらに外れ。こんな場所では滅多に見ない人だ。
聞き慣れない鉄の擦れる音が外から聞こえた時には、思わずイムを隠してしまった。
「ちょっと、気分が悪いです。」
疲れと緊張からだろうが実際そうであったので、嘘偽りなくそう言うと、兵士は興味無さげに一言だけ。
「そうですか。」といい去って行った。
ハクアは大きめの溜息をついた。
何度も何度も、訳のわからない事を聞かれて、嫌気がさすのも無理はない。
今日は早めにイムを寝かしつけ、自らも休もう。
そんな事を考えていた時だ。
「無知で幼稚な君達に、いま世界で起きている事を話してあげよう。」
ゆったりとした口調でそう語りながら、ハクアよりもひとまわり幼い子供が家の中央に現れた。
いつからそこに居たのかもわからない。実は初めからこの家に住んでいたのかもしれない。そう思うほど、今起きたあり得ない事象をハクアは受け入れていた。
「それぞれの国を統べる王達が次から次と老いて、死んでいる。世代交代の時だ。」
では、
ひと呼吸おいてから子供は、ハクアの方を横目で見る。
そこのおまえ。次の王は誰だと思う?
投げかけられた問いで、たった今まで呆然と話を聞いていたハクアの口がおもむろに動き出す。
「王様の子供とか、親しい人とか。……わからない、けど。ずっと一緒にいた人だと思う。」
その答えに、子供はアハハとわざとらしく笑うと。首を大きく横にふる。
「違う違う。前の王との関係なんてどうでもいいんだ。要は力があればいい。人々が神と崇める力が。」
そして、
「それを継ぐのは選ばれし子達だ。その子を、皆が血眼になって探している。」
それを聞いて。ハクアはようやく昼間、何度もされた質問の意図を理解した。理解して、今起きている不思議な体験を想って。胸がざわつくようすだった。
でも、きっと私達には関係のない話だ。
そう、自らに言い聞かせる。
「すぐにわかる。」
突然家の中央に現れた子供は、全てを見透かしているかのような眼で。
やっぱりなんの前触れもなく、突然いなくなってしまった。
「待って!」
そう伸ばしたハクアの右手は、家の天井へと向かっていた。
あちらこちらから、日の光がもれ出てきている。いつの間にか外は明るくなっているようだ。
横を見るとイムが寝転んでおり、当のハクアも寝そべった体勢で力無く手を上げている。
行き場の失ったその手をそのまま自らの額へと下ろし、考える。
夢、だったのだろうか。
鮮明に浮かぶ先程までの光景と、やけにうるさい胸の鼓動が、それを夢と思わせなかった。
何とも耐え難い不安感に襲われ、それを少しでも抑えようとハクアはイムの顔を見る。
それとほぼ同時に息を呑んだ。
「嘘だ。」
か細い声を落とす。
それは、先の夢でみた。
すべてを見透かす瞳であった。