思い出
勝負は勝ったり負けたりだ。
それは、アンナレストこと西条アカネの口癖である。
ラックラックと初めてあった時から言っており、ラックラックが知らない時から言っている。
とある企業の社長令嬢として生を受けた彼女は、その身分に相応しいだけの教養と立居振る舞いを備えていた。
決して楽しい事ばかりとはいえず、むしろ辛い事の方が多かったものの、彼女はそれを苦と思った事はない。自らが世界で最も恵まれている人間である事は疑う余地もなく、それに相応しい行動を取らなくてはならないと常に自分に言い聞かせていた。
習い事の忙しさも、人間関係の煩わしさも、全ては恵まれた人間が追うべき責務であると、幼いながらも本当にそう思って生きてきたのだ。
しかし、事はアカネの12歳の誕生日に起きる。
家族団欒のプライベートジェットの中は、アカネが心から安心できる数少ない憩いの場の中の一つだ。
心を許せる相手の他には誰もおらず、この時だけは社長令嬢ではなく西条アカネになれる気がしていた。
だが、その日だけは気を許すべきではなかったのだ。
信頼すべき人間しかいないはずの機内で、唯一注意しなくてはならない存在。
自動操縦AIの不具合によって、このプライベートジェットは富士の山奥に墜落する事となった。
この事はニュースでも大きく取り上げられ、動画サイトを漁れば事故現場の様子を詳しく知る事ができる。
近年稀に見るAIの不具合という事で大きな話題となったこの事件で、アカネは全てを失った。
優しかった両親。信頼できる使用人。莫大な財産。
そして、両脚の自由。
社長の後釜には、叔父が就く事になった。
これ幸いとアカネから全てを奪い取ったその男は、今でもこの世で最も高い場所からアカネを見下ろしている。
形だけの保護者としてアカネを飼い殺しにし、適当な年齢となればどこかの誰かと見合いでもさせるつもりだろう。
毎月振り込まれる申し訳程度の生活費を眺めるアカネの気持ちなど、何も考えてはいない。
勝ったり、負けたり。
これまでの天井なしの幸せが、同じだけの不幸として押し寄せたのだ。少なくとも、アカネ自身はそう思っている。
雀の涙のような生活費で安アパートを借り、呼びつけられれば名前も知らない相手への挨拶に付き添う日々。
金がない事よりも、脚が動かない事よりも、プライドを酷く傷つけられていた。
だからである。
勝ち続ける存在などというものが、どうしても許せなかった。
運などという不確かなものの存在を謳い、何の説明もなく勝ち続ける。それは、アンナの人生を覆す悪徳に他ならない。
アカネの人生上に現れた、あってはならない障壁。それがチャンピオン・カナタだ。
これを挫かない事には、自分は進む事ができない。
アカネは、そう見定めている。
◆
(……寝てたか)
懐かしい夢を見た。
あの日、人生で一番辛かった日の夢だ。
決して、後悔しているわけではない。
アカネには何一つ落ち度などなく、悔やむ事など何もないのだ。
そして何より、今の生活が気に入っている。
仲間に囲まれ、好きに遊び、勝ったり負けたりする。
このうちの何一つとして与えられたものではなく、自らが自らのために用意しているものなのだ。
ともすれば、かつてよりも遥かに自由で楽しいかもしれない。
だが、一つだけ譲れないものがあったのだ。
「もう少し、進めたいな……」
つきっぱなしになっていた旧世代のコンピュータに向き直り、作業の続きを始める。
背中の骨がパキパキといった。お尻の肉がそろそろ痛い。
もう、どれだけ同じような事をしているだろうか。
目が痛くなるほど同じ画面を見続けて、頭が痛くなるほど同じようなものを作り続けて、体が痛くなるほど同じ場所に座り続けている。
だが、こればかりは譲る事ができないものだ。
決して外部に漏れないように、自分一人で作らなくてはならない。
それも、苦労して作ったと悟られてはならないのだ。
ごく当たり前に、簡単に、容易く造れたのだと思われなくてはならない。
そうなれば、ログイン時間は削れない。いつもの通りに同じ事をして、それでいて作ってしまわなくてはならないのだ。
これ以外は、全て終了した。
あとは、これを作るだけで勝てる。
52にも及ぶ作業は、ようやく半ばといったところだ。
(今日は、あと少し……)
緑とオレンジのマダラ模様が並ぶ画面は、見ているだけで目に染みる。うっすらと涙が出て、間もなく二回目の眠りが訪れようとしている事を感じた。
あと少し。いつもそう言いながら、一時間でも二時間でもそうしている。
それ程に、重要であった。少なくとも彼女にとっては。
勝利の策は、用意してある。
相手が例えチャンピオンであろうとも、充分に期待できる勝利である。
幸運、豪運、強運。
そんなものは存在しないのだという証明のために、アカネは全力で策を弄している。
たかだかそんな程度のために、自分の全てを投げ出してもいいとすら思っている。
(勝ったり、負けたりだから……)
だからこそ、勝てると信じているのだ。
次は、『勝ったり』の番であるはずなのだから。




