カジノ
篠原愛生の日常は、結局のところそこまで大きく変わらない。
ゴールドラッシュを始める前と同じように友人と遊び、友人と勝負する前と同じようにゴールドラッシュを行う。
かつての生活より随分と忙しいが、しかし充実している事も事実である。元々趣味というものを持っていなかった愛生は、この忙しない生活を楽しいとすら思っていた。
そして、この日も友人と学校帰りに遊んだ後である。
かつてならばキャラクタメイキングの仕事に当てていた時間は、そっくりそのままゴールドラッシュにログインする時間となった。
そして今、愛生は——ラックラックはカジノにいる。
見慣れた、居慣れた、通い慣れたカジノ。
言うまでもなく、ライラックショットである。
「ああ、ハクアさんこんばんは」
「こんばんは、ラックさん。今日はどうされましたか?」
ホールを見回るハクアを見つけ、ラックラックは声を掛ける。
決して関わりの多いわけではない二人だが、若い女性同士という共通点があるだけ他の従業員よりもはるかに話しやすい相手ではあった。
「今日はアンナちゃん居ないのかしら?」
「オーナーは……確か、カラスと話があるそうなのでいらっしゃると思います」
「ふぅん、じゃあいつもの部屋で待たせてもらうね」
カラスと話し。
近頃、アンナはカラスや外部協力者とよく話し込んでいるらしい。
これは、かねてより聞くアンナの目的に関わるものなのだろう。ラックラックは未だにその詳細を知らないが、何やら重要な事なのだろうという事は察せられる。少なくとも、アンナにとっては何ものにも代えられないのだという気迫を感じる。
たった一つだけ不満があるとすれば、その話をする時はラックラックを避けるようにしているという点だ。
聞かされているのは、ほんの一部。このライラックショットを、ゴールドラッシュ随一の大店にする事であるが、それが何のためなのかはイマイチ判然としない。
(頼りないのかな……)
落ち込んでいた。
今のラックラックは、落ち込んでいたのだ。
ゲーム内の知り合いには誰にも話した事のない、友人への敗北。このゲームを経験している自分が、一般の中学生になど負けるはずがないという傲りがまねいた結果である。
あまりにも情けなく、不甲斐なく、だらしない。
表には出さないまでも、ラックラックは自信を失ってしまったのだ。
及び腰。尻込み。萎縮。二の足を踏み、常に弱気になっている。
とてもではないが、勝負をしようという心持ちではない。ラックラック自身ですら、そう思えるほどに。
だから、今日はここに来たのだ。
誰にも来ると言っていなかった、本来くる予定ではなかった日にだ。唐突に思いつき、簡潔に形作り、迅速にまとめ上げた。現状の打破を目的とした、一世一代の決断である。
そのために、アンナに用があった。
ラックラックが知る中でこのゲーム最大のギャンブラーであるアンナレストに対して、自らの考えを明かしたかったのだ。
それ自体が逃げ腰であるのではないかという考えもありながら、しかし背中を押して欲しかった。いい考えだと、是非そうするべきだと。
今まさに折れてしまいそうなラックラックにとって、その一言が必要に思えた。そうすれば、どうにか歩く事ができるのではないかと。
何も変わっていないのだ。かつて、オーガリィというプレイヤーに敗北した時から。
だからこそ、変わりたいと願っている。
「こ、困りますお客様……!」
「……?」
今にもため息を吐きそうな顔で歩くラックラックの背後から、つい先ほど別れたハクアの声が響く。『Staff only』の札が掛けられた扉のノブに手を掛け、ライラックショットの喧騒に背を向け、それでもそこで足を止めた。
「おいおい、この店は挑戦者歓迎って聞いてるぜ!」
「いや、そのような事は……」
ない、とは言い切れない。オーナーであるアンナの性格上、いかにも言いそうな事だ。
賭博中毒者。破滅主義者。そうとしか言えない趣向を持つ彼女の口にならば、なるほど似合いすぎるというほどよく似合う。
そして、そんな事を言っておきながらスタッフに言い忘れているという事も充分にあり得る。
トクン、と。
ラックラックの胸が鳴った。
恐れたのだろうか、慄いたのだろうか。確かに、それもあるだろう。
腹立たしかったのだろうか、苛立たしがったのだろうか。確かに、それもあるだろう。
しかし、本質はその限りではないと思えた。
「現在、オーナーも支配人も外しておりまして……」
「関係ねえよ! だったらアンタが相手しな!」
「……ハクアさん」
思わず、話し掛けてしまった。
腹立たしく、それでいて恐ろしく、にも拘らず口を挟んだ。男は訝しげにラックラックの事を見下し、ハクアは不安げに見つめる。この空気は胸骨の内側を握られるかのように不快でありながら、ラックラックには引き下がるつもりなどなかった。
「私が、お相手しましょうか」
「ああ? なんだテメェ」
突如として現れた少女に対して、男の反応は酷く高圧的だ。今にも噛みつきそうな、握り潰しそうな、そんな雰囲気がありありと感じられる。
来ているジャケットは随分と派手な色であり、格好からしてもう威圧的であった。
表示されたプレイヤーネームは、そのまま『男』。『ああああ』なんかも珍しくないネットゲームならば、こんなふざけた名前も特別おかしなものとも言えない。
重要なのは、この『男』が勝負をしに来ているという点だ。
しかし、そうでありながら、ラックラックは引き下がらない。
「どうやら相手に不足していらっしゃるようなので、私ならばその暇を潰すお手伝いができるかと」
「ラックさん、それは……」
ハクアが、不安そうな顔を向ける。言葉の意味を理解しているからだ。
店への挑戦に対する、相手である。その意味するところは、すなわちこのライラックショットを賭けた勝負をおいて他にない。支配人であるカラスを差し置いて、オーナーであるアンナレストを差し置いて、決してあってはならない事態である。
しかし、その重大な局面にあって、ラックラックは引き下がる気などなかった。
縮み上がるほど恐れていながら、彼女は全く別の感覚を覚えているのだ。
それは、言うなれば高鳴り。
もしも負ければ、取り返しがつかない。一歩も引けない勝負。
今までの、アンナにおんぶと抱っこだったぬるま湯のように優しいギャンブルとはまるで違う、より本質に近い勝負である。
誰に頼る事もない、誰に縋る事もない、純然とした実力勝負。
もしもアンナに相談したあとでは、二度と訪れる事はないかもしれない危機的状況。
それこそが、最も望ましい事なのではないだろうか。
自らにとって、最も必要とすべき事なのではないか。
そう思うと、もう止められない。
だから、ラックラックは歩み出るのだ。
「アンタが相手をしてくれるって? そういう事でいいんだよな?」
「はい、お望みとあらば」
不安そうなハクアを努めて無視し、歪みそうになる笑顔を取り繕う。
ラックラックは、未だに何も変わっていない。しかし、まだ変わっていない事と、これからもそのままでいる事の間には天と地ほどの違いがあるのだ。
これは、サナギの背に浮かぶ一筋のヒビ割れである。
【本編と関係ない話するコーナー】
『プレイヤー 男』
本名は風間アツシ。29歳。独身。
高圧的で物事を深く考えない性格なので、職場ではトラブルが絶えない。
ゴールドラッシュによくいる賭博中毒者で、ライラックショットへの挑戦も面白そうだから来た。
『男』という名前は適当に付けたわけではなく、プレイヤーネームを決める際の項目を性別の入力かと勘違いしたためである。ゲームが始まってから気が付いたが、深く考えないのでどうでもいいかとそのままプレイしている。
小学3年から中学を卒業するまで近所の空手教室に通っていた。不真面目だが体格がいいのでそれなりの成績を収めていたが、次第にそれだけでは勝てなくなったため辞めてしまった。
ただ、今でもたまにジムに通って肉体維持は続けている。




