ハーツ 決着
初めは、むしろ楽しくすらあった。
ダックラック——かつてオーガリィと名乗っていた男が、オズの協力者となってイカサマゲームを行うのは、実は初めてではない。
彼が組織に出した負債を免除する条件として出されたのが、この下働きだったのだ。
かつてのように、弱者を食い物にする行為。
本質的にあの頃から全く変わっていないオーガリィにとっては、やはり楽しくて仕方のないものだった。
そうしていくつものカジノを荒らし、ほんのわずかな分前を恵まれる日々。二束三文の端金ではあるものの、オーガリィは満足していた。
なにより、命が助かっているのだから。
しかし、今日は入るカジノを間違った。
入った瞬間に別人と間違われ、控室なる場所に通されてしまった。
どうしたものか分からずにオズへと連絡し、あれよあれよという間にこのような事態となっているのだ。
オーガリィは、今年に入って三度目の後悔をする。
一度目は組織に借金を作った時。
二度目はアンナに負けた時。
そして三度目は、奇しくも二度目と同じように、アンナに敗北を期した今であった。
◆
シュートザ・サン
そのラウンドの全てのトリックを獲得した場合、その獲得したプレイヤーに与えられるボーナスである。
獲得してしまったペナルティは全てなくなり、代わりとしてそれ以外のプレイヤーに対して−52ポイントの得点を与える。
それが、本来のシュートザ・サンである。
「な、納得できるか! 何だこれは!」
ダックラックが、抗議の声を上げる。
当然だ。なにせ、アンナはシュートザ・サンの条件を満たしていないのだから。
「何故シュートザ・サンが達成された事になるんだ!」
「ははは、お客さん無茶苦茶言ってもらっちゃ困るよ」
アンナは笑う。
小馬鹿にしたように、得意げに。
「ちゃんとルールに書いてあるでしょう? 『自分が参加している内の全てのトリックを獲得したプレイヤーは、そのラウンド中に獲得したポイントを全て無効として、それ以外の全てのプレイヤーに−52ポイントの得点を与える。』ってさ。何もおかしな事はないよ」
「……してやられたな。私の負けだ」
オズですら、この結果に異はないようだった。
「な、何を言って……」
ダックラックは言いかけ、そして気がつく。
それはかつて、オーガリィが行った事と非常によく似ているのだ。
そもそも、このゲームはハーツという名前ではあるが、だからといって現実に存在するハーツと同じルールである必要はない。
全く同じ名前で、非常に似通ったルールで、それでいて細部が異なっていようと、それが問題となる事はない。予めルールを開示している以上、反論の余地など全くないのだ。
「そう、『チュートリアル』って名前の、チュートリアルじゃあないゲームがあったって良いように。『ハーツ』って名前の、ハーツじゃあないゲームがあったって良いじゃあないか」
「……っ!」
つまり、このゲームにおける『シュートザ・サン』は、『シュートザ・ムーン』の上位に位置するルールではないのだ。
『自分が参加している内の全てのトリック』とは、『そのラウンドの全てのトリック』とは意味を違える。実際にアンナが行ったように、正しく参加している間のトリック全てという事だ。
アンナはカラスと交代して参加したため、参加したのは最後のトリックのみ。つまり、最後のトリックを取るだけで条件が達成される。
つまり、オズは自らが獲得したペナルティカードに加え、シュートザ・サンによる−52点も獲得する事になる。その合計は、−66点。絶対の安全圏にいたと思いきや、瞬く間に敗北である。
初めから、カラスの目的はこれであった。
オズを−48点まで追い込む事、最後のトリックを取れるようにしておく事、それまでは相手を油断させておく事。そもそもからして、自分のみでの勝利など考えてはいなかったのだ。
アンナは偶然現れたのではなく、ゲーム前にメッセージを飛ばしていた。わざわざ自分がオズの不正を見破った事を得意げに語ったのも、時間を稼ぐために他ならない。
想定外の苦戦を強いられてしまったために焦りはしたものの、充分に目的は達成された。掌の上で踊らされていたのは、オズの方だったというわけだ。
「交代を認めるべきではなかったな……」
スペードのQを獲得した時点で、ハーツでの敗北は覆らなかった。ならば、やはり自らは下手を踏んだのだろう。
オズはそんな風に思い……
「いや、そうでもないかな」
……しかし、あっさりと否定される。
「どういう事だ……?」
「いやぁ、別に、どっちでも変わらないって話だよ」
肩を竦め、首を傾げ、目を細める。オズには、そんな態度を取るアンナが年相応の少女に見えた。
先程まで強大な力を持つと思われたアンナが、十代の少女に相応しい無邪気さを感じさせたのだ。
「……罠が一個なわけないじゃん」
「…………」
囁くように、悪戯を成功させた少女のように……いや、事実その通りである。
なるほどそれならば、あの態度にも納得できよう。
すなわち、別のゲームにも罠を仕掛けているのだ。アンナが用意した全てのゲームは、あらゆる方法によってアンナが勝利するように仕掛けられている。
どちらに転ぼうと勝利する事ができるのなら、飄々とした態度で対応する事も可能だろう。アンナはオズの行動を促す必要などなく、ただ余裕ぶっていただけなのだから。
「なるほど……完敗だ……」
侮っていたのだ、そのつもりがなくとも。
もっと、上手いやり方が存在したはずだ。例えば点数が−48点を下回らなければ、不正がバレなければ、カラスの手を看破していれば、充分に勝機はあった。
完璧では、なかったはずなのだ。
しかし、その不完全な策に嵌り、勝ちを逃した。確かに勝ち目はあったのかもしれないが、オズはそんな事に気が付きもしなかった。
不完全でありながら、完全な敗北。何よりも明確な、力の差を見せつけられたのだ。
「んで、こっちが勝ったら何があるわけ?」
「あー……そういえば何も考えていなかったな」
そもそも、負ける気などなかったのだ。考えるまでもないと思っていた。
「じゃあさ、ちょこっとお願いしてもいいかな? 別に変な事は言わないよ」
「……負けた手前、断る事などできようはずもない」
その言葉に満足したのか、アンナは口角を上げる。
「ここじゃあ困る。奥の部屋にご案内しようか。カラス一緒に来て」
「御意ぃ〜」
跳ねる様に歩くアンナに続き、オズとカラスがホールを後にする。ハクアはその場に残り、いつもの仕事に戻った。
あるいは、この時が始まりだったのかもしれない。
アンナの目的の大詰め。そのための布石。
もっと前から始まっていたのかもしれないが、しかしこの場こそが始動である事に疑いはない。
しばらくのち、ライラックショットに響いた驚愕の声が、まさかのちにゴールドラッシュを揺るがすものの一端など、誰一人思いもよらない事だろう。




