ハーツ 勝負5
おかしいとは思っていた。
ラックラックが名前を非表示にしているのも、いつの間にか客に混ざっているのも、都合よくオズが指名するのも、全てが不自然だ。
しかし、こうなってしまえば全てがつながる。
むしろ、何一つおかしなところなどないとすら言える。
カラスは、ようやくとはいえその事実に辿り着いていた。
「名前を見せられますか?」
「え……と……」
ラックラックが、オズの方を見る。
「もう、隠す意味はないだろう」
カラスを睨み付け、ため息混じりにそう言う。
恨まれる筋合いなどないが、先程まで見下していた相手にそんな態度を取られるのは気分がいい。
オズの言葉を受けて、仕方なしといった様子でラックラックはネーム表示をオンにした。
そして、そこに表示されたのは、カラスが思った通り『ラックラック』ではない。
「『ダックラック11』……? あ、あの、私にも説明してくれませんか?」
不安そうに、ハクアがカラスに問う。
ただ、カラス自身も詳しく知るわけではないのだ。伝え聞いたという程度であり、ダックラックが誰なのか、オズとはどういう関係かなど、むしろ知らない事の方が遥かに多い。
「ラックラックさんの初めに使っていたアカウントの名前が、確か『ダックラック11』だ。俺も詳しくはないが、確か金銭を伴い譲渡したと聞いている」
カラスの言う通りだ。
かつて、篠原愛生が初めてゴールドラッシュに訪れた際、使っていた名前がまさしくダックラックである。
そのアカウントはオーガリィというプレイヤーに悪質なイカサマゲームを仕掛けられたが、偶然にもアンナと出逢い救われている。
その後はアカウントを譲渡してしまったため、ラックラックというキャラクターを作ってゴールドラッシュを続けているのだ。
「初めから、このゲームは2対2だったんだ。それを分かっていなかった俺は、まんまと裏をかかれてしまった。そればかりか、自分の手札を相手に教えてしまうようなミス。なるほど負けて当然だったな」
自虐的に、カラスは肩を竦める。
事実、気がつくまではあまりにお粗末であったと言わざるを得ないだろう。警戒しなければと思っていながら、結局は術中に嵌っていたのだ。
「二人がメッセージでやりとりしている事にはすぐに気が付いた。俺が教えた手札が、そのまま伝えられているだろうという事もな。それでもせっせと手札を教えて続けたのは、警戒心を解くためだった」
事実、オズはカラスの事を「間抜けにも自分から手札を公開する愚者」であると評価していた。
初めは、疑う意識もあったが、何度も続けばそれも薄れてしまう。
そして結局、カラスが仕掛けた最後の罠に嵌ったのだ。
「そしてこのラウンド、ダックラックには偽の情報を渡したんだ」
実際のところ、これはかなりの賭けだった。
途中でハートのAを出さなくてはならない状況になれば明らかに嘘であると分かるし、必要な手札が都合よく最後に揃うとも限らない。
しかし、どちらにせよ、まともにやればこのラウンドでカラスは敗北していただろう。それを思えば、賭ける価値は充分にあったといえる。
「……なるほど、侮っていたようだな」
オズは自らの失態をようやく認識したようだった。
事実、カラスは見下すような手合いではないのだ。思慮深く、慧眼を持ち、ひどく賢しい。少なくとも、オズはそう感じていた。
カラスの言う通りである。
オズは、まさしくキャラクタークリエイター篠原愛生に依頼を出した人物であり、あの時愛生を騙したオーガリィの雇主の立場にある。
そして、今ダックラックのキャラクターを使っている人物は、その時のイカサマ師であるオーガリィだ。
「多少、評価した方が良いだろう。確かにお前は、この店の支配人に足り得る男のようだ」
「……過分な評価です。私はお客様と同じ、一プレイヤーですとも」
謙虚に、丁寧に、先程までの緊張した様子などなかったかのように、カラスが調子を取り戻す。
「いやいや、謙遜する事はない。まさかあそこから一矢報いられるとは思っても見なかったとも。なるほど、この店を取った後の事など考えてもみなかったが、お前に運営を任せたままにするのも悪くないな」
先程まで焦りの表情が見て取れたオズは、すでに冷静さを取り戻している。
当然だ。カラスは確かに一矢報いはしたものの、それはあくまで一矢報いた程度でしかないのだから。
二人の間に3倍近い点差を埋めるだけの実力差はなく、このまま順当に進めば次のラウンドでカラスの敗北だろう。
誰もが見てもその通りだ。
優位は、未だにオズにある。
しかし——
「——面白そうな事してるね」
「…………っ!」
その言葉により、状況は一変する。
「オーナー……」
ライラックショットオーナー、アンナレストである。
◆
一見して、単なる少女。
しかし、その少女が只者でない事はこの場にいる全員が知っている。
かつて敗北を期したダックラックとカラスとハクアに対し、オズのみは初めての会合であるが、しかし彼女の性質には深く理解をしている。
伝え聞いた程度の知識ではあるものの、決して油断する事はない。つい今し方評価をしたカラスをして敗北したという事実だけで、アンナの実力は充分に窺い知れるというものだろう。
「代わってもいいかい? カラス」
「いや、ここは私に任せ……」
「でも負けそうじゃん」
「あ……はい……」
唐突に現れながら、我が物顔で席に着くアンナ。いや、事実我が物なのだ。
このテーブルも、イスも、トランプも、コインも、ダイスも、ルーレットも、従業員ですらも、このライラックショットに存在する全てのものはアンナの所有物に他ならない。
ならば、この場に彼女の思い通りにならない人間は一人しかいない。
「いいのか? ここからで」
凭れ掛かり、脱力し、僅かに微笑む。そんな態度で、オズはアンナへと問い掛けた。
「お前の言うように、もう負けるぞ」
カラスが敗北した場合に賭けていたものは、アンナへの取り次ぎだ。
ならば、今この場でカラスが敗北しようと交代しようと、オズはアンナと戦う事になる。ならば、敗北を見届けてしまう事が最善に思う。
だが、それが最善であるからと言って、アンナがその様にするという保証はない。理に叶わない事など、この世にはいくらでもあるのだから。
聞けば、アンナは何の得にもならないにも拘らず、ダックラックを救ったのだ。ならば、むしろ理に従うなどと思っていない方が自然であるとも言える。
ならば、この言葉は油断などではない。
むしろその逆。自らが何の労もなく有利になろうという現状に対して、警戒を余儀なくされてしまったのだ。
仮に思惑があるのならばそれは明らかに警戒すべき事態であり、思惑などないにも拘らず歩み出て来ていたとしても只者でないという事の証左だ。
「別に私は気にしないよ」
「ほほう、理由を聞いても?」
態度からは、どうにも読めない。
飄々と、悠々と、いかにも掴みどころがない様に見える。
もしも、これが勝利の確信によるものならば、アンナの着席は断るべきだ。カラスとの決着をつけた後、改めてアンナと勝負を開始する方が遥かにマシと言える。
だが……
「じゃあいいや」
「は……?」
あっさりと、アンナは引き下がった。
席を立ち、カラスに着席を促す。無言であり、退屈そうであり、表情だけでガッカリであるという意志が感じ取れる。
オズは、背中に冷たい汗が流れたのを感じた。
あまりにも呆気なく引き下がるのは、あるいはわざとではないだろうか。それを悟られないために今の小芝居を行ったのだとすれば、オズはまんまと掌で踊った道化だ。
道化は、客を笑わせるために存在する。
そして、勝負事において最後に笑うのは勝者である。
「なぁんか嫌そうだし、無理言ってすぐ勝負する必要ないかなってさ」
「ま、待て……!」
焦る。どちらが正しいのか、判断が付かずに。
「り、理由を聞いただけだろう!」
「いやぁ、理由って言われてもさぁ、私は普通に勝負をしようって思っただけだし。嫌そうな顔したのはそっちじゃん。そんな嫌そうにされたらこっちだってやる気なくなっちゃうよ」
「…………っ!」
どちらが正しいかという話をするならば、それは間違いなくアンナだ。そもそも、オズは不躾にも現れて勝負を仕掛けた立場であり、それを受けたアンナにはオズに対して一切の負い目はない。
ならば、オズがアンナを疑わしいと態度に表すなど、酷く非礼な行為だろう。店を賭けた勝負をしろと一方的に迫るオズの方が、明らかに不審なのだから。
アンナの態度は、当然の事と言えた。
「す、すまない。忘れてくれ」
「ん、まあいいよ。それで、すぐに勝負するの? 終わってからにするの?」
「…………すぐに、しようか」
なにか、明確な根拠があったわけではない。完全に勘によるものだ。あるいは、すぐにでも勝負が決まると言う事実の誘惑に耐えられなかったからかもしれない。これほど自らが翻弄される少女と、もう一度戦う事を避けたのだ。
「とはいえ、このラウンドは残り手札一枚で終わりだが」
「そうだねえ」
アンナは、カラスから受け取った手札を見る。駆け引きは、次のラウンドからだ。
カラスの点数をアンナがそのまま引き継ぐというのなら、次のラウンド以降はほとんど失点が許されないという事だ。それでもなお“代る”と言う以上、オズなどまるで相手にならないという自信の現れに他ならない。
それは、侮辱に相当する行為。しかし、オズは全く不快に思わなかった。
「スペードの7」
残った一枚を出し、オズはため息をついた。
「クラブの5」
「スペードの10」
「ダイヤの2」
アンナの手札から出てきたのは、やはり覚えのないカードだ。
ペナルティカードが一枚もないトリック。本来ならば何の意味もない、ただ消化するだけそれは、取り敢えずアンナの獲得となった。この次のラウンドから、息が詰まるような熱戦が繰り広げられる。
そう、思っていた。
『シュートザ・サン』
「……は?」
発せられたシステムボイスは、オズが思ってもみないものだった。本来ならば、これは『ネクストラウンド』でなくてはならないはずなのだ。
しかし、実際には全く違う言葉である。この事実に、オズの理解が及んでいない。
ただ一つわかる事があるとするならば、それは——
「はい終わり。楽しい勝負だったね」
——オズの、敗北である。




