ハーツ 勝負3
(……まだだ)
3対1という状況下で、加えて二人分の手札を支配している優勢を敷きながら、それでなお敗北した。
それは、オズの実力がカラスを大きく上回っている事の証左であり、あるいは最早逆転が叶わない可能性を示唆している。
だが、まだカラスは諦めていなかった。
シュートザ・ムーン。
これによって与えられる得点は、-26。それだけで勝敗が決してしまうようなものではない。
取れる手を全て取り、考えられる策を全て講じる。望みを捨てるのは、その後でも充分であるはずだ。
『ネクストラウンド』
再び、プレイヤーに手札が配られる。
13枚。今度は、より慎重にならなければ。
ファーストラウンドにおいて、カラスは手札を弱くする事を重視した。手札は弱ければ弱いほど良いと考えたためだ。しかし、実際にはカラスよりも遥かに強かったオズに敗北している。
つまり、このゲームはそんなに単純ではないという事だ。
強いカードには、それ自体に意味がある。
当然、トリックを掴んでしまうデメリットがあるのは勿論だが、それでいて余りあるだけのメリットが存在するのだ。
トリックを取った場合、次のリードはそのプレイヤーが行う。これが、強い手札を持つ事の意味だ。
他のプレイヤーは、必ずリードされたカードと同じ柄を出さなくてはならない。このルールが、強いカードの存在理由だ。
相手の手札を予測し、分析し、操作する。僅かとはいえ、その一助となる。
ならば、強いカードはある程度握るべきなのだろう。ゲームメイクに勝るアドバンテージなど、何一つあるわけがないのだから。
「…………」
カラスは、手札を確認する。当然ハクアも。
二人の手札を見る限り、どうやら柄にそれほど偏りはないようだった。勿論、それは手札を合わせて考えた場合であり、各々をそれぞれに見るのならその限りではない。
具体的には、カラスの手札にはクラブが2枚しかなく、ハクアの手札にはスペードが1枚もない。
これ自体で戦術を立てる事は、非常に難しい。相手の手札にほとんど予想が立てられないからだ。
だが、それでもやりようはある。恥も外聞もプライドも全て捨てて、その上リスクを取る覚悟があるならば、手など早々詰まるものではないのだから。
メッセージ。
プレイヤー同士がやり取りをする方法は、なにも直接会って言葉を交わすだけではない。
文章という媒体によって、音を伴わないままに伝える術がある。それはシステムによって保証された権利であり、今この時点において阻まれるいわれは何もない。
「…………」
隙を見て、さり気なく。
カラスは卓の下へと手を伸ばし、モニターとオズの死角になる位置でメッセージを開いた。
このゲームを始める前に行われた取り決め。その中の、『ゲームに参加しているプレイヤーは、無関係のプレイヤーとメッセージ機能による情報のやり取りをしてはならない』という一文。
これは、このゴールドラッシュを行う上では、テンプレートと呼ばれる文句の中の一つだ。
すなわち、ほとんどのゲームのルールにこの一文が加えられている。
当然だ。これがなくては、プレイヤーはあらゆる第三者の協力を取り付けられてしまう。
だが、それでいて、このルールには致命的な欠点が存在する。誰もが気が付いていながら、誰一人指摘しない欠点。
つまり、『プレイヤー同士のメッセージ』には全く制限が設けられていないのだ。
あたかも公正な様で、しかし不正の可能性を残す。あるいは、ゴールドラッシュの性質を如実に表しているのかもしれない。
カラスは、ラックラックにメッセージを送る。
自分の手札の内容。手短な指示。そしてラックラックの手札を教えてほしい旨。見つからないように気を付けながらなので細かくは書けないが、しかし内容に不備はない。
咎められれば言い逃れはできないような不正。とてもではないが、言い訳の余地はない。
何度もすれば、必ず気づかれる。
しかし、ただ一度のみ行うとしたならば、今をおいて他にない。この1ラウンドを制し、ゲームの流れを掴む。その大一番を、このラウンドであると見定めたのだ。
だが……
(ラックラック……)
カラスのメッセージに書かれた簡易指示。その最も重要である内容が、今もって果たされていない。
『自分の手札を教えろ』。それは、カラスの手札の内訳よりも先に書かれた程に重要なのだ。
多くのトランプゲームがそうであるが、たった一組のトランプしか使わない以上、相手の手札というものはある程度予想する事ができる。
1ラウンド目でも、カラスは同じような事をしていた。
つまり、三人分の手札が分かれば、もう一人の手札もわかるという事だ。カラスがオズに食い下がるには、もはやそれしか方法はない。
そう思っての、メッセージ。
注意深く見ていれば、ラックラックがメッセージを確認した事が分かる。
ラックラックのインフォメーションはカラスに見る事ができないが、その挙動は間違いなくメッセージを使用したものだろう。
だが、そこから先に進まない。
注意深く見ていなければ気が付かないほどに慎重なラックラックの行動だが、しかし注視する目が確かにあるのだ。
オズ。
カラスではとても敵わない実力者が、明らかにラックラックを意識している。
「どうされましたか、オズ様。心ここに在らずといった様子」
「いや別に? 大した事ではないさ」
(大した事、ねぇ……)
カラスに話しかけられようと、オズの注意は全く逸れない。油断ならない相手でありながら、相手も全く油断しない。肺の中を満たす重々しい空気に、カラスは目眩がしそうだった。
(できるか、俺に……?)
不意に、不安に駆られる。
カラスに敗北は許されない。カラスが負けてもアンナが控えているとしてもだ。
まさかアンナが負けるはずなどないが、しかしそれでも負けられない。その敗北によって、カラスは今の地位を失ってしまうだろうから。
それは、あまりに恐ろしい。
一度味わった蜜が取り上げられてしまう事が、これほどまでに恐ろしい。かつての小悪党であったカラスならば考えもしなかっただろう事だが、今のカラスには当時の生活は耐えられないのだ。
だから、ここで諦める事はできない。
相手が格上だろうと、不利だろうと、このゲームに慣れていなかろうと、意地を張る必要がある。
なにせ、策はこれだけではないのだ。
「では、始めましょうか……」
まず間違いなく、このラウンドは敗北する。その後も、そのさらに後も、それは変わらないだろう。
しかし、たった一度、一時、二度と使えない手を使うため、その時を待つ。
カラスは周りの客を見渡す。三人のプレイヤーを見回す。そこには、カラスの真意を知る者は一人もいないのだった。




