ハーツ 勝負2
(完璧な流れだ)
予想される中でも、最高と言える。
最も点数の高いペナルティカードを押し付けて、それでいてスペードのJを処理できた。
仮に残りの全てのペナルティカードを取らされたとしても、精々が互角といったところだ。当然、3人がかりである以上、そんな事になるはずもないが。
幸先は、かなり良い。
「では、お客様。リードを」
トリックを制したオズに促す。
あとは、このラウンドの間にどれだけのペナルティカードを押し付けられるかという勝負だ。
オズとしても、少しでも少ないマイナスで次に望みたいはずなのだから。
「お客様……?」
「…………」
反応のないオズを見て、カラスは頭に疑問符を浮かべる。
今までの態度から見るに、こんな程度で恐れを為すような相手ではないはずだ。
「お客様、と言ったな……?」
「え? えぇ、まぁ……」
何か、おかしな事を言っただろうか。
その疑問は、すぐに解消する。たった一言。オズの言葉によって。
「そっちの嬢さんもお客様だろう?」
「…………」
今度は、カラスが口をつぐむ番だった。
当然、だからどうといった事はない。それが明確な根拠となる事も、証拠となる事もないだろう。しかし、この場は決して裁判ではないのだ。証拠がないために暫定無罪であるなどと判断する輩ならば、そもそもゴールドラッシュのような法に接しかねないゲームをする事などないだろう。
「……勿論、お二方ともに大切なお客様でございます。しかし、そう呼ばれる事がお嫌いであるならば、今後はオズ様とお呼びしても?」
「……まぁ、いい。そうだな、そうしてくれ」
オズは、意外にもあっけなく引き下がる。
しかし、それがどれほどの意味を持つだろうか。引き下がろうとも、食い下がろうとも、一度浮かんだ疑念はそうそう無くなったりしないのだから。
(しくじったか?)
まさか、3対1であるというメリットが、こんな序盤で埋まってしまうとは。
今もって優位に変わりはないが、負けられない以上はほんの僅かな可能性すら許容するべきではないのだ。ほぼ確実とすら思われた勝利が、ほんの一歩程度遠ざかってしまった。その感覚は、カラスに少なくないプレッシャーを与えている。
しかし、カラスに明確なミスがあったのかと言われれば、そうではない。少なくともカラス自身と、ハクアも同じように思っている。
客に対して『お客様』と呼ぶのも、仮に複数人相手が居ようとも、それは何もおかしな事ではないのだ。
今回に限って言えば、確かにオズは真理を得たのかもしれない。だが、それは偶然の産物であり、結局のところ深く穿ちすぎた結果であるという事実は変わらないのではないだろうか。
仮に、このゲームに参加したプレイヤーがラックラックではなく無関係の客であったとしても、カラスは同じ様に『お客様』と呼んだだろう。対外的に見ればそこに差異はなく、その場合ならばオズはただイタズラに無関係なものを疑っている事になる。
総じて言えば、カラスはオズを警戒するべきではない。
当然、勝負において多少の備えは必要であるものの、オズ個人に対しての警戒は過剰であると判断できる。
カラスは、改めて勝負へと集中する。
それこそが必勝の構えであると信じて。
「では、私はこれを……」
随分と時間を掛けて、オズはカードを出す。
「クラブの、Q……? 随分と強いカードを出すのですね」
「ああ、こんなものを持っていると気持ち悪いのでな。さっさと使ってしまうに限る」
クラブ。
それは、いかにも狙い目に見えた。
カラスの手札から見えるクラブは、全て自分の手札にある。ハクアは持っていない。
ラックラックの手札は分からないが、前のトリックで7より弱いカードは持っていないと思われる。となれば、どれだけ多く持っていても5枚以上はないだろう。
と、なれば。
オズの手札の半分ほどは、クラブという事になる。
これが狙い目だ。
ハーツは、必ずリードされた柄を出さなくてはならないルールだが、その柄を持っていない場合は自由な札出しが許されている。
クラブを出し続ければいずれ他者のクラブが尽き、好きなカードを出される事となる。これはつまり、ハートを押し付けるには最適な状況だ。
本来ならば、多少の偏り程度でこんな事にはならない。しかし、これは3対1のゲームであり、当然少数が狙い撃ちにされる。
差し当たって、クラブを持っていないハクアが攻める。
「……ハートの9」
カラスもラックラックもQより強いカードなど出すはずがない。となれば、そのハートはオズの物だ。
その後も、順調にゲームは進む。
最適なタイミングで強いカードを消費してゲームメイクをし、オズがクラブを出すタイミングに合わせてペナルティカードを押し付ける。
狙い通りの状況、思った通りの優位。
だが、カラスは迂闊だった。
このゲームをプレイするのが初めてとはいえ、余りにも愚鈍であったのだ。
(まさか……)
オズの狙いに、気が付いた。
あまりに順調、それこそが罠である。
オズに対して、カラス達はハートのカードを押し付けている。これは、勝利への一手であり、間違いなくそれに関しては順調であると言える。
シュートザ・ムーン。
ラウンド終了時、すべてのペナルティカードを獲得している場合に対する特別ルール。ペナルティカードのマイナス点分は無視され、他の3人のプレイヤー全員は−26点を獲得する。
このハーツというゲームで、二番目に強いルール。これを超える大点数が課せられるのは、参加中全てのトリックを奪う『シュートザ・サン』のみである。
現在、場に出ていないハートのカードは4枚。カラスが認識できるカードの中では、自らが1枚とハクアが2枚。これが全て取られたら、このラウンドで大きく差を付けられてしまう。
本当ならば、もっと手札が多い時点で気がつくべきだった。ハーツはその性質上、手札が少なくなるほどに駆け引きを行うのが難しくなり、巻き返しが起こりにくいためだ。
是が非でも、ハートを手に入れる必要がある。難しいだろうが、それでも。
となれば、ハクアの持つ2枚が鍵だ。それは、ハクアも分かっているだろう。
カラスの手札にはダイヤとクラブが、ハクアの手札にはスペードとクラブがない。
つまり、この中のどれかが出た時が勝負だ。
オズ以外の誰かがトリックを取りそうな時、どちらか一人がハートのカードを出す。こうして、たった1枚だけハートを獲得する。
望ましくば、それはハクアであるべきだ。しかし、それでいてカラスは自らでの獲得すら視野に入れていた。これは、それだけの価値のある事なのだ。
「ダイヤの9」
ハクアのリード。手札にある中で最後のダイヤだ。
これにより、ハクアの手札にはハートのカードしかなくなった。
ならば、カラスの次の手も決まった。
「ハートの4」
たった3枚の手札。トリックも、同じように三回。
ならば、カラスがここでハートを出せば、残りのトリックでは全てハートが絡む。ハクアが2枚持っているため、同時には出せないからだ。
これで、オズは全てのトリックでの勝利が必要となった。
少しでも、オズが勝利する可能性を低く。
カラスが勝利する上で、一番可能性が高いのはこれだろう。
初めは、ほぼ確実と思われた勝利が、まさかこれほど消極的な方法を取らなくてはならないとは。
しかし、この場でのハート出しは必要な事だ。ハクアがハートを出していない時点でのハート出し。なにせ、オズの手札には“ハートのK”があるのだ。
現在残っているハートの中に、Aは存在しない。となれば、オズはハートのKをリードするだけで、カラスとハクアの両方からハートを引き出せるという事になる。
それが最悪のパターンだった。オズの勝利の可能性が最も高くなる状況。是が非でも避けなければならない状況。
なので、この場でカラスは手札からハートを取り除かなくてはならなかったのだ。これにより、Kは最大の効力を発揮できなくなった。
「ダイヤの8」
ラックラックの手札は、終始半端な数字である。カラスが記憶している限り、初めから今に至るまでずっと同じような数字を出している。
絵札など、1枚もない。
つまり、オズから絵札が回されなかったのだ。
事ここに至ってようやく、カラスはオズの実力を認識した。警戒し、油断せず、それでいて不充分だったのだ。自らが有利であるなど傲慢であり、初めから危機に陥っているかのような心持ちが必要だった。
初めから、それこそ手札が配られた時から、ここまでの展開を予想していたのだ。本来であれば手札を弱くする事こそがセオリーであるはずなのに、オズはそれを覆したのだ。
カラスが二人の協力によって手札を弱くしている中、オズは対照的に手札を強くしていた。なるほど考えが真逆なのだから、妨害などできようはずもない。オズはただ、ハクアから送られてくる絵札を受け取るだけでいいのだ。
「クラブのA」
「……ッ」
カラスは、この勝負が始まって初めて表情を崩した。
余裕を見せようと意識して微笑んでいたが、オズのカードを見て最悪の事態を察したのだ。
対照的に余裕の表情を見せるオズの手元に、トリックのカードが移動する。
A。
このゲーム上で最強のカード。10以上の数字で取れるこのトリックに対して、明らかに過剰な強さのカードだ。
しかし、その行為が不自然でない場合は、確かに存在する。
つまり——
「スペードのA」
——残りの手札が、Aである場合である。
現状、最後のエース。つまりは、このトリックを奪う手段はない。
この時点で、このラウンドは決した。
オズの、シュートザ・ムーン達成である。
【特殊な場合の得点ルール】(作中に存在する『ハーツ』のルール説明より抜粋)
『クラブの10』
クラブの10を獲得したプレイヤーは、そのラウンドで獲得するポイントが倍になる。
このルールは現在ほとんど採用されないものであり、ライラックショットでも採用されていない。




