ハーツ 勝負1
ハーツにおいて、手札とは初めに配られた13枚のみを指す言葉ではない。
ゲームの開始前に、プレイヤーは配られた13枚の中から不要な3枚を選び、右隣りのプレイヤーへと渡す。左隣りから3枚のカードを受け取り、ようやく手札が完成するのだ。
カラスは、自らの手札を見る。
このゲームにおいては、基本的に強い手札である事が直接的な勝算となる事はない。取るべきカードなど存在しないからだ。
点数は全てマイナスであり、極論してしまえばトリックなど1枚も取らない事が必勝法とも言える。
そうなれば、交換するカードは自ずと決まってくるのだ。
(Aが1枚とKが2枚か……)
もしも初めの手札だけで始めるのなら、これはかなりの不利である。トリック毎に考えれば一度も勝たない事が理想であるゲームで、まさか強い手札を握ってしまうなんて。
しかし、それに関して言うならばまだ有情であると言える。それこそが、ハーツの醍醐味なのだ。
考えるまでもなく、AとKを場に伏せる。
全員が交換札を出すまではそうして待ち、出揃ったらシステムが自動でそのカードを移動させる。
(ハクアは……ハートのKとスペードのQがあるのか。これは運がいいな)
ハクアの手札を見たカラスは、表情に出さないまでもほくそ笑む。ハクアの交換札の行く先は、対戦相手であるオズなのだから。
このゲームは、通常のハーツと大きく趣向を違える。
というのも、四人で卓を囲んではいても実質的にはカラスとオズの対戦だからだ。
残りの二人は勝敗に影響はなく、どれほどマイナス点を重ねてもゲームは終了しない。言わばデスマッチの方式である。
なので、ハクアとラックラックは自らの勝利を考慮せずにプレイする事ができる。
(少なくともこのラウンドは取れそうだな……)
カラスの思考は、決して楽観などではない。もしも順調に進めばという前提ではあるものの、このラウンドがかなり有利なのは事実である。
カラスとハクアの秘密をよく知る者であるならば(そんな者は数えるほどしかいないが)、ルールを決める時点で察しがついた事だろう。『自分の手札とは触れているカードの事を指す』という一文は、カラスとハクアが互いの手札を見る為に追加したルールである。
人差し指が入れ替わっているという、唯一無二のペアキャラクター。かつてはこれでイカサマルーレットを行っていた二人は、やはり今回も同じ方法で不正を働いていた。
ルールには『自らの手札と場に出たカードのみを確認できる』とあるが、これはすなわち自らの手札ならば確認できるという事に他ならない。
カラスとハクアが持つ手札が互いの手札であるとシステムに認識されている以上、たとえ直視できなくともその内容はシステムが知らせてくれるのである。
つまり、カラスはハクアと二人分の手札で勝負しているのだ。
(スペードが多いな。Qは回してしまおう)
ハクアの不要札が渡される相手は、対戦相手であるオズだ。数字の強いペナルティカードを掴ませるという事の意味は、このハーツというゲームにおいて大きな意味を持つ。
数字が強いという事はそのトリックを獲得しやすいという事であり、ペナルティカードとは敗北への切符である。
ならば、より強いペナルティカードはより確実な敗北をもたらす事は想像に難くないだろう。
意外と、考える事が多い。
決して複雑とは言えないゲームにも、往々にして戦術というものが存在する。それは、ただ覚える事を多くしただけのゲームと、長く親しまれるゲームとの間に横たわる明確な溝。
すなわち、“深さ”に他ならない。
その点で言えば、ハーツはかなり深いゲームである。
日本ではメジャーではないものの、トリックテイキングゲームの中では一般的なゲームだ。
それだけで、ハーツの深みが知れるというもの。長い歴史を持つという事は、すなわち長い歴史の中で忘れられなかったという事に他ならないのだから。
しかし、そこを考えるのならば、この大一番の勝負で行うには相応しくないと言える。
立場上、あたかも手練れのような口振りで通していたものの、実のところカラスはハーツをプレイした事がないのだ。その上、現実に存在する以上、相手は経験者である可能性が付き纏う。
万に一つも負けられない勝負においては、これ以上になく不向きである。
だが、支配人とはいえカラスは雇われの立場である。仮にオーナーが十代半ばの少女であったとしても、『勝負を挑まれたらこれを使ってね』と言われれば従う他ないのだ。
反論の余地なく、意思すらなく、言われた通りにカラスは行動する。
何を考えているのか分からない相手であっても、逆らう事などできるはずもないのだから。
それに、一応はカラスに有利なゲームである事は確かなのだ。
ハクアと一緒であるという条件を満たしたならば、間違いなく自らが最強であると確信できる。
それだけでも、従う理由としては充分だろう。
やがて、交換札が出揃い、ゲームが開始される。
「では、公平を期すために、初手は我々と関係のない方からという事で」
笑顔で、カラスはラックラックを見る。
無関係。なるほど表向きはそうだろう。
しかし、事実は大きく異なるのだと知るハクアは苦笑いを浮かべそうになった。しゃあしゃあと、平然と、自らの協力者へそんな事を言ったのだから。
ラックラックから反時計回り。
これは、カラスにとって酷く有利な条件だ。
席の並び順からみて、ラックラックから始めたならカラスが最後にカードを出す事となる。つまり、全てのプレイヤーのカードを確認してから出すカードを決められるという事だ。
これは、ゲームメイクに大きく関わる。ハーツの経験がないカラスでも、そう判断するほどにあからさまな優位となるのだ。
「私に異論はない」
オズが、ソファの背もたれに体重を掛けながら進行を促す。
不遜、傲慢。そんな言葉を体現したような態度である。
「じゃあ、これで……」
ラックラックが出したのは、クラブの7。
強くもなく、弱くもない微妙な手。しかし、ラックラックがそんな手を出したのには理由がある。
(2、2、4……悪くない)
それは、カラスがラックラックから受け取ったカード。カラスが理想とした通りの、弱い数字の手札だった。
それをカラスに渡した上でのラックラックの最弱手が、クラブの7だったのだろう。
「…………」
無言で、オズがカードを出す。
クラブの6である。
ハーツにおいて、そのトリックの初めに出されたカードはリードと呼ばれる役割を与えられる。続くプレイヤーは、そのカードと同じ柄のカードを出さなくてはならないのだ。
現在ならばクラブ。
もしもリードカードと同じ柄を持っていなかった場合のみ、手札の違う柄を出す事ができる。これをフォローと呼び、このゲームにおける大きな駆け引きとなるのだ。
オズに続いて、ハクアがクラブの10を出す。
ハクアにとっては唯一のクラブだったが、ルールで定められている以上出さざるを得ない。
そして、カラスのターン。
出されたのは、クラブのQである。
このトリックは、カラスが制した。
出されたカードは全てカラスの物となる。
「では、次は私の番から」
ハーツにおいて、トリックを取る事は勝利に繋がらない。しかし、無意味であるかと言われればそうではないのだ。
トリックを制した者は、次のトリックをリードする事となる。
リードカードというルールがある以上、トリックの一番手には明確な戦術が存在する。
カラスから見えるカードの中には、ほとんどのスペードがある。つまり、オズの手札にはスペードが少ないという事が予想されるのだ。そして、少なくともハクアから流れたスペードのQがある。
「では、スペードのJを」
本来ならば、一手目からそんなカードは出せない。簡単にハートをフォローされてしまうからだ。
しかし、この場においてのみは、これを戦術として活用できる。
なにせ、オズの手札にはスペードが少なく、それでいてスペードのQを持っているのだから。
ラックラックは、無難にスペードの5を出して様子を見る。
そして、オズのカードは……
「スペードのQ……運がありませんでしたね」
最大のペナルティカードを、まんまと押し付けた。少なくとも、このラウンドは勝ち越す事ができる。
……そう、思っていた。
【特殊な場合の得点ルール】(作中に存在する『ハーツ』のルール説明より抜粋)
『ターゲットスコア』
あるプレイヤーの得点が特定の数値ちょうどとなった場合にボーナスを得る。−50ポイントの場合は0に、−100ポイントの場合は−50となる。
なお、ライラックショットにおいては採用されていない。




