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表面張力 勝負2

 愛生の机は、どこかしらのネジが緩んでいる。奈美子が腰掛けるたびにギシギシという音が鳴り、愛生はいつか落ちるのではないかと思っている。

 教科書を乗せる程度なら問題はない。弁当を食べる程度なら問題はない。しかし、人が手を乗せて、ほんの僅かに力を加えるだけで何かの鳴き声のような音が響くのだった。


 その音が出るまでと、音が鳴らない間の境。愛生は、それを知っているのだ。

 つまり、愛生はこの机を音を鳴らさずに扱えるのだ。


 そうして力を加えられた机は、当然水平ではなくなる。人の目に見えない程度ではあるが、確かに傾くのだ。

 そうすれば、コップの水面にも影響が出る。この影響こそが、愛生の仕掛けたイカサマである。


「ただいま……まだやってるんだ」


「お帰り晴香」


「まだも何も始まったばっかよ! 絶対勝つんだかんね!」


 トイレから帰った晴香が、二人を見て軽くため息をつく。呆れた、と口に出すよりも、よっぽど呆れているという事が分かる態度だ。


「そこまでしなくてもいいんじゃない? 別に悪い事をしてるわけじゃあないんだから」


(あ、悪い事はしてます……)


 具体的に言えば、人を騙して金を巻き上げるような事の片棒を担いでいる。一応犯罪ではなくゲームで保証されたものではあるものの、恐らく相手にバレれば納得はされない。

 当然、そんな事は二人に言う事はできないが。


「良い悪いなんて関係ないわ! アキがアタシに隠し事してるってのが腹立つの!」


「勝手か」


 晴香は冷静にツッコんでいるが、本当の事を知れば確実に怒る。愛生は曖昧な笑みを浮かべて、特に何を言うわけでもなく座っている。


 決して、嘘をつきたいわけではない。それは二人を嫌っているわけでも、信じていないわけでもないのだ。むしろ、二人を大切に思っているからこそ話す事はできない。

 多少大袈裟であるかもしれないが、二人がゴールドラッシュに入ってしまった場合、愛生では守る事ができないのだ。

 ゴールドラッシュを、単なるゲームであるなどと軽んじる事はできない。詐欺紛いの負債を与える方法など、いくらでもあるのだから。事実、愛生自身が危うく犯罪者に仕立て上げられるところだったのだ。


 だからこそ、これに負けるわけにはいかない。

 愛生の緊張は、二人には理解できない事だろう。


「お金まで使って何やってるんだか……」


 晴香は机に置かれた硬貨を手に取り、もう一つ、ため息をついた。


「いいでしょ、別に捨ててるわけじゃあないんだから!」


「まあ、別にいいけど……」


 晴香は、手に取った硬貨をそのまま机に置く。硬貨同士がカツカツと音を立て、勝負を急げと主張しているようだ。

 しかし、愛生に焦る理由はない。なにせ、ゆっくりと時間をかければいずれ勝てるのだから。


 自らの勝利が揺るがない以上、急く必要などどこにもない。


「じゃあ、私の番」


 愛生は、あたかも何気なしに机の引き出しから手を離す。音の鳴らない加減は、入学式からの時間が教えてくれる。かかっていた体重がなくなる事によって、机は目に見えないほど僅かな傾きを正した。限りなく水平となり、コップの水面には均一となる。


 硬貨が水面に触れる。

 ここで決着であると思っていた奈美子は、眉間にうっすらとシワが寄っている。


 先ほどまでは硬貨一枚分も余裕がなかったように思われる水面が、わずかな余裕をもって愛生の手を迎えたのだ。上手く仕組んだと思っていたはずの奈美子は、わずかに不安をにじませる。

 しかし、それだけで悲観する必要などない。たったこれだけでは、奈美子のイカサマは崩せていないのだから。


「オッケー、次はミナよ」


 聞き慣れたゲームの音声案内がない事に若干の違和感を覚えながら、愛生は平然と手番を渡した。

 今もって明確な対策もないままに、しかしあまりにも余裕の表情。これには、当然訳がある。


 対策の必要などないのだ。


 仮にこのままゲームが進行したとして、恐らくはどちらも敗北しない状況が続く。しかし、コップの中の水の量は一定であるため、その状態はいかにも不自然だ。そうなれば、咎められるのは奈美子の方になるだろう。当然だ。水の量が減るという現象から、愛生の不正には結びつかないのだから。

 そして、その事にはいずれ奈美子も気付く事になる。

 すぐなのか、いずれなのかは愛生の知るところではないが、必ずイカサマに無理が出てしまう事に気が付くのだ。そうなった時、それ以上のイカサマをためらう事だろう。


 仮にそうでなかったとしても、イカサマが露呈する事は確実だ。

 愛生にはイカサマを指摘するつもりなど毛頭ないが、それは奈美子の知るところではない。まず間違いなく敬遠する事だろう。


「…………」


 奈美子は、生唾を飲み込んで硬貨を手に取る。相変わらずに、下手な手つきだ。注視すれば、愛生でなくとも不正に気がつく事だろう。


 愛生は、気付かれないように机に手を添える。

 奈美子からは死角。引き出しの中へ。

 ここでわずかに体重をかけ、目には見えないほどの傾きを与える。奈美子は水嵩をギリギリに調節するはずなので、取り敢えずは硬貨を入れられないという事はないだろう。


「よし! 入った!」


「はい、次は私ね」


 力を抜き、机の傾きを戻す。

 あくまで遅延に過ぎないものの、これがやがて勝利の一手となる。


 どれほど時間がかかろうとも、愛生がこの作戦を取り止めるつもりはない。それほどに、ゴールドラッシュに入れ込んでいるのだ。二人をあの世界に堕とさない事を前提として、さらに自らがゴールドラッシュを続けるために、絶対の条件が現状の維持だ。現状の、二人がゴールドラッシュを知らない状況。


 手元の硬貨を一枚とる。

 固唾を飲んで見守る奈美子とは対照的に、愛生は落ち着いている。水が溢れるはずなど、ないのだから。


 勝負はこんなにも早く終わったりしない。いつまで経っても勝負が終わらないと言う事態になってようやく、事は動くのだ。

 この場において、コップの水は勝敗を分ける要因にならなくなってしまった。愛生と奈美子との勝負は、より口先が立つ方の勝利となる。


 ——その、はずだった。


「……は?」


「やった! アタシの勝ち!」


 コップから、水が溢れた。愛生の持つ硬貨が水面に触れた瞬間である。

 流れるように机へ溢れたその液体を見て、愛生はピタリと動きを止めてしまった。


 愛生の、敗北である。

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