ルーレット 決着
「私は——やるわ」
アンナがルーレットに参加する直前、ラックラックは確かにそう言った。
震えながら、恐れながら、泣きそうになりながら、しかし確かに強い意志を持っている。
紛れもない、勝負師の才覚である。
アンナの優れた視力は、実体のみならずラックラックの本質まで見通したのだ。ラックラックがこのまま成長したのなら、自らの目的の大きな助けになる。
そう確信した。だから、わざわざ連れ立って行動しているのだ。
「そう、じゃあお願いするね」
そう言って笑うアンナの表情は、意外に子供っぽかった。
歳上の女性を頼り、信頼している。そんな子供。
ラックラックは、そんな事が言いようもなく嬉しいのだった。
この店で何が行われているのか、ラックラックは知らない。アンナが何らかのイカサマ行為が行われていると言ったものの、それが何なのか皆目見当もつかなかった。
どれほど目を凝らそうとも、注意しようとも、何一つ全くだ。ラックラックは、何も変わっていない。騙された時から、助けられた時から。
しかし、それは変わらない事とは大きく意味を違える。
未だ変わらないながらも、あるいは変わろうとする事には大きな意味があるのだ。
これは、劇的な事である。
ごく普通の女子高生であるラックラックが、ともすれば勝負師としての力を開花させようとしている。
それは今日ではないかもしれない。明日ではないかもしれない。しかしいつか、ふとした拍子に満開の花を咲かせるかもしれないのだ。
だから、託した。
本来ならば必要がなかったかもしれないところを、わざわざラックラックに手伝わせたのだ。
「私の言う通りにしてね?」
「わかった……!」
アンナは笑う。
暖かく、優しく。
◆
「だ、誰だよラックラックって……!」
不意に話された初めて聞く名前に、カラスは動揺を隠せなかった。
「な、なんだよカラス。急に大声出して」
「そんなに悔しかったか? そんな事もあるって言ったのお前だろ」
「…………っ」
周りの客の言葉に、慌てて口を紡ぐ。流石にこの場で騒ぐのは不自然だろうと、ようやく思い至ったのだ。
「ら、ラックラックは私です」
「……!」
声の方に振り向き、カラスは眉間にシワを寄せる。つい今までゲームに参加していないと思っていた少女が、声を震わせながらも近付いてきたのだ。
アンナは相変わらずの笑顔で、ラックラックの隣に立つ。初めからずっと二人でいたと言わんばかりに、不遜な態度にも見える。
「お、前ら……」
なんて事だと、声が震えた。寒気も、恐れも、全てを感じる。
しかし、それを叫ぶ事などできない。カジノとの繋がりが公となれば、ここまで積み上げてきた全てを失ってしまうのだから。
「なんだよ、そっちの嬢ちゃんも賭けてたのか」
「二人してツいてるな、いくら賭けたんだ?」
他の客が気軽に問い掛ける。
本来ならば開示されない情報を聞くのはマナー違反とされているが、ゴールドラッシュの世界ではマナーなど犬の餌ほどの価値もない。
そして、それはカラスの最も知りたい事だ。客であるという形を取っている以上、カラスには他の客の賭け金を知る術がない。もちろん後でディーラーに聞けばいいのだが、一分一秒でも早く知りたいというのも事実だった。
ディーラーの表情を見るに、かなりの痛手だ。100万や200万の事ではない。
あるいは、もしかしたら、そう考え——
「全額、オールインだよ。二人ともね」
果たして、予想通り。
最悪の事態だった。
各人の賭け金は、賭けられた時点においては当人しか知り得ない。これはディーラーにすら知らされないという事であり、このゴールドラッシュ内においてカジノ側の不正を防ぐ為によく取られる措置だ。
結果が決まって初めて、ディーラーに配当を知らせるインフォメーションが表示される。
これのせいで、ラックラックのベットを察知できなかったのだ。
もしも知っていたならば、対策も取れただろう。このイカサマには人差し指一本しか関わらないのだから、それが触れないように投げるだけだ。そうすれば、ゴールドラッシュが認識するディーラーはカラスではなくなるのだから、事前に宣言された通りのフェアなルーレットとなっていた。
もちろん、それでなおライラックショットになる可能性はあるものの、確実に負けてしまうより遥かにマシだったろう。
「黒チップ……80枚……」
カラスは震える。せめて膝を崩さないようにと気を付けながら、しかし声だけは抑えられなかった。
「凄えな、4,000万かよ」
「勝負勘ってやつかねぇ、とても真似できねえわ」
客たちは、口々に見当外れな事を言う。
これは、綿密な策によってなされた頭脳勝負だった。力の劣るカラスが負けたというだけの事ではあり、そこには勘も運も介在しない。
このゴールドラッシュの世界に相応しい、暴力を伴わない勝負だ。
周りの客は、そこまでの事だとは思っていない。
そもそもライラックショット自体は時たま見掛けるものであり、珍しくはあっても当たる事くらいある。そんな程度で傾くようなら、既に潰れているはずだと思っているのだろう。
だからだ。今、この店が窮地に立たされているという事実に、全く気が付かないでいる。
今までは経営に影響が出ない程度にカラスが調整していたが、今日この時は不意の大当たりだ。
そして何より、今日というのが非常にまずい。
客側のプレイヤーでは分からないのも無理はない。これは、全ての経営側のプレイヤーが抱えていながら、対外的には見えにくい問題なのだ。
仮に二日後ならば、苦しいながらも生き残りの可能性はあった。しかし、今日であるならば、明日にでもこの店は畳まなくてはならない。
エリア使用料の、支払い期日である。
平たく言うならば家賃。ゲームの中ですらそんなものに追われるなどあまりにも生々しすぎると言う者も多いが、しかしスカイレスの膝下であるこの場所の競争率は下がる事はない。店を構え、客を安定して得る事ができるのなら、金は自然と入ってくるのだから。
スカイレスを中心とした一定範囲の土地は全て運営所有地であり、毎月多大な契約料を取られる。もしも払えないとなれば即日店舗は自動撤去され、この場所を狙い続けている大勢のディーラー志望の内の誰かのものとなるのだ。
当たり前だが、買い戻す事などできない。そんな余裕は、もはや失われてしまったのだから。
「きょ、今日は店じまいです!」
慌てたディーラーの女性が、アンナ達を追い返そうとそう言う。しかし、もう手遅れだ。返そうと、返すまいと、どちらにせよここでは暮らせないのだから。
客達は、訝しげな顔をして店を出ていく。その場に残るカラスを怪しんでいるのだ。しかし、今更関与がバレたとしても知った事ではないだろう。どうせ、この店を続ける事などできないのだから。
「……なんでお前らはいるんだよ」
「え? だめ?」
「私はアンナちゃんがいるから……」
キョトンとするアンナと、目を泳がせるラックラック。二人とも、帰るつもりはないようだが、そもそも二人を返すために店を閉めたのだ。この場にいられて不都合があるわけではないが、今は顔も見たくないというのがカラスの正直なところだった。
「帰れよ」
「嫌だよ。用があるんだ」
(店を潰しておいて……)
図々しいと、カラスは感じる。何よりも、カラスには何の用事もない。ここがカラスの店である以上は、カラスの感情こそが優先されるべきだろう。
だから、追い出すつもりだった。どんな暴力も存在しないこのゴールドラッシュ・オンラインであろうとも、少女を二人摘み出すくらいは簡単な事だ。
すっくと立ち上がり、手を伸ばし、猫の首を持つようにして放り出せばいい。この場は今現在カラスの店なのだから、店主であるカラスが追い出そうと思えばシステムは味方をする。
簡単だ。
簡単だが——
「店、続けられるとしたら?」
手が止まる。
その言葉は、およそ無視できるようなものではなかった。
一度は諦めてしまったというのに、望みが目の前に垣間見た瞬間にこのザマだ。
「……話を聞こうか」
「そうこなくっちゃ」
相変わらずにこやかなアンナは、より一層楽しげな声で話し始める。
勝ち金全てを返却する事を条件として提示されたモノは、驚くほどに拍子抜けだった。
思ったよりも遥かに常識的であり、意外性の欠片もない。
「経営権をくれない? 貴方達は今まで通りに働いてていいからさ」
若い娘の下で働くのは屈辱的だなどという前時代的な考えを持っていないのであれば、それはむしろ望ましいと言える。本来上に立つ事にこだわりを持たないカラスにとっては、何一つ不都合がないように思えた。
「それだけで良いのか……?」
「それだけで良いよ。運営は何も変えなくていい。ただこの店の頭に私を添えてくれさえすれば、私はたったそれだけで良いんだ。利益すら好きに分配していい」
何を考えているのか、まるで見当がつかない。
一体何の得があるのか、全く分からない。
こんな話を手放しで承諾するほど、カラスは楽観的な人間ではなかった。
「何が目的だ」
「……ああ、そこ聞いちゃう?」
アンナの表情に、ほんの僅かだが苦々しげなものが混ざる。
しかし、隠すつもりはないようだった。
「実は——」
その内容は、驚くべきものだった。あるいはこの世の不条理を砕くという宣言。常軌を逸しているとすら言えるその言葉は、しかし酔狂で発せられたものではないのだろうと直感させられる。
「マジで言ってんの?」
「マジマジ。どう?」
その発言は、言葉ほど軽くはない。
遠回しでなく、比喩などなく、かなり直接的な意味で、この世界を転覆されるほどの意味を持っているのだ。
その言葉に、カラスは——




