偽チュートリアル 決着
笑み。
そんなもの、浮かべられるはずがないのだ。
オーガリィ唯一の光明は、不正を取り止めて勘で手札を当てる事。となれば、笑顔など浮かぼうはずもない。
その表情は、苦悶でなくてはならないのだ。あたかも既に勝敗が決したかのような顔でなど、あるはずがない。
「……は?」
「いや、『は』じゃなくて、不正解なんだってば」
このゴールドラッシュの中にあって、あらゆる虚偽は通らない。システムがルールを保証するからだ。
つまり、システムが不正解と言った以上、その事実は覆らない。
「そんな……お、俺は……」
確かに見た、と言いたいのだ。最後まで口にしないのは、この期に及んで不正が露呈していない可能性を考えているに違いない。
愚かしい。見た、など。見せられたなどとは、少しも考えていない。
オーガリィの不正には、致命的な難点がある。
オーガリィは、確かにハートのQを見ただろう。アンナの右手には、確かにそのカードが握られていた。
しかし、それを眼帯をしていない方の目でも見ていたならば、おかしいと思ったはずだ。なにせアンナは、両手に手札を持っていたのだから。
片方は、このゲームで配られた本来の手札。オーガリィはこれを言い当てる必要があり、この中にハートのQは含まれていない。
そしてもう片方は、自前で用意したカード。この中に、ハートのQがあるのだ。
当然裏面の模様は違うが、背後から見たならば表しか見えないのだから問題にはならない。
オーガリィは両方の目に別々の景色が見えている事に慣れず、片方の目で物を見る時はもう片方の目を閉じているのだ。顔を伏せる癖は、これを誤魔化すためのものである。
しかし、眼球が取り外されている事が分かっているのならば、この事実にたどり着くのはそう難しい事ではない。明らかに、手札を覗き見る時だけ顔を伏せるのだから。
それを考慮し、アンナは隠し持っていたカードを右手に持つ。あたかも手札を持ち替えたような動作を交えて、さりげなく見せてやるのだ。
もしも、オーガリィが自分の不正が露呈している事に気が付いていたのなら、そして気が付いていてもバレていない可能性などというものを切り離していたならば、こんな事にはならなかった。
都合よく手札を見れるなんてあるはずもなく、それ故に覚悟もできた事だろう。
運に任せる覚悟。小手先を切り捨てる覚悟。
その後は、何が起こるでもなくアンナの勝利となった。完全に折れてしまったオーガリィは、ただただドロップの連続。アンナはたった一度の宣言もなく、このゲームを制してしまった。
「俺の負けだ……」
「一々言わなくても分かるよ」
これ以上何度続けようと、結果が変わるはずはない。そんな事は誰の目に見ても明らかだった。
「気付いていたのか、俺のイカサマに……」
「気付かないわけないじゃん。馬鹿にし過ぎだよ」
ダックラックを騙してから一週間足らず。かつては弱者を食い物にしていた悪人も、真剣勝負となればこうも脆い。
オーガリィを雇っていた組織が彼を見限ったのも、実力に相応しい判断だ。アンナがいなくとも、いずれはこうなっていたのだから。
「た、助けてくれ……」
「はぁ?」
「しゃ、借金があるんだ! この、金を、取られちまったら、と、とても払えねえんだよ!」
懇願。醜く、情けなく、みっともない。
しかし、オーガリィはそうまでしなくてはならないと思っていた。自らの現状を嘘偽りなく話すというなけなしの誠実さをもって、同情を買おうと考えたのだ。
「知らないよ」
「…………っ!」
とはいえ、この場はゴールドラッシュ。弱い者に、生きる資格などない。
これは、オーガリィ自身が招いた結果だ。力のある組織の末端に属した程度で、自らも力を付けたように思い上がった。
必要以上に他者を貶め、必要以上の自信を持った。
何か一つでも違えば生き残れたかもしれない選択の数々は、全てがオーガリィ自身の手でなされたものなのだ。
疑う余地はない。オーガリィは、ここで地に落ちる運命にある。
「く、クソ……金が……俺の金が……」
自らの真っ赤に染まった所持金表示を見て、オーガリィは放心する。ここしばらくの活動によって安定していた収入が、ただの一度で消し飛んだのだ。
「じゃあ、私は失礼するから」
会話もままならないオーガリィをその場に置き、アンナは早々に立ち去る。
ここはゴールドラッシュ。ここで死ぬ者は、悲鳴をあげたりしないのだった。
◆
「はい、お姉さんの取り分」
「こ、こんなに!?」
ここは、噴水広場。一仕事終えた後は、この場所で待ち合わせをしていたのだ。
イマイチなんの事か分かっていなかった愛生だったが、合流するや否や渡される大金を見ると流石に察した。
50万円。愛生がオーガリィに奪われた総額と等しい。
「こ、こんなに貰えないわ!」
「良いんだよ、これくらい。取られた分を取り返しただけなんだから」
にこやかに、肩を竦め、大した事のないかのようにアンナは言う。
しかし、アンナは気が気ではない。既に負債分はアンナのお陰で埋められており、さらに追加して50万など貰う意味がないからだ。
わざわざ、これを渡そうとする意味がわからなかった。
(何のつもりで……っ!)
つまりは疑心暗鬼。一度騙されたために、他者を信用していいものか警戒していた。
そもそも、愛生とアンナレストは互いの事をほとんど知らない。
ならば、信頼などできるはずがないではないか。
「ほぅら、遠慮しないの。お姉さんのお陰でカモに会えたんだから!」
「か、カモ……」
気圧され、押し負け、結局は受け取ってしまう。
この時ようやく、愛生は自分が変わっていない事に気が付いた。相手に圧され、強く否定できない。
このゲームではそれこそがカモの最たるものであると知りながらも、愛生本来の性格が適応を許さないでいた。
そして、それでいいとも思う。こんな場所に慣れてしまうよりは、遥かにいい。
そう、理解していた。理解はしていた。
「ほんのお礼だよ。気にしないで」
「い、いや……」
アンナは笑う。愛生も、つられる。
気にしないなど、できるはずもない。高校生である愛生の常識の範疇を遥かに超えただけの大金を、笑顔で差し出されてしまったのだ。
「それよりもさ、お姉さん」
「は、はいなんでしょう」
思わず、敬語が出てしまう。
それだけ恐れたのかもしれない。それとも……
「お姉さんさ、名前それでいいの?」
「名前? ああ、うん」
名前。つまりはキャラクターネームだ。
ダックラック11は、正式な取引によって譲渡してしまった。正直言って自分を騙そうとした相手に対して律儀にデータをくれてやるのはシャクではあったものの、自動取引処理によって期日になれば勝手に譲渡されるのだ。
なので、愛生の使っているキャラクターは新しくメイキングしたものだ。姿形は全く同じだが、今回アンナと取引をするためにわざわざ作ってきた。
「もっと別な名前にするんだと思ってたよ」
「まあ、うん。戒めっていうかさ。それに、悪い名前じゃないと思うの」
元の名前は、ダックラック——カモになる程度の運であるなどという不名誉なものである。これがオーガリィの目印となってしまい、言ってしまえばこのせいで騙された。
しかし、それでいて愛生はこの名前が嫌いではなかった。上手く説明はできないが、なんとなく愛着が湧いてしまったのだ。
「ラックラック。いい名前でしょ?」
「そうだね。悪くないと思うよ」
幸運の二乗。わざわざ新しいキャラクターを作ってまで、わざわざ戒めるための名前を考えてまで、この場にいる。
その意味が分からないアンナではなかった。ラックラックは、ある意味で魅了されてしまったのだ。
「改めて、よろしくねアンナちゃん」
「こちらこそ!」
本来ならば一時間もプレイせずにやめてしまっていただろうゲームだが、今は自分専用のキャラクターまで作った。
このままにして今生の別れになど、するはずがない。
愛生は、未だ何も変わっていない。
騙された時から、奪われた時から。
しかし、あるいは変われるのかもしれない。
騙されないように、奪われないように。
なにせ、彼女は決めたのだから。
この世界で生きるのだと。




